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尾張・三河探訪


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#9 常滑・やきもの散歩道をゆく 〜焼き物に彩られる風景〜

 2015年12月20日、前日の碧南市・高浜市・熱田のフィールドワークに引き続き、愛知県内の地域めぐりを行いました。この日の目的地は知多半島の都市群で、前日歩いた地域からは衣浦港を挟んで対岸に位置する場所となります。名鉄名古屋駅から知多半島西岸を貫通する常滑線に乗車し常滑駅へと至りました。2005年2月に開港した中部国際空港(セントレア)へのアクセス線が常滑線を延長する形で開業してからは、名古屋方面へのアクセスも向上しているようでした。

常滑駅前

名鉄常滑駅前
(常滑市鯉江本町五丁目、2015.12.20撮影)
マルゴの坂

マルゴの坂
(常滑市北条三丁目、2015.12.20撮影)
常滑駅俯瞰

マルゴの坂上から常滑駅を望む
(常滑市北条三丁目、2015.12.20撮影)
北山橋

北山橋と「とこにゃん」
(常滑市北条三丁目、2015.12.20撮影)

 高架駅である常滑駅を出発し、知多半島の中心に発達する丘陵地へとつらなる高台を上る、「マルゴの坂」を辿りました。この「マルゴの坂」の名前は、この場所にかつてあった「丸五製陶所」に由来するものであるようです。常滑は、日本六古窯のひとつである常滑窯(常滑焼)の産地として知られます。日本六古窯の中では最古かつ最大の規模とされる常滑焼は、現在でも主要な産業として、焼き物の町常滑の屋台骨を支えています。マルゴの坂を登り切りますと、高架となった常滑駅と、その周辺の市街地風景とを目の前に眺望することができました。製糖関連と思われる、レンガ製の煙突が付属する建物群を一瞥しながら、市道の上をまたぐ北山橋を渡り、さらに多くの窯業関連の現役施設が集まり、その遺構が残るエリアへと進んできます。この丘陵上の一帯にはそうした焼き物にまつわる事物を周遊することができる散策路「やきもの散歩道」が設定されています。

 北山橋の南詰には大きな招き猫のモニュメントがあって訪れる人の目を楽しませていました。常滑は国内でも最大級の招き猫の産地で、この幅6.3m、高さ3.8mの巨大な招き猫は「とこにゃん」の愛称が付けられ、地域の産業をアピールしています。高度経済成長期前後に建てられたと思われる家々の中にレンガ造の煙突が混じる路地を進みますと、焼き物に丹精を込めてきた地域の歴史の中を歩んでいるような気がしまして、どこかうれしい気持ちになります。黒塗りの板塀のある建物や、路面にぎっしりと焼き物を敷き詰めた小道、石垣の代わりに土管を積み上げた法面など、いかに焼き物が地域に密接に関わってきたかを存分に示す風景が連続していきます。やがて到達した廻船問屋瀧田家は幕末に廻船経営を始めた同家の建物を整備・復元し、常滑の歴史を紹介する資料館として開館したものです。やきもの散歩道の中心に位置することから、散策中の小休止にもちょうどよい立地ともなっています。もちろん、回船業を営んだ同家の史料も展示されていまして、往時の文化的背景も知ることができます。焼き物産業の成長には、こうした物流面の発展も大きく寄与したことは想像に難くありません。

デンデン坂

デンデン坂
(常滑市栄町四丁目、2015.12.20撮影)
廻船問屋瀧田家

廻船問屋瀧田家
(常滑市栄町四丁目、2015.12.20撮影)
土管坂

土管坂
(常滑市栄町四丁目、2015.12.20撮影)
やきもの散歩道

やきもの散歩道の路地風景
(常滑市栄町六丁目付近、2015.12.20撮影)

 瀧田家の南には「デンデン坂」という名前で呼ばれる坂道があります。湊に入る舟の様子を瀧田家に伝えるルートであったことから、丘を「伝の山、通称デンデン山と呼び、坂道の名前のもととなったといわれているようでした。坂道も路面や斜面にもふんだんに焼き物や土管が使われていまして、焼き物の里としての常滑をさらに印象づけていました。散歩道の途上にはその名も「土管坂」と呼ばれる坂道まで存在していまして、焼き物を日常生活の一部として、無駄なく活用してきた地域の文化史を象徴していました。

 散策路の最南には、常滑で唯一残された登窯の遺構が保存されています。1887(明治20)年に33名の窯仲間によって開設され、1974(昭和49)年まで使用されました。関わりのあった企業の名前から「陶栄釜(とうえいがま)」と呼ばれたこの登窯は、薪や松葉に加え、燃料に石炭を利用したことから折衷式と呼ばれました。このような形式の登窯は明治末期の最盛期で市内に60基ほどがあったとされています。石炭釜の普及とともに登窯は棄却され、現在はこの1基を残すのみとなっています。登窯は1982(昭和57)年、重要有形民俗文化財の指定を受けています。およそ20どの斜面にしつらえられたレンガ製の登窯は、実に重厚な構造をしていまして、この窯でたくさんの製品を焼き、搬出していたであろう昔日の熱気をその壁面に幾ばくか宿しているようにも思われました。窯の上に屹立する10基の煙突は両隅にいくにつれて高く、中央が低くなっています。これは通気性を一定に保ち、窯の隅々まで均一に火を通すようにした工夫したものであるとのことでした。

登窯

登窯
(常滑市栄町六丁目、2015.12.20撮影)
登窯の煙突

登窯の煙突
(常滑市栄町六丁目、2015.12.20撮影)
煙突の見える風景

レンガ製の煙突の見える風景
(常滑市栄町三丁目、2015.12.20撮影)
常滑の風景

常滑の風景
(常滑市栄町三丁目、2015.12.20撮影)

 登窯の遺構を見学した後は、現役の窯元やすでに廃業したと思われる事業所が点在する散歩道をもと来た方向へと歩いて、新陳代謝を経ながら今日までその命脈を維持し続ける焼き物の町の今を目で確かめました。ギャラリーやカフェとして活用される建物もあって、現代のライフスタイルへの適応を模索する姿もたいへん印象に残りました。いちき橋を渡り、陶磁器会館前を通り、最初に通過した北山橋の下、「とこなめ招き猫通り」と名付けられた一角を経由して常滑駅前に戻りました。常滑の地名は粘土層が多く露出する土壌に起源を求める説が有力視されているようです。すなわち、「常」は「床」の意で、「滑」はそのまま「滑らか」であることを指しているというものです。焼き物に適した地質に注目し、それを一大産業へと昇華させた歴史は、常滑という地名の中にまさに刻まれています。

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