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#7 高浜市・鬼みち散策 〜三州瓦の多様な姿に出会う道のり〜 2015年12月19日、早朝の高浜市大浜訪問を終えて名鉄線で北へ戻り、碧南駅から4駅目の高浜港駅で下車しました。高浜市の北に隣接する高浜市は人口約4万7千人のまちで、石州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つに数えられる三州瓦の産地として知られます。高浜市では特産の瓦を町並みの中でさまざまな形で楽しむことのできる散策ルート「鬼みち」が設定されていまして、手軽に地域の産業に触れることができるようになっています。この散歩道のスタート地点である高浜港駅前の「ニコニコ鬼広場」には幅が4メートルの瓦(鬼面)があって、来訪者を出迎えていました。
高浜市は南北に細長く湾入する衣浦港に面していまして、市域の大半は海岸から切り立った台地となっています。沿岸部は埋め立てが進んでおり、海岸へ向かってはゆるやかな下り傾斜となっている場所が多くなっています。その坂の途上には鬼パークと呼ばれる、鬼瓦を利用したベンチが置かれたスペースや、坂の土留めに土管が敷き詰められた箇所などがあって、瓦産業が日常に密接に関わっている地域性を存分に感じさせる風景が連続していきます。坂を下りきり、昔ながらの門構えを見せる建物も混じる住宅地域を進んだ先には、瓦をテーマにした日本唯一の美術館である「高浜市やきものの里 かわら美術館」がありました。玄関の前には大きな鯱が据えられていまして、瓦の産地としての矜持を感じさせました。 かわら美術館の北側には森前公園があり、ここでもさまざまな瓦が巧みに配されて、いぶし瓦(釉薬を使用せず、焼成後に空気を遮断し蒸し焼きにしてつくる瓦)を波のように敷き詰めた地面や、そこに設置された魚や亀などの造形が美しさと親しみやすさを演出していました。衣浦大橋が完成するまでは、衣浦湾を挟んだ対岸への交通手段は渡船が担っていましたが、ここ森前公園の地はかつて「森前の渡し」の渡船場があった場所です。そうした海との関わりと、地場産業の技術が融合する様子が印象的でした。公園の北の高台は観音寺の境内になっていまして、高さ8メートルの陶管焼の「衣浦観音像」があって、たおやかな表情を見せていました。この像は陶製のものとしては日本一の大きさで、1958(昭和34)年に建立されたものです。これほどの大きさのものを作り上げるには相当の努力と研究があったはずで、観音像はまさに高浜の瓦技術の結晶であると言えます。
観音寺からは、鬼みちは再び台地上を北へと進んでいきます。ここからは寺院を訪ねながら屋根の留蓋飾りに取り付けられている「飾り瓦」を鑑賞したり、路面に敷き詰められた「敷瓦」を散策したりといった、高浜市におけるいろいろな瓦の姿を探勝する道のりとなります。塩前寺(えんぜんじ)の烏天狗の飾り瓦は屋根の両側に乗っていまして、いきいきとした容貌が印象的です。「お福さん」の飾り瓦を載せたギャラリーの前を行き過ぎ、本瓦葺きの山門を持つ古刹・恩任寺を拝観し、敷瓦の小径をたどって、蓮乗院へ。この寺院の屋根には天女や玄武をはじめとした飾り瓦が屋根にあしらわれていまして、伝統的な風景の中にささやかな遊び心を付加していました。 鬼みちをさらに歩き、道祖神や馬頭観音のある町並みの中を進んでいきます。海面から高い位置にある途上からは、家並みの間から衣浦港の海が時折見えまして、工業化が進んだ現在から遙か以前の、衣が浦と呼ばれた佳景を誇った往時をわずかながら感じさせます。そして、散策コースは高浜の総氏神として篤い崇敬を受けるかすが地名の境内へと誘いました。豊かな社叢に包まれる境内には、陶製の狛犬や陶管焼の大タヌキがあって、高浜の町の歴史を和やかに語りかけてくれているように感じられました。
春日神社と大山緑地の訪問を終え、鬼みちのゴールとなる三河高浜駅へと歩を進めます。沿道の瓦工場には鍾馗が掲げられているのを確認しながら、瓦の庭「海」と名付けられたモニュメントに彩られる駅前へと至りました。三州瓦の「三州」とは「三河」のことで、西三河地域が瓦の産地となった背景は、何より原料となる良質な粘土が存在していたことや、大量輸送が可能な水運を利用できたことなどがありました。そうした利点を最大限に生かして今日の一大産地としての地位を確立した高浜の地勢を存分に感じることのできる、「鬼みち」の風景でした。 |
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