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新潟・天地豊穣
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#14 越後平野の只中をゆく 〜月潟エリアと田園風景を訪ねる〜 2016年7月30日、新潟県内を早朝から回ってきた私は、最後に新潟市南部の月潟(つきがた)地区を訪れました。2005(平成17)年3月の新潟市を中心とした12市町村の合併により、旧月潟村は新潟市の一部となりました。その後、新潟市は2007(平成19)年4月に政令指定都市へ移行、かつての月潟村のエリアは同市南区の一部となっています。信濃川の派川である中ノ口川に接する月形地区の中心部周辺を散策しました。
この場所を訪れようとしたきっかけのひとつに、「米どころとして茫漠たる平地が広がる越後平野の田園風景を確認したい」という意図がありました。そうした観点から新潟市内の散策コースを調べていくうちに、この月潟地区を中心とした散策ルートの存在に気づき、この日の目的地のひとつとすることにしたという経緯があります。越後平野は言うまでも無く、我が国有数の稲作地帯で、大河・信濃川が形成する越後平野は、本州日本海側における最大の沖積地であり、そうしたダイナミックな風景を感じたいという切望もこの行動を後押ししました。月潟地区にはかつて新潟市中心部の白山前駅と燕市の燕駅とを連絡した新潟交通の電車線が経由しており(部分的な廃止を経て、1999(平成11)年に全廃)、中ノ口川に沿って鉄路が延びていた旧月潟駅は駅舎やホームなどが公園として整備されており、かつて使用されていた車両が保存されていました。 駅舎跡地の公園のすぐ東は中ノ口川の土手で、遙か彼方まで広がるような平地をゆったりと流れる中ノ口川の流れは、豊饒の大地を潤してきた悠久の時間を反映しているかのような、のびやかさを見せていました。旧月潟駅から南には、かつての線路敷が転換された遊歩道が中ノ口川に沿って延びています。約2.2キロメートルの遊歩道は豊富な木々に覆われていまして、気持ちよく歩くことのできるウォーキングコースとして供されていました。遊歩道の右手、西側には月潟地区の中心集落の美しい家並みが寄り添います。土手上の遊歩道を下り、「月潟商店街」と掲げられたアーチをくぐり、その月潟の町場を歩きました。後背地に広大な水田が広がる地域のローカルな中心商業地として存立してきた町並みは小規模な雁木を持つ商家や、土蔵造の建物も見えまして、米づくりを礎に多くの人口を養った地域の歴史を感じさせました。月潟地区は伝統芸能「角兵衛獅子の里」としても著名です。集落には角兵衛地蔵尊が祀られていました。
低平な越後平野には蛇行する多くの河川や、海岸から数列にわたり形成された砂丘が障害となり、かつての越後平野は排水性の乏しい低湿地が多く存在する場所でした。そうした大地を美田に変えるため建設された巨大な排水機場を訪問し、この日の活動を終えました。山間から平地へ、豊かな田園風景と雁木のしなやかな町並みは、水と雪とを克服し、大地と水の豊かな恵みを得てきた地域の歴史が色濃く反映されていました。豊かなさざなみをつくる水田を颯爽と横切る上越新幹線の高架と、そうした構造物ができる遙か昔からこの大地を見守ってきた弥彦山を望みながら、その景観にこの地域の歩みを重ねました。 |
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