Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > りょうもうWalker・目次
りょうもうWalker
←#2ページへ |
#4ページへ→ |
||||||||||||
#3 館林、城下町の面影 館林は、水と緑に育まれた町だと思います。多々良沼や城沼、鶴生田川、谷田川などのゆたかな水辺や、茂林寺周辺や市役所周辺の溢れんばかりの緑は、この土地が人間の営みの中でも、常に豊かな自然と隣り合っていた歴史を象徴しているかのようです。 また、館林は将軍を輩出した城下町としての顔もあります。現在でこそ、東北自動車道のインターチェンジが設置されている国道354号線(「東毛幹線道路」と呼ばれ、将来的には片側2車線の道路が高崎市まで通じる計画になっています)と、南北の国道122号線を軸に、自動車交通の絶えない、現代的な都市構造を持つ館林ですが、街中を歩いてみますと、城下町としての館林を数多く発見することができました。今回は、自然豊かなコンパクト・シティ、館林の街中に、城下町の面影を見つけに行ってみました。
東武線館林駅は、小ぢんまりとしながらも、モダンな駅舎です。モルタル壁の寄棟造りの簡素な駅舎の正面に、アーチ型のファサードが突き出し、時計が掛けられています。昔の写真を見ますと、この時計のある構造が中央にあり、左右対称の形をしていたようです。館林駅を出発し、近年整えられた駅前通を東へ進むと、程なくしてかつての県道前橋館林線の南北の通に達します。交差点を北へ進みと、本町二丁目交差点を経て、館林郵便局前まで進みます。このあたりは、城下町時代にも存在したメイン・ストリートの1つで、日光脇往還の一部をなしていました。足利・佐野方面へ通じた北辺の入口は「佐野口」と呼ばれていましたし、「足利町」という旧町名もあったほどです(現在、足利銀行館林支店があったりします)。今では相対的に落ち着いた雰囲気の商店街になっているようですが、所々に凝った意匠を持つ商店があるなど、往時の活気が伝わってきそうな、懐かしい佇まいを見せる街区であるように思えました。館林郵便局から西へ進んで城下町を出るルートは、「太田口」と呼ばれ、沿道には酒造店の蔵を見ることができます。館林税務署・県合同庁舎前を通り、本町二丁目交差点方向に再び東へ進みました。周辺も、穏やかな商店街が続いていまして、その中でも市民センター分室として利用されている建物は、市街地の中で先駆的に建設された西洋風の建築物のようでした。ここまで書き進めてきましてうすうすお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、館林市街地の主要街路は、近世城下町時代のそれをほぼそのまま踏襲しているわけです。本町二丁目交差点を東へ、東京電力営業所の手前にある「三角公園」のあるあたりに、城内への唯一の入口、大手門がありました。現在の地図を見ますと、この三角公園のある位置を含む南北のラインで、道路が東と西でやや不連続につながっているように見えます。これは、ここに城内と城下町とを分ける掘割がなされていた跡であるわけです。こんなところにまで、城下町館林の面影を垣間見ることができるわけです。人が集っていた鯛焼き屋さんで買った鯛焼き(とてもおいしい!)を片手に、市役所方面へと歩いていきました。
赤煉瓦の館林市役所は、多くの木々に囲まれています。市役所がある場所は、かつての二の丸で、向井千秋記念こども科学館のあるあたりが本丸でした。科学館の南、市役所東の広場との間に、土塁跡がしっかりと残っています。館林城は、城沼を自然の要害にした城郭で、南には城沼に流れ込む鶴生田川があり、東南東に向かって沖積平野に突き出した高台の館林の地は、その立地点としての条件を備えていたのでしょう。城内の侍町(現在の大手町や城町の付近)から三の丸へ通じた「土橋門」は、現在でも土塁とともに往時のごとく復元されています。現在の館林における南北の幹線である県道佐野行田線の喧騒などにまぎれて目立たない場所にありますが、このあたりにも館林城下町の断片が残っていたのは驚きでした。城沼は、その名のとおり城に接する沼ということで、館林の豊かな自然環境を代表すると共に、城下町館林をも象徴する水辺ですね。沼の南のつつじが岡(花山)公園のつつじは本当に見事です。周辺は水生植物園などが整備され、桜並木や豊富な樹木など、四季折々に散策を楽しめるエリアです。向井千秋記念こども科学館と道路を隔てた北側にある、館林市第二資料館には、館林を代表する歴史的建造物が、たおやかな森の中に移設保存されています。旧上毛モスリン事務所は、群馬県指定の重文で、シンメトリー構造を基本とした擬洋風の建築物として資料的価値の高いものです。「上毛かるた」に「誇る文豪田山花袋」と謳われる、田山花袋旧居も保存されています。武蔵野の現風景にも似た、穏やかな景観は、一見の価値があると思います。資料館の事務所で、館林城下の復原地図(1,500円)と、館林の中心市街地活性化を考える市民グループ「まち研」監修の「まちなか散策ガイド」をもらい、さらに館林の城下町の面影を捜してみることにしました。 この「まちなか散策ガイド」は、たいへんによくできた素晴らしいガイドマップで(まち研ホームページは、館林市役所ホームページから入れます。関心のある方はご覧になってはいかがでしょうか)、土橋門をはじめ、最近城下町の景観を復原する市のプロジェクトが進行して武家町の佇まいが現れつつある旧鷹匠町、かつては酒造業や醤油作りを営んだ大店「外池商店」の建物、複数の屋根や破風が特徴的な旧二業見番組合事務所(現在は本町二丁目東区民館として利用されている)、青龍神社や青梅天満宮などの地域コミュニティと密着した寺社群、国の登録文化財に指定された毛塚記念館など、館林駅と館林市役所の間に散在する、城下町を感じさせる場所をうまく散策ルートに取り込みながら構成した同グループの活動は、賞賛に値するものだと心から思いましたね。また、ルートの途上には、グループが手作りで完成させたと思われる案内標示板や丸太のベンチなどが設置されていまして、穏やかな館林の市民性を感じることもできました。途中、鷹匠町(現在の大手町3番から6番あたりまでの街区)から外池商店(本町二丁目、足利銀行支店の東)に至るルートが微妙にいくつかのカーブを描く個所は、凹地になっていまして、城内と城下町とを区画した掘割があったことを伝えていました。
毛塚記念館を過ぎ、キンカ堂の広大な駐車場を抜けて、駅前広場に向かうと、ぽつんと1つ、井戸が残されています。これは、亀の井と呼ばれる井戸で、館林城下町では広大な寺域を持った善導寺境内にあったものです。駅前広場の整備に伴って、善導寺は楠町へと移転したのですが、寺の面影を残すために残されたものなのだそうです。この井戸は、城沼や先に紹介した青龍神社の清龍の井戸とつながっているという、沼や水に関わる竜神にまつわる伝説もあるようです。 亀の井の前を通ると、館林駅はもう目の前です。駅前のロータリーには、館林が生んだ昔話「分福茶釜」に登場するたぬきのかわいらしい置物が置かれて、訪れる人を迎えています。つつじやあやめの咲く初夏が、城下町館林を満喫する絶好のシーズンだと思います。このような小粒でもたくさんの魅力に溢れた館林の町を、訪れてみてはいかがでしょうか。 |
|||||||||||||
←#2ページへ |
#4ページへ→ |
||||||||||||
このページのトップへもどる りょうもうwalkerの目次のページへもどる ホームページのトップへもどる |
|||||||||||||
(C)YSK(Y.Takada)2004 Ryomo Region,JAPAN |