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#8 名古屋市熱田の風景 〜熱田神宮と東海道宮宿を礎とする町場〜 2015年12月19日、西三河地域・衣浦港に接する碧南・高浜両市の訪問を終えた私は、列車を乗り継いで名古屋市のJR熱田駅へと向かいました。駅前には、名古屋の市街地を南北に貫通する大津通があって、多くの交通量を受け入れていました。その通りの向こうに、豊かな社叢に包まれた熱田神宮の境内が目の前に見えていました。大津通を横断し、右手の神宮の森からこぼれる木漏れ日を受けながら、左手に道路越しに神宮前商店街のアーケードを見ながら、境内の入口へ進みました。
熱田神宮の東門は名鉄神宮前駅のほぼ正面に位置しています。こうした熱田神宮への参詣の利便性や、常滑方面への乗換駅であった経緯などからか、JR熱田駅前とくべて、こちらの駅前の方が圧倒的に繁華な印象です。駅前には駅ビル「パルマルシェ神宮」も立地していまして、商業機能も充実しています。熱田神宮は三種の神器の一つ、草薙剣を神体として祀る神社として知られています。その創建は113(景行天皇43)年とも伝えられる歴史を持ちます。境内は厳冬の日でも鮮やかな常緑の木々で覆われていまして、周囲が高度に都市化された中にあっても、厳粛な空気に包まれていました。本宮を参拝後、緑が豊かな境内を通り、南の正門から再び市街地へと歩を進めます。 熱田神宮の門前町は前出の大津通をはじめ、国道19号や国道1号が貫通する現代的な都市の只中となっていますが、古くから栄えた町場・港町として存立し、江戸時代初期に計画的に形成された現在の名古屋市中心部よりも以前から地域の中心として栄えていました。江戸時代には東海道の宿場町「宮宿」も整備され、東海道はここから桑名宿までは「七里の渡し」と呼ばれる海路で連絡していました。熱田神宮正門から南へ、程なくしてその七里の渡し跡を中心に整備された宮の渡し公園へと到達できます。公園内には鐘楼や常夜燈が復元され、往時を偲ばせていました。海面の先には埋め立ての進んだ現代的な港湾風景が広がっていまして、これらの新旧の港の風景は、日本三大都市圏の一角として急成長を遂げた名古屋の近現代史をそのまま写しているようにも感じられました。
宮の渡し公園に面した町並みの中には、反省嫌いの面影を残す町屋も残っているようで、江戸時代の宮宿の繁栄を彷彿させていました。七里の渡し跡からは旧東海道に沿って歩いてみることとしました。旧街道筋は道路舗装がそれと分かるように識別されていまして、迷うこと無く辿ることができます。街道を横切って貫いている国道247号の手前には、宮の常夜燈を1654(承応3)年から1891(明治24)年まで管理していたという宝勝院があります。その建物も周囲の都市化に呼応してコンクリート造のものになっていたことも、この町の変遷を象徴しているように思われます。国道を越えてさらに旧道を進みますと、伝馬町へと東へ折れる箇所に東海道の道標が現存しています。東は江戸、南は伊勢・七里の渡し、北は名古屋・木曽道と刻まれた道標は、刻まれた文字の態様によって、この石碑が歩んできた時間の長さと、この場所の高い要衝性とを表現しているように思われました。 道標から東は、伝馬町の商店街を形成していました。大通りの入口には「伝馬町」と大きく掲げたアーチがある一方で、商店街としてはやや斜陽化している印象で、商店街の中程が大津通によって分断されていることが、伝統的な街道筋の命脈に少なからぬ影響を与えたのでは無いかとも想像されました。現在の熱田神宮周辺は、地方ブロックを統括する大都市である名古屋が高度経済成長期以降に作り上げた巨大都市圏に組み込まれる過程で、その産物である複数の幹線道路によって秩序づけられた新たな交通軸に再編成された、大都市圏内の部分地域の一つとなっていました。その中にあっても、熱田神宮が地域の伝統を承継する存在として今なお大きなランドマークであり、七里の渡し跡周辺における史跡群が、この地域の礎を伝えていまして、それがこの町の個性となっていることは特筆に値すると思われました。
最後に、この項の内容としては番外となりますが、地下鉄伝馬町駅より市役所駅へ移動し、名古屋城を見学したことを付記します。名古屋城は先ほど触れましたとおり、江戸時代になって、徳川家康によって新たに築城されました。西の豊富家の抑えとして整えられた城は、やがて尾張徳川家の居城となり、城下町も整備されて、現在の名古屋の基礎が生み出されました。本丸御殿の再建が進む現場を一瞥しながら、1959(昭和34)年に再建された天守へ。その階上から眺望する名古屋の町並みは濃尾平野一円に広がって、遠くにたなびく丘陵のたもとまで届くかのような印象でした。 |
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