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シリーズさいたま市の風景reprise

2008年12月、「シリーズさいたま市の風景」を執筆してから6年を経て、再びさいたま市内のフィールドワークを行いました。
穏やかな早春の空と風の下、あれから政令指定都市に移行し、その後編入された旧岩槻市エリアも含めてご紹介してまいります。

※この地域文は「3部構成」です。

見沼田んぼ、再び     城下町岩槻より南へ    武蔵浦和周辺から北へ

武蔵浦和周辺から北へ
首都近傍の風景

 さいたま市東郊、岩槻区から緑区にかけての田園風景にたいへん印象づけられた後、2002年のフィールドワークでは十分に歩いていなかったさいたま市南郊を捕捉することにしました。JR武蔵浦和駅を出発して浦和・与野の各エリアを通過しながらJRさいたま新都心駅に至るコースを散策しました。2008年12月20日、穏やかな日差しが差し込む冬場れの日下到着した武蔵浦和駅は武蔵野線と埼京線とを相互に乗り継ぐ人々で混雑していました。構内の人出の多さとは対照的に、駅前は車両は多く見受けられるものの道行く人の数はそれほどでもないように感じられました。駅周辺はさいたま市が副都心の一つとして位置付けているとのことで、南区役所が立地しています。周辺には高層マンションが立地しており、東京への通勤の便の良さもあって急速に成長している様子がうかがえます

武蔵浦和駅

JR武蔵浦和駅
(さいたま市南区別所七丁目、2008.12.20撮影)
ライブタワー

JR武蔵浦和駅付近、ライブタワー
(さいたま市南区別所七丁目、2008.12.20撮影)
白幡沼

白幡沼
(さいたま市南区別所一丁目、2008.12.20撮影)
台地の高低差

別所坂上交差点東付近、台地の高低差がわかる
(さいたま市南区白幡2/浦和区岸町5、2008.12.20撮影)

 ライブタワーの下を過ぎ、飲食店が集まった一帯を通って東へ、武蔵野線のガード下をくぐり国道17号に出ます。別所坂下交差点の北東には白幡沼があって静かに水を湛えています。別所坂下と、すぐ北の別所坂上の各交差点からも示唆されるとおり、沼は台地に食い込んだ谷地に位置しており、南は荒川に向かって手地が続くことから、かつては灌漑用の溜池としての役割を担っていたのかもしれません。沼の西側は緑道が整備されていて、沼の反対側の高台に浦和商業高校の校舎を見て取ることができます。大宮台地の最南端に位置するこのあたりは、荒川を挟んで対岸の東京の山手方面の台地まで続く沖積低地の突端の位置にあって、古くは田園地帯を望む台地縁辺部の集落や斜面林が連続する景観を呈していたと考えられます。現在は台地の上の下も坂道の途上も一様に都市化が進行して建物によって充填されています。別所坂上交差点から東進してきた道に突き当たり、その道を東へ進むルートもゆるやかな上りとなっていました。

 県道213号に出てからはルートを北に採ります。同県道のこの区間は旧中山道のルートにあたり、台地上に形成された旧浦和宿(現在の浦和駅西口一帯)に向かって台地の末端から尾根筋を登るように道が付けられています。台地の上と下といっても浦和のあたりの台地は比高がそれほど大きいものでなく、比較的高低差がゆるやかであるため、都市化が進行しやすい側面があったのかもしれません。旧街道筋には古い町屋造りの建物も散見されて、ビルが立ち並ぶ近代的な都市景観の中にあってここが歴史的には宿場町を基盤として存立してきたことを物語っていました。大きな幹の木々が目を引く社叢が穏やかなたたずまいを見せる調(つき)神社は、武蔵野一帯の調物の集積地として定められたため鳥居や門が取り払われたとする社伝で知られています。社名の「調」を「月」と解した月待信仰と結び付き、入口には狛犬に変わり兎の彫刻が設置されています。神社周辺は町屋造りの商家が見られ、県都の中心市街地として変貌を遂げた浦和宿の中心部とは対照的に、穏やかな町場の景観を偲ぶことができるエリアとなっているように感じられます。

調神社

調神社の社叢
(さいたま市浦和区岸町六丁目、2008.12.20撮影)
調神社

調神社
(さいたま市浦和区岸町六丁目、2008.12.20撮影)
旧中山道の景観

旧中山道の景観
(さいたま市浦和区岸町四丁目付近、2008.12.20撮影)
浦和駅

JR浦和駅西口
(さいたま市浦和区高砂一丁目、2008.12.20撮影)

浦和から与野、新都心へ

 浦和や大宮の市街地、すなわちさいたま市の中枢部が形成されている一帯は大宮台地上にあることは幾度か触れてまいりました。見沼田んぼが形成される芝川や、その東の綾瀬川などに浸食された台地は舌状に分かれていくつかの「支台」を形成し、浦和や大宮を通過する中山道や鳩ケ谷や岩槻を通過する日光御成道はそれぞれの支台の「尾根筋」を辿るように取り付けられています。比較的ゆるやかな起伏を持つ大宮台地はその大半において都市化が進行し市街地と住宅地とが連続的に展開する現代都市へと姿を変えていきました。その一方で、ややまとまった低地となり、となり、藩政期の中ごろ以降の新田開発により広大な農地として整えられた見沼や岩槻区南部あたりの水田地帯は幹線交通軸から距離を置く地勢や伝統的自然・文化景観保護の動き等もあって都市化の影響を受けながらもかつての農村地帯としてのエッセンスを色濃く残しています。また、岩槻区の中心部はさいたま市におけるほぼ唯一の近世城下町を基盤とした町割りが今に伝えられていて、独自の市街地景観に接することができます。

 東京大都市圏北部の中核として中枢管理機能が集積する政令指定都市・さいたま市として総括される市域は、細かく観察すると実に多様な側面を持っていて、豊かな歴史に育まれてきたのびやかな地域性に彩られる地域の集まりであることに改めて気付かされます。これらに加え、大宮から北の荒川近傍における畑を中心とした農村景観、荒川河川敷のサクラソウ群生地や川辺の緑地の姿、目覚ましく成長を続ける大宮・浦和の中心市街地とさいたま新都心の趨勢もそれらの要素に絶妙にとけあって、さいたま市は日々新たな歴史を編み続けています。浦和駅西口からさいたま市役所前を過ぎて別所沼公園の穏やかな姿を確認し、与野のオオカヤに再会して、与野の穏やかな町場景観を確認しながら、さいたま市の「いま」に思いをはせました。与野中心部である与野本町も、大宮台地の舌状台地のひとつとなる台地の上(大宮と与野の間には鴻沼川が造る帯状の低地があり見沼同様新田開発が行われた)に、中山道の脇往還としての機能を持つ町場を基礎としています。

市役所

さいたま市役所(浦和区役所)
(さいたま市浦和区常盤六丁目、2008.12.20撮影)
別所沼公園

別所沼公園
(さいたま市南区別所四丁目、2008.12.20撮影)
与野本町

与野本町の景観
(さいたま市中央区本町東五丁目付近、2008.12.20撮影)
けやきひろば

さいたま新都心・けやきひろば
(さいたま市中央区新都心、2008.12.20撮影)

 夕刻が過ぎ、夜の帳が降り、さいたま新都心のけやきひろばで恒例のイルミネーションが点灯しました。多くの市民がその温かい灯りの下で語らい、穏やかな冬の一日を締めくくっていました。さいたまスーパーアリーナでは多くの催事やコンサート、スポーツイベントが開催される首都圏屈指の会場の一つとして今や確固たる地位を占めています。そうしたイベントが開催されるたびにさいたま新都心駅周辺は大変な人出となり、活気にあふれます。新都心開設当初は相対的に高密度化が進んでいなかった東口方面でも近年では商業施設が集積するようになり、「まち」としての厚みも徐々に増してきているように感じられます。そんな現代的な都市景観が続くエリアにあっても、みずみずしいケヤキの樹冠の上には鮮やかな冬の夕闇の空が広がって、さわやかな、こころよい環境と都市とが調和するさいたま市の姿に重なって見えました。大宮の氷川神社の参道が醸し出す、あの緑薫る美しさのように。

 さいたま市のこれからをますます楽しみにしながら、地域を歩いていければと思います。


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