#2 さいたま新都心と与野本町
11月10日、午後1時頃にJR大宮駅西口をスタートし、さいたま新都心、与野本町と通過して、JR西浦和駅に至るルートを歩きました。さいたま市の区名案で言えば、大宮区予定区域から中央区予定区域、桜区予定区域と移動したことになります。長くなりますので、まずはその前半部分、大宮駅前から与野本町までの行程をまとめることにします。
大宮ソニックシティが屹立する大宮駅西口を上落合方面に歩き出します。ソニックシティでは人権普及の催しが開催されており、全国物産展が同時開催されて賑わっていました。耳慣れた祭囃子に近づいてみると、桐生市の団体が八木節を披露していました。話が横道にそれますが、この八木節、そもそもの発祥地は下野八木宿(現在の足利市福居町)なのですが、現在では上州を代表する民謡になりました。このあたり、足利付近が上州と風土を同じくする証の1つではないかと思います。数年前大宮駅を訪れたときは、駅前だけ突然ビルがたくさんあってすぐに低密度な住宅地になってしまうことに驚いたものですが、最近ではマンションの建設などが進んでいるようで、埼玉県最大のターミナルとしての風格も不動のものになりつつあるように感じられました。
国道17号線の交差点を南に折れ、ほどなくして上落合北交差点に到達。ここから旧与野市に入ります。見た目には市街地は連担しているので言われなければ分からないことでしょう。旧与野市内とはいえ、「大宮日赤病院」が立地するなど、大宮駅の駅勢圏内の住宅地の一部であるようです。国道17号線をひっきりなしに自動車が通過するものの、景観的には昔からの住宅地の間にアパートなどの建築物が建った都市近郊の住宅地の趣でした。
しかし、そのような印象も、上落合交差点や、八幡通り交差点あたりまでくると一変します。この2つの東西方向の通りはまさに道路拡幅の工事が進行中で、「さいたま新都心」の建設の只中に来たことが実感できました。八幡通り交差点を東に折れて、JRさいたま新都心駅へ向かいました。
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JRさいたま新都心駅(2002.11.10撮影) |
上落合付近からもその一部が見えていたさいたまスーパーアリーナをはじめ、国の関東地方を管轄する組織の入った合同庁舎3棟(南側には郵政庁舎もあります)、NTTドコモビル、明治生命ランドアクシスタワーなどが林立する景観は圧巻です。また、さいたまスーパーアリーナから南の郵政庁舎に至るまで歩行者デッキが段差無く作られていて、さいたま新都心駅に直結しています。特に、アリーナ南に作られた宙空の「けやきひろば」はこれまた圧巻で、ケヤキ林の下、バザーなどが開催され、多くの人たちで賑わっていました。さいたま新都心駅も「新都心の入口」としてかなり力の入った作りで、この新都心の建設に懸ける国の並々ならぬ意気込みを感じずにはいられませんでした。そこは与野でも大宮でも浦和でもない、新しい「さいたま市」の顔なんだ、そんな意思を。
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けやきひろばとスーパーアリーナ
(さいたま新都心内、2002.11.10撮影) |
さいたま新都心を後にして、再び八幡通りを西に向かい、小村田交差点を右に折れてこの通りの名の由来と思われる氷川神社を目指しました(大宮の氷川神社ではないです。このあたりにはたくさんの氷川神社があります)。この小村田交差点あたりまで、新しい店やマンションが「さいたま新都心」を名乗っていました。もうこのあたりは「北与野駅前」ではなく、「さいたま新都心駅前」になってしまったかのようでしたね。しかし、その「新都心」妄想も、小村田交差点を右に曲がって氷川神社の杜が見えたとたん一気に消え去ってしまったのでした。
片側一車線のごく普通の道にぎりぎりまでおしよせている町並み、その中に鎮座する八幡様の杜、その風景は武蔵野一帯ではごくありふれた景観だったのです。小村田交差点は、東西に目を向けると新都心建設のために拡幅やが街路樹などの整備が行われた近代的な景観となり、南北に目をやると、武蔵野の近隣住宅地の一典型とも言える、どこか懐かしさを覚える風景となる、ちょっと珍しい交差点なのでありました。そして、その昔を髣髴とさせる街路景観は交差点を南に向かっていっても続くことになります。この道は、その昔は中山道の脇往還で、与野の町はそれにそって発達した市場町を起源としているそうですね。現在は住居表示により、道の東と西で「本町東」、「本町西」という無味乾燥な地名になってしまいましたが、商店街は北から「上町」、「本町(仲町)」、「下町」に分かれており、市場町であった当時を思い起こさせるような景観が続いていきます。
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与野の氷川神社(2002.11.10撮影) |
また、そういった景観のアクセントとなっているのが、先に紹介した氷川神社をはじめ、長伝寺、一山神社、円乗院、庚申堂などの古社寺の存在です。また、本町東3丁目には、昭和49(1974)年で推定樹齢80年という大きなシラカシの木が道沿いに立派に繁茂していました。現在は樹齢110年近いということになります。
やがて、芸術劇場あたりまでくると、与野本町の景観は次第に薄れて、再び都市近郊の住宅地としての色彩が強くなっていきます。鈴谷4丁目の妙行寺境内にある国指定天然記念物大カヤの木(20メートルを超す大木でした!)を見たのを最後に、旧与野市を後にし、旧浦和市域へと入っていきました。
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与野本町の景観(2002.11.10) |
与野本町を歩いている最中も、目を東に向ければ、昔ながらの家々(もちろん、新しいアパートやマンションなども建てられていますが)のバックに、さいたま新都心のビル群を望むことができました。この歴史ある市場町の流れをくむ商店街と、さいたま新都心地区は、やがて「中央区」となり、新しい政令指定都市の個性あふれる9つの区の1つを形成していくことになるのですね。
この後、JR西浦和駅までの行程は、稿を改めたいと思います。
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