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尾張・三河探訪


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#5 犬山の街並み 〜国宝犬山城を擁する尾張の小京都〜

 2014年1月26日、早朝に犬山市街地を概観後木曽川南派川左岸のツインアーチ138を訪れていた私は、そのまま南派川沿いの県道を東進し、愛知県最北部に位置する犬山市街地へと自家用車を走らせました。木曽川本流が中央を流れ、同南派川と北派川とにはさまれた各務原市川島地区は、木曽川が形成した広大な中洲を生活の舞台にしている地域です。藩政期から明治初頭にかけて木曽川の分流が入り乱れて複数の中州に分かれ水害の常襲地帯であった同地区では、明治期以降流路の整理が行われて現在に至っています
 犬山市街地は、木曽川が日本ラインと呼ばれる峡谷部から濃尾平野に出る谷口に発達した町で、日本最古の天守閣建築として知られる国宝の犬山城と、その城下町が穏やかに展開する「尾張の小京都」として知られます。
犬山城近くの駐車場に車を止め、犬山市街地の散策を始めました。

犬山城

犬山城天守
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)
木曽川下流方向

犬山城天守から木曽川下流方向を望む
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)
木曽川上流方向

犬山城天守から木曽川上流方向を望む
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)
犬山市街地

犬山城天守から犬山市街地を望む
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)

 犬山城は藩政期からの天守が残るいわゆる「現存天守12城」のひとつで、国宝指定を受ける5城のひとつでもあります(残りは松本城、彦根城、姫路城、松江城)。創建は1537(天文6)年、織田信康の手によるもので、江戸時代初期の城主が頻繁に変わった時期を経て江戸時代は尾張藩付家老である成瀬氏の居城となり、そのまま幕末までを過ごしました。建築時期については天正年間(1573年〜92年)頃や慶長5・6年(1600・1601)など諸説があるようですが、今に残る天守の中では最古のものであると考えられています。別名を白帝城と呼びます。城内へ続く石畳の道を辿り進みますと、小規模ながらも質朴なたたずまいを見せる犬山城の天守が目の前に姿を見せました。

 木曽川に面した高台に構える三層の望楼型天守からは、眼下に木曽川がさっそうと流下する様子を確認しながら、濃尾平野や東側の丘陵地までを見通すことができます。木曽川の上流に目を向けますと、緑にあふれた小高い山々が連なる間を木曽川が峡谷をつくる風景が広がり、ここがまさに濃尾平野の北端であることが理解されます。犬山城自体も木曽川左岸の小丘の上に築城されていまして、周囲に目を配りながら防御を優先した、戦国時代の山城としての特質を兼ね備えています。

針綱神社前

針綱神社鳥居前(大手門跡)
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)
有楽苑

有楽苑・庭園
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)
本町通り

犬山城下町・本町通りの街並み
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)
犬山城天守を望む

犬山城下町・本町通りから犬山城天守を望む
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)

 城内の散策路を南へ、針綱(はりつな)神社の境内をそぞろ歩きながら、石段を下って城下町方面へと歩を進めます。公園坂と名付けられた坂をさらに下りて、郷瀬(ごうせ)川を渡りますと、国宝茶室如庵で知られる庭園・有楽苑(うらくえん)へと至ります。名鉄犬山ホテルの敷地内にある庭園は、国宝茶室の如庵をはじめ、重要文化財の指定を受ける旧正伝院書院や複数の茶室が配された趣のある景観が整えられていまして、冬の寂光の下、のびやかに春の到来を待ちわびるような、つつましやかな木々の風合いが目に染みました。

 有楽苑から公園坂を西へ戻り、今も昔も城下町のメインストリートとして栄える本町(ほんまち)通りへ。電線が地中化されて、平入の町屋造りの建物が軒を連ねる風景は、立春間近の白く滲んだ青空の下、とても美しい家並のアウトラインを空に並べていました。振り返りますと、そうした町屋が立ち並ぶ彼方に、丘の上にちょこんと乗っかったように犬山城の天守が見えまして、まさに小京都犬山のランドマークとしての風致を形成していました。街角に江戸時代の犬山城下の絵図が掲げられていました。犬山城を内堀で囲み、随所に鉤型のクランクを擁しつつも碁盤目状に割り出された城下町を外堀で取り囲む、いわゆる「惣構え」を構成していた当時の土地区画は、埋められた濠を除けば基本的に現在も当時のままであることが、その表示から見て取ることができました。惣構えの中央を南北に貫く本町通り沿いには町人地を置いて商工業の基盤とし、堀端の周辺部には武家地を配して城の守りとする構造であったようです。市街地は木曽川の段丘上の微高地に立地しています。

鉤型の街路

鉤型の街路が残る
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)
下本町

下本町アーケード街(訪問時)
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)
犬山駅前

名鉄犬山駅前
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)
寺内町

寺内町の景観
(犬山市犬山、2014.1.26撮影)

 本町通りは、名鉄犬山駅前から西へ延びてくる商店街から南はアーケード街になっていました(現在は撤去されているとの情報もあります)。ここから東西の通り沿いはこれまでの伝統的な町や景観とは打って変わり、現代的なビルや店舗などが集積する現代の都市景観が整えられていました。犬山駅前の街並みを概観した後は、惣構えの東南に設けられていた寺内町に今でものびやかな結構を構える寺院群を確認して、犬山城近くの駐車場へと戻りました。

 小規模ながらも藩政期から残る天守が町の中心にあり、昔ながらの街並みがよく保存された犬山の町は、木曽川の谷口という景勝の地であることも相まって、この上ない風光と歴史の香りとに包まれているように感じられました。江戸時代の息遣いが聞こえてくるような町場の風景が、名古屋大都市圏の一隅に現存することに、新鮮な驚きを憶えるとともに、おうした歴史的資産を現代に受け継いだ地域への尊敬の念を新たにしました。

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