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#4 一宮市街地を歩く 〜真清田神社を中心に成長した繊維の町〜 2014年1月26日、愛知県尾張地方北部の中心都市・一宮市の市街地を歩きました。一宮は現在では名古屋と岐阜の中間点という地勢から、名古屋都市圏におけるベッドタウンとしての色彩が強い印象ですが、伝統的には一大繊維産業地域として都市基盤を整えてきた歴史のある町です。メタリックな格子状の意匠が印象的なJR尾張一宮駅ビルを一瞥しながら、市街地の散策に出かけました。
駅ビル前から真っすぐに伸びるシンボルロートは「銀座通り」と呼ばれているようで、地下に駐車場を設けた機能性も兼ね備えるプロムナードです。末端はロータリー状になっており、地下駐車場への出入口はこの部分に配されています。ロータリーから北へ続く「宮西通り」を通り、現代的な街並みの中を進みました。国道155号との交点である大宮一丁目交差点を右折して程ない場所に、真清田(ますみだ)神社は鎮座していました。尾張一ノ宮である同神社は、文字通り一宮市の名の由来です。中心駅前の密度の高い市街地を前に広大な境内地を擁し佇む社殿は、周囲の土地利用がいかに変容しようとも、この地に代々存在し続けた古社の格式を十分に感じさせました。 社殿に向かい合いますと、背後には緑豊かな社叢があって、ここが大都市圏内の都市の一隅であることを忘れてしまいそうな静寂に包まれます。広い境内地もその静かさを厳かな雰囲気の中に昇華させていまして、冬の早朝の清浄な神域の空気に心が洗われるようでした。門前の鳥居が現代の一宮市街地に向かって屹立する様子は、この神社が幾星霜の時代を通じてこの町を見守ってきたという気風を想起させました。
真清田神社の鳥居前から南へ続く街並みはアーケード街となっていまして、一宮市の繁華街として賑わいを見せています。本町(ほんまち)商店街と呼ばれるアーケード街を歩いていますと、「真清田神社二の鳥居跡」、「三八市の市神堂旧地」と刻まれた石碑があるのを見つけました。藩政期の享保年間から、一宮では「三八市」が立つようになり、周辺地域で生産された縞木綿や絹織物が取引されるようになり、これが今日まで続く繊維産業交流の基盤の一つとなりました。現在では都市の一隅にその存在だけが碑文で語られるのみとなりましたが、この町の礎となった往時の賑わいが現代の街並みの喧騒に受け継がれているといえるのかもしれません。 アーケード街は県道457号(伝馬通り)の大通りまで続いていまして、真清田神社の鳥居前町と、駅前の商店街とが連接し成長した一宮の中心市街地の態様を存分に体現していました。駅前の投宿先を後にして、向かった先は、木曽川が乱流し、河河道が整理された歴史を持つ木曽川南派川の左岸に建つ「ツインアーチ138」です。眼下に広がる濃尾平野を見渡しながら、この地域で育まれた産業や治水の歴史に思いを馳せました。 |
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