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#10 藪塚本町の山野 〜穏やかな丘陵と大地〜

2005年3月28日、太田市、尾島町、新田町、藪塚本町が合併し、新しい太田市が誕生します。合併を直前に控え、新たに「太田市」となる地域のご紹介は、続いて藪塚本町についてお話しようと思います。

藪塚本町は、いわゆる明治の大合併により、1889(明治22)年に発足した町です。それ以来一度の合併も経験せずに、116年の歴史を歩いてきたことになります。現在の大字である藪塚、大原(おおばら)、大久保、六千石、山ノ神、寄合がそれぞれ藩政期の村を継承していまして、そのうち大きな集落であった藪塚村と本町村(現在の大原、この地区は時代により大原村、本町村、大原本町村などと呼称されてきたといいます)の名前をとって、「藪塚本町」と名づけられました。つまり、自治体名としては、本来は「藪塚本町町」といった名称が相応しく、末尾の「町」の字は自治体の種類としての「町」の意味を、地名である「本町」の2文字目にだぶらせているものということになるわけです。このような事情から、合併後も、「藪塚本町総合支所」など、一部の行政機関が「藪塚」ではなく「藪塚本町」の名を継承するなどの配慮が見られます。面積的に大きいだけでなく、この2つの集落は伝統的にもまとまった町場を形成してきたようです。とりわけ、大原(本町)は足尾銅山からの銅を運んだ銅(あかがね)街道の宿駅としての基盤を有してきました。現在でも、大原地区を南北に貫く県道沿いには、鬱蒼とした屋敷林を従えた、蔵造りの重厚な家々が軒を連ねていまして、並々ならぬ存在感を示しています。藪塚の町は、大原よりは時代の下った、主に鉄道の敷設以降に大きく成長を見せた場所ではないかと考えます。東側の八王子丘陵に位置する藪塚温泉の入口などとして、鉄道駅の周辺が開けたのではないでしょうか。ただ、藪塚の町も在郷の中心的な集落をその基礎に持っているのだろうとは思います。

「藪塚本町」の表示

県道太田大間々線、「藪塚本町」の表示
(藪塚本町藪塚、2004.11.7撮影)

大根畑

山ノ神地区、大根畑
(藪塚本町山ノ神、2004.11.7撮影)

大山祗神社

大山祗神社
(藪塚本町山ノ神、2004.11.7撮影)
藪塚駅付近

東武藪塚駅付近の町並み、県道太田大間々線沿い
(藪塚本町藪塚、2004.11.7撮影)

※合併後(2005.3.28以降)は、太田市藪塚町、太田市山ノ神町 となります。

 太田市強戸(ごうど)地区から、県道太田大間々線を北上し、藪塚本町へと入ります。付近では北関東自動車道の工事が徐々に進捗してきておりまして、東武線を越える部分を中心に橋梁の建設や盛り土が進められてきています。新しい太田市には、いずれも仮称で「藪塚IC」と「太田IC」の2つのインターチェンジが設置されることになっています。巨大な幹線道路の建設が進み、地域の景観は変容していく過程にある一方、大根畑やビニールハウスなどがたおやかに展開する、伝統的な畑作地域としての佇まいも濃厚に大地に刻まれています。このあたりは、地質的には「大間々扇状地」と呼ばれる、水はけのよい、高燥な台地に該当します。渡良瀬川の谷口、大間々の町を扇の要(扇頂部)として、そこから南へ、扇形に展開するなだらかな台地ということになります(このことは、現在は桐生市から足利市方面へと流下する渡良瀬川も、かつてはこの地域を北から南へ流れていた時代もあったということを示しています)。水の得にくいこの一帯は耕作には不向きでありました。岡登(おかのぼり)用水は、この地域に通水し、新田開発を可能にした、一大灌漑用水でした。江戸初期、笠懸野と呼ばれたこの地域の代官であった岡登景能(かげよし)は、岡登用水の掘削等、この地域における灌漑用水路の建設に意を注いだ人物です。これらの用水路の開削の結果、この地域に田畑2,300余町歩が新たに開墾されたと伝えられています。岡登用水をはじめとする水路は、現在でも大間々扇状地の台地を豊かに潤しています。


 山ノ神地区は、上述した広大な畑の中に、屋敷林を従えた集落が点在するエリアです。「山ノ神入口」信号から北西に入る街路沿いには、ケヤキなどの樹木が軽やかに繁茂して、この地域における冬季の冷たい北西季節風から、家屋を守っています。この地区には、大山祗(おおやまつみ)神社と呼ばれる古社があります。大山祗神社と言えば、瀬戸内海に浮かぶ愛媛県大三島に鎮座する神社があまりに著名です。この山ノ神の大山祗神社はその末社に位置づけられる村社であり、「山ノ神」の地名そのものの典拠となっているものであろうと思います。山ノ神の地名と共に、かねてより気になっていた存在でした。実際に足を踏み入れてみますと、しゃんと伸びた杉の木立の中、3つ4つと参道に連なる鳥居の向こうに鎮座するお社の姿は、実に凛としているように感じられます。信仰を寄せながら、この台地を実りの溢れる耕地へと変えてきた先人の偉業を垣間見る思いです。

岡登用水

岡登(おかのぼり)用水
(藪塚本町藪塚、2004.11.7撮影)

案山子とスイカのモニュメント

案山子とスイカのモニュメント
(藪塚本町藪塚、2004.11.7撮影)

サルビアがきれい!

田園風景の彼方に県道沿いの市街地を望む
(藪塚本町藪塚、2004.11.7撮影)
休耕田に植えられた蕎麦

そばの花、八王子山丘陵を望む
(藪塚本町藪塚、2004.11.7撮影)

藪塚の町の東、東武桐生線の鉄路を越えた一帯は、八王子山丘陵のなだらかな稜線とみどりのもとで、たいへんのびやかな田園風景が広がるエリアとなっています。藪塚本町ではまとまった水田の展開する地域で、藪塚温泉への入口には、この町の特産物である「紅小玉スイカ」と、近年観光の呼び物として知られるようになった「案山子(かかし)」とがモチーフとなった、愛らしいモニュメントが設置されています。ゆたかな田園は、収穫の時を過ぎ、蕎麦の花やサルビアの鮮やかな赤が萌えるような秋色を演出しておりました。北西の方向には、上州の山野をあたたかく見つめる赤城山の姿ものびやかに眺められます。赤城山の緩やかな裾野の姿そのままのたおやかさ、さわやかさを、藪塚本町の山野は宿しているように思います。

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