Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > りょうもうWalker・目次
りょうもうWalker
←#12ページへ |
#14ページへ→ |
||||||||
#13 銅(あかがね)街道・花輪宿の町並み 〜静かな山里に展開した町場〜 2006年3月27日に、勢多郡東村と笠懸町、大間々町が合併して新しい市“みどり市”が成立しました。この新市の名前は公募結果をもとに合併協議の中で決められたものです。その結果絞り込まれた最終案の中に現市名である“みどり”のほかにもう1つ、“あかがね”という名前が残っていました。あかがねとは赤い金、すなわち“銅”の日本古来の呼び名です。渡良瀬川上流域、現在の国道122号線が通過するルートは上流の足尾銅山から採掘された銅を運搬するために使用された街道筋で、その役割から「銅(あかがね)街道」と呼ばれていました。みどり市東町(旧勢多郡東村)花輪地区は、銅街道筋でもまとまった町場として存立した宿場町を基礎としています。現在は草木ダムの完成により国道は山際に移動し、花輪は穏やかな山里の雰囲気が漂います。渡良瀬川のつくる河谷平野は、周囲を伸びやかな山々に囲まれていまして、旧街道に沿った集落の背後に意外なほどに広く展開する田畑の存在もあいまって、視覚的には実際の面積以上の広がりを感じさせます。周辺がちょっとした公園のように整備され町屋風の駅舎が美しい、わたらせ渓谷鉄道(かつての国鉄、後JR足尾線)・花輪駅を中心に、地域を歩いてみました。
「あかがね かいどう 花輪宿」と記された木製の常夜燈のモニュメントの横を過ぎ、旧街道筋へと至ります。最初に花輪をフィールドワークのために訪れたのは、2004年1月31日。真冬の山間は水田も大地も枯れ草の色を呈していて、茶色の山肌とともに寒々しいテイストをかもしながらも、冬晴れの青空の下、静かな温かみをも感じさせるのがたいへん和やかな風景であるように思われます。東村(当時)の主邑として、役場等の主要な公共機関の集まる花輪の町は、過疎化やモータリゼーションの影響を大きく受けて相当の年月が経過していることもあり、市街地としては既にその中心性は脆弱なものとなっているようでした。主要幹線たる国道122号線からも離れていることから、現代の潮流から緩やかに切り離された、たおやかな山里といった印象が濃厚です。しかしながら、そうした交通流からかけ離れた地域性が旧街道筋の豊かな町並みをかえってとても印象的に際出たせていて、近世以来銅街道とともにあった宿場町の雰囲気を今に伝えているように思われました。花輪宿の西端、渡良瀬川の河原も間近となった一角に、苔むした石造の宝塔と石仏とが並ぶ寺院の参道がありました。地図を確認しますと、善雄寺と呼ばれるお寺の参道であるようで、参道の只中をわたらせ渓谷鉄道の鉄路が横切って敷設されていました。 かつての街道筋を歩いていますと、昔ながらの蔵や町屋が点在していまして、古きよき街場としての雰囲気を重厚に感じることが出来ます。花輪駅に程近い街道沿いに、「御用銅蔵」と呼ばれる一際優美な佇まいを見せる蔵があります。花輪宿で御用銅問屋を営んでいた高草木家の銅蔵で、すっきりとした色の白壁、豪勢な瓦屋根との組み合わせが目を引く銅蔵は、構造的にも頑丈に建てられているようで、銅銭としての用途もあった貴重な銅を貯蔵した歴史を今に伝える貴重な建造物です。御用銅は銅街道を人馬により運搬され、沢入宿や花輪宿に配置された銅問屋の銅蔵に貯蔵されながら継ぎ送りにされて、利根川の舟運により江戸に送られていました。御用銅蔵のほかにも、高窓のある上州でよく見られる町屋などもあって、昔ながらの景観を随所に認めることができました。
2005年10月30日、村のシンボルとして多くの人々に親しまれてきた旧花輪小学校校舎前のかつての校庭のスペースに新しい保育園が建設されて、旧校舎の全景を撮影することが難しくなるため、今のうちに撮影をと当時の東村役場が呼びかけていたことから、花輪の町を再訪しました。旧花輪小学校は、2001年3月に学校の統廃合により廃校となりました。外部の一部の建具がアルミサッシに更新されているほかは建築された当初の姿をよくとどめているとのことで、同年11月に登録有形文化財の指定を受け、2003年7月に「旧花輪小学校記念館」として開館し、現在に至ります。1873(明治6)年5月に開校した歴史を持つ花輪小学校は、卒業生と鋼管の創立者である今泉嘉一郎(現在の木造校舎は今泉氏の寄付により建設された)のほか、童謡「兎と亀」の作詞をし、童謡の父と称される石原和三郎らがいるとのことです。同記念館のホームページによりますと、4間×5間の教室と北側片廊下という小学校の建築形式は、明治後半から昭和初期にかけてつくられた典型的な木造校舎といえるとのことです。特に、屋根上に設置された換気口は県内では他に例がなく、校舎と一体となって造られた門柱とともにすぐれたデザインと評価されているものであるとのことです。訪れたときは既に保育園の鉄骨の骨組みが半ば完成している状態でありましたが、時代を経ていっそう落ち着いた雰囲気を見せる赤茶色の校舎は高台にあって、しずかに花輪の町並みを見下ろしているように感じられました。 紅葉が徐々に色づいてくる季節、渡良瀬川の谷はゆたかに秋色に彩られていく只中にありました。町並みは変わらず穏やかな佇まいを見せていまして、ゆるやかに流れる渡良瀬川の流れと寄り添っていました。そんな落ち着いた山里の中を、「わ鉄」の愛称で親しまれるわたらせ渓谷鉄道のあずき色の列車が、ゆったりと走り抜けていきました。 |
|||||||||
←#12ページへ |
#14ページ→ |
||||||||
このページのトップへもどる りょうもうwalkerの目次のページへもどる ホームページのトップへもどる |
|||||||||
(C)YSK(Y.Takada)2006 Ryomo Region,JAPAN |