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岡山・吉備路ノスタルジック・ウォーク

        


吉備路ノスタルジック

岡山駅前に市内電車で戻り、JR吉備線に乗換え、吉備路散策の入口の1つ備前一宮駅で下車し、駅前のレンタサイクル店で自転車を調達して、出発しました。JR吉備線沿線のいくつかの駅では相互に自転車を乗り捨てて借りることができるので、たいへん便利です。この日は、備前一宮から吉備路に点在する史跡をまわりながら、JR総社駅前に至るコースを辿ります。総延長約20キロメートルの道程は、「吉備路自転車専用道路」が整備されており、案内表示も充実、たいへん散策のしやすいルートとして、人気のあるコースであるようです。いただいた「吉備路史跡めぐり」と題したガイドマップを手に、備前一宮駅周辺の懐かしい雰囲気の町並みを抜け、線路を渡りますと、程なくして備前一ノ宮である吉備津彦神社に到着します。境内に設置された由来の説明書きによりますと、祭神は吉備津彦命(きびつひこのみこと)で、古来より備前一ノ宮として信仰を集めてきたものの、16世紀後半に迫害を受けて社殿は焼き討ちに遭ったとのこと。再建されたのは、1697(元禄10)年のこと。現在の社殿は1930(昭和5)年に再び焼失してしまった後、1936(昭和11)年に建てなおされたものであるのだそうです。三間社流造の社殿は慎ましやかに背後の赤松林に接し、鎮座しておりました。境内には寄進による大きな灯篭も設置され、古の信仰が現代に伝えられてきたさまを実感することができました。

春まだ浅い吉備路は、水田も山々も土色の顔をしています。吉備津彦が寄り添っていた吉備中山の丘陵に繁茂する竹林も、山々の丸みそのままの温かみを持ち合わせながらも、やはり茶色の混じった葉を風に揺らしています。つまるところ、サイクリングロード周辺の景観は寒々しい風合いを見せていたのでした。しかしながら、その田園風景、丘陵の姿、そして集落の景観はたいへんにたおやかでして、初夏の、鮮やかに、そしていっせいに萌え出ずる新緑の風景の輝かしさを想像させます。吉備路を渡る薫風の色は、今、目にしている景色そのもののやわらかさ、そしてあたたかさをもっているのではないか、そう思うと自然と心が温まり、ペダルをこぐ足にも力が入ってきます。屠殺された牛の供養のため牛の鼻繰りをうずたかく積み上げた「鼻ぐり塚」の横を通り、吉備津地域へと道は続いていきます。西辛川地区と吉備津地区の境界のほんの小さな流れに架けられた橋のたもとには、「両国橋」の文字がありました。備前の国から備中の国へと入ったことを、その道標は告げています。かつての国と国との境界線は、現在は同じ岡山市内の町と町との境になり、注意していなければ見落としてしまいそうです。国は分割されても、風土的、景観的には一体性、等質性が顕著な吉備路の縮図的なコンテクストを、その小さな橋は表現していたように思います。吉備中山沿いを更に西へ、吉備津神社参道には美しい松並木が添えられていました。

吉備津彦神社

吉備津彦神社
(岡山市一宮、2005.2.12撮影)


サイクリングロード周辺の景観

吉備路サイクリングロード周辺の景観
(岡山市一宮、2005.2.12撮影)


両国橋

両国橋(備前/備中)
(岡山市西辛川/吉備津、2005.2.12撮影)
吉備津神社参道松並木

吉備津神社参道松並木
(岡山市吉備津、2005.2.12撮影)

吉備津彦神社が備前一ノ宮であれば、この吉備津神社は備中一ノ宮の位置を占める古社です。こちらは備前中山の丘陵に背中をつけるように鎮座していまして、2つの庇が美しい「比翼入母屋造」の社殿は一際鮮烈な印象を与えます。祭神は吉備津彦神社と同じく、吉備津彦命。創建年代は不詳というたいへん古いゆかりを持つ古社で、南北朝時代に焼失したものを、時の将軍足利義満が備中国守に命じ、30年あまりの年月で再建させたものであるのだそうです。松並木に向かって階段の参道がつけられる一方、その反対側(南側)方向には長く美しい回廊がつけられています。その回廊の入口には、大鳥居が建てられています。付近は、鳥居前町を思わせる、昔ながらの商店が集積する町並みが素朴な雰囲気を醸し出していて、好感を持ちました。現代の都市空間を考えれば、ありふれた古めかしい住宅街という印象で多くの印象は埋められてしまうのかもしれません。その集落の佇まいは、鳥居前町として成立、発展した地域の熱い“息吹”がどのようなものであったかを、今に伝えているのかのようです。

吉備路のサイクリングロードは、備前から備中に入った田園の真っ只中を、集落の中を、軽やかに進んでいきます。足守川の手前の惣爪塔跡(かつての大伽藍を今に伝えると推定されている礎石)や、吉備津彦命がこの地の賊・温羅(うら)を討った伝説が息づく鯉喰神社などの史跡をたどりながら、ゆったりとした足守川の流れを渡って、山陽自動車道のたもとを進みます。

吉備津神社

吉備津神社
(岡山市吉備津、2005.2.12撮影)


吉備津神社鳥居

吉備津神社、鳥居・鳥居前集落
(岡山市吉備津、2005.2.12撮影)

造山古墳

造山古墳
(岡山市新庄下、2005.2.12撮影)
備中国分寺

備中国分寺
(総社市上林、2005.2.12撮影)

造山(つくりやま)古墳は、長径350メートル、全国でも4番目の規模を誇ります。付近には6つの小古墳が作られており、周辺の丘陵の緑のみずみずしさ、古墳に寄り添うような静かな集落景観とともに、さわやかな景観がつくりだされています。薄曇の古墳群をサイクリングするうちに、ふと2001年春、飛鳥を自転車で駆け抜けたあの日を思い出しました。この詳細は、拙稿「吉野・飛鳥短編随筆集」にてご紹介しています。甘橿の丘や雷の丘を望みながら、史跡の散らばる飛鳥の大地をめぐった、あの景色をどこか彷彿とさせるような、たいへん温かさを感じる景観が、吉備路にて甦った、そんな感覚です。これは、飛鳥における風景が、吉備路における景観的なイメージを包含しているという意味ではありません。吉備路の風景は、飛鳥のそれに似通ったエッセンス、雰囲気、においを持っていたという感覚です。私が最初に吉備路を訪れていて、後に飛鳥を訪れていたとしたら、きっと飛鳥の風景と見て、吉備路を散策したときの映像を脳裏に思い浮かべることになったに違いありません。

造山古墳群を過ぎ、低い丘陵群のすそを縫うように自転車を進めていきます。このあたりは、国分尼寺跡、こうもり塚古墳、備中国分寺、作山古墳(こちらも「つくりやまこふん」と読みますが、造山古墳とは別の古墳です)などの史跡が丘陵上にたおやかに連続していまして、先にご紹介した造山古墳周辺とともに、県立自然公園「吉備路風土記の丘」として、歴史文化の雰囲気を大切にした公園として環境整備が進められています。吉備路全体を通じて何度も指摘していますとおり、このエリアにおいても、その田園風景ののびやかなさまは、心を落ち着かせてくれているようで、和やかな気持ちになります。アカマツ林の向こう、穏やかに建つ備中国分寺の五重塔は、そんな吉備路を象徴する、ランドマークです。岡山県庁ホームページ内、「おかやまの自然百選」ページの紹介文には、国分寺の前景として、美しい田園風景が地域の人々によって守られてきたということが紹介されています。春には、地元の人々の努力による桃や菜の花が田園風景に彩りを添え、また秋には、黄金色の稲穂が垂れ、史跡と田園風景の見事なハーモニーを醸し出すとのことです。早春の吉備路の風景からも、そんなしっとりとしたうるおいに満ちた、すてきな景観が、まさに目の前に展開されるのだろう、と想像することができました。


足守川

足守川
(岡山市惣爪、2005.2.12撮影)
作山古墳

作山古墳
(総社市三須、2005.2.12撮影)

サイクリングの締めくくりは、総社宮の結構を中心に、昔懐かしい町並みが残る総社のまちです。かつて総社宮を中心に、総社駅方向に伸びる通り沿いにつくられていたというアーケード街は、現在ではなくなっていました。総社宮は、平安時代、備中国の主だった、324柱の神様を合祀した、「備中の総社」です。長い回廊、静かな池を中心とした三島式庭園が美しいことで知られているようです。拝殿には多くの絵馬が奉納されているとのことです。総社の町のオリジンこそ、この総社宮を中心とした門前町であったわけです。ここから電車駅まで市街地が展開し、今日の総社の市街地が形成されたのでしょう。その賑わいは、通りの随所に、力強く、濃厚に残されていました。人々が昔とは格段の流動性を手に入れた現代、このまちの市街地の姿も、やはり昔とは比べ物にならないほどの変化の中、静かに時を刻んでいました。

歴史と向き合い、いまの生活圏と重なり合いながら、たおやかに、ゆるやかに、展開される吉備路の数々の素晴らしい風景。心に深く、深く刻まれる地域の記憶は、どこまでものびやかに、かつ鮮やかに、人々の胸の中に納められることでしょう。


岡山・吉備路 ノスタルジック・ウォーク -完-

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