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りょうもうWalker

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#1 足利・橋物語 〜足利市内、渡良瀬川に架かる12の橋〜 前編


両毛地域の野や山を流れ下る渡良瀬川は、地域ごとに、また季節ごとに、さまざまな表情をみせてくれています。そう遠くない過去には、悲しいできごともありましたが、今も昔と変わらぬ穏やかに、両毛の大地を潤しているように思います。そんなそんな渡良瀬川ともっとも密接に関わっている地域の1つが、両毛の中心、足利市です。市域のほぼ中央を、東から西へ、約17キロメートルにわたって渡良瀬川に身をゆだねています。渡良瀬川は、足利市に現在12の橋を架けさせています。上流から、順に、葉鹿(はじか)橋、鹿島橋、緑橋、渡良瀬橋、中橋、田中橋、岩井橋、福寿(ふくじゅ)大橋、福猿(ふくさる)橋、川崎橋、渡良瀬川大橋、そして、高橋大橋の12の橋たちです。すべての橋が、車両も通行することのできる橋です。人口16万人強の都市にあって、これほどの橋がかけられているというのは、もしかしたらめずらしいことなのではないかな、とも思っています。りょうもうWalker第一弾は、そんな足利市の12の橋についてご紹介したいと思います。

崖を意味するという大間々の町で平野部に突入する渡良瀬川は、桐生の市街地の南をかすめながら、足利市の市域に入ります。しばらくは、太田市との境界を川は流れていきます。


葉鹿橋(はじかばし)

葉鹿橋から眺める赤城山

葉鹿橋から眺める赤城山
(足利市葉鹿町、2003.12.27撮影)
葉鹿橋・新橋

葉鹿橋・新橋
(足利市葉鹿町、2003.12.27撮影)
解体が進む旧橋

解体が進む旧橋
(足利市葉鹿町、2003.12.27撮影)

 太田市原宿町と足利市葉鹿町とを結ぶこの橋は、1968年に最初の橋が完成しましたが、実は栃木県側と群馬県側とで架橋の時期が異なったそうで、長らく県境の部分で幅が変わるという、通行に少々注意の要する橋でした。最近、真ん中の写真のような、近代的な橋に架け替えられました。すっきりとしたラインの橋からは、渡良瀬川の流れの向こう、赤城山の姿を眺めることができます。元の橋は、橋げたから橋の本体を取り外す作業が終わっていたようで、長年の風雨に耐えた橋梁が河川敷に並べられて、解体の時を待っていました。

●鹿島橋(かしまばし)
 
北関東道の橋げた

鹿島橋下流、北関東道の橋げた
(太田市只上町、2003.9.28撮影)
鹿島橋遠景

鹿島橋遠景
(太田市只上町、2003.9.28撮影)
鹿島橋から見た渡良瀬川

鹿島橋から見た渡良瀬川(上流方向)
(太田市只上町、2003.9.28撮影)

 太田市只上町と、足利市鹿島町を結びます。葉鹿橋、鹿島橋ともに、足利市と太田市に跨る橋でありながら、足利市側の地名が橋の名前になっているのは興味深いですね。太田市側に進むと、国道50号線の交差点から国道122号線に至ることもあり、この地域の交通上重要な役割を持っている橋です。両岸は基本的に穏やかな住宅街で、河川敷の緑も多く、比較的豊かな自然環境が保たれています。1972年に完成し、両側の道路も整えられて、現在のような至便な通行路となりました。付近には、足利工業大学のキャンパスがあります。なお、橋のすぐ下流に、新たな橋げたが完成しました(写真左)。建設が進む北関東自動車道の橋げたです。前述の国道122号線には北関東自動車道の太田インターチェンジ(仮称)が設置される予定となっており、この橋の重要性もますます向上しそうです。

葉鹿橋、鹿島橋を通過した渡良瀬川の流れは、最近惜しまれつつ閉鎖された足利競馬場の南あたりから足利市域に入っていきます。そして、足利の市街地の南縁へと進みます。市街地付近は、足利市内にあって特に橋が設置される頻度が高く、新しい橋緑橋を含め、渡良瀬橋、中橋、田中橋、と立て続けに橋に出会います。


●緑橋(みどりばし)

太田市の金山を望む

「緑橋」の表示、金山(太田市)を望む
(足利市緑町二丁目、2003.12.27撮影)
緑橋

緑橋
(足利市緑町二丁目、2003.12.27撮影)
足利市街地と渡良瀬川

緑橋から望む足利市街地
(足利市緑町二丁目、2003.12.27撮影)

1992年、渡良瀬川に久しぶりに新しい橋が完成しました。もとは、東武伊勢崎線野州山辺駅へと向かう木橋だったそうですが、欄干が落ち着いた緑色に統一された、近代的な永久橋に生まれ変わりました。太田方面から足利の中心部に行くには、以前は渡良瀬橋まで行く必要がありましたが、この橋の完成によって市街地の手前で渡良瀬川北岸に出ることができ、たいへん便利になりました。北詰から通七丁目へ至る両毛線の跨線橋も完成し、ますます利便性が高くなりました。橋からは、太田市の中心に聳える金山や、上州三山の1つ赤城山をきれいに望むことができるほか、渡良瀬川の流れの向こうに足利市街地の町並みを望むこともできます。右の写真がそれです。ちなみに、写真に写っている橋は渡良瀬橋です。

●渡良瀬橋(わたらせばし)

女浅間神社から市街地を望む

女浅間神社から市街地を望む
(足利市田中町、2003.12.27撮影)
渡良瀬橋

渡良瀬橋
(足利市田中町、2003.12.27撮影)
女浅間神社

女浅間神社
(足利市田中町、2003.12.27撮影)

森高千里さんの楽曲で、全国的に名前が知られた渡良瀬橋ですが、市街地に接して並ぶ3つの橋のうち、西側に位置しています。この橋は、足利市で最初に架けられた渡良瀬川の橋なのだそうです。その最初の架橋は、1902(明治35)年4月のことで、洋式の木橋は、当時としてはたいへん珍しいといわれたのだそうです。その後、2度にわたり改修が行われ、鋼材を使った鉄橋であることから、足利では「鉄橋」の名で親しまれています。
南詰は丘陵になっており、頂上には浅間神社が鎮座しています。橋に近いほうの下社は「女浅間神社」、東武線の線路を越えた頂きにある上社は「男浅間神社」と呼ばれています。6月1日に開催される「初山ペタンコ祭」は奇祭として知られ、生まれたばかりのこどものおでこにはんこうを押してもらうと、こどもが健康に育つと言われています。


●中橋(なかばし)

中橋・夜景

中橋・夜景
(足利市南町、2004.2.1撮影)
中橋

中橋
(2003.12.27撮影)
中橋から見た渡良瀬川、市街地

中橋から見た渡良瀬川、市街地
(2002.1.18撮影)

1936(昭和11)年に完成した、足利市でも最も古い橋の1つであるこの中橋は、その名のとおり、足利市街地の中心に位置する橋です。アーチを描く橋梁にはイルミネーションが施されていまして、夜の姿もなかなか見ごたえがあります。東武線足利市駅に程近く、またJR両毛線の足利駅からもそう遠くない位置にあることから、両駅を徒歩で移動するときには必ず渡る橋ですね。
私は、この橋を渡りながら眺める、渡良瀬川の流れに向き合う足利の町並みが大好きです。西側にはわずかに赤城山を望みながら、その山なみが織姫山などの足利の山なみにつながり、そのたおやかさがそのまま町並みのスカイラインにつながります。冬ともなると、赤城おろしにさらされてたいへんな思いをするのですが、そういう天気のときは、空も青く、川もいっそうクリアで、美しい町並みを堪能することができるんです。東京方面から東武線で足利にお越しの際は、この橋が足利への玄関口になります。どうか、中橋から見た足利の町並みの美しさを味わっていただきたいですね。


※中橋ちょこっと情報
 上の写真の中橋のイルミネーションですが、電球の数は326個なのだそうです。足利市の郵便番号の上3桁と同じ数字です。
(足利市在住の「わたらせG」さんに教えていただきました。感謝です☆


●田中橋(たなかばし)

田中橋から見た岩井山(下流方向)

田中橋から見た岩井山(下流方向)
(2003.12.27撮影)
田中橋北詰

田中橋北詰
(足利市伊勢南町、2003.12.27撮影)
足利花火

足利花火
(2003.8.2撮影)

中橋が足利市街地の町並みの美しさを伝える古きよき足利の象徴であるとすれば、田中橋は戦後急速に郊外へ都市化の波が及んだ、現代の足利を象徴する橋なのではないでしょうか。通過する車両が多く、しばしば渋滞を起こす橋を見ますと、そんな思いが過ぎります。田中橋の南詰から国道50号線に至るまでの地域は、郊外型のいわゆるロードサイド型の店舗や、比較的規模の大きいショッピングセンターが集積する商業地域となっていまして、多くの買い物客が集る、活気あるゾーンを形成しています。
また、この田中橋は完成当初は有料の橋であったことでも知られています。現在の鉄筋コンクリート製の橋ができたのは1970年で、乗用車60円、自転車は10〜20円くらいを徴収されたといいます。1976年からは無料化されたのですが、そのことと期を一にするかのように、渡良瀬川川南地域への都市化が進展していったようです。
また、田中橋は、8月第一土曜日に開催される足利花火の見物にはもってこいの場所です。

※上の花火の写真は、田中橋から南に向かうとありますダイエー(Dマート)の屋上で撮影しています。


以降は、後編に続きます。

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