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三景巡礼
~海と信仰に導かれる路~
丹後天橋立 ~山紫水明の階を歩く~ 未明の早い時間に地元を出発し、自家用車でひたすらに西へ。京都府北部の波静かな浦に到着したのは正午手前の時間でした。現在は全通している京都縦貫道を途中まで利用できなければ、もっと多くの時間を要していたのかもしれません。2013年7月13日、日本三景の天橋立の訪問は、1999年7月以来の再訪となりました。湿った空気の影響か、天橋立に到着する直前から雷雨のような俄雨があり、駐車場に車を止めてからもしばらくは車中で雨宿りをしていました。雨は十数分で峠を越え、小やみの中、散策をスタートさせました。
天橋立は京都府北部、丹後半島の東の付け根、宮津湾の奥に発達した砂州です。全長は約3.6キロメートル、幅は20メートルから170メートルほどで、砂州で外海と隔てられた内海は阿蘇海と呼ばれます。阿蘇海と宮津湾とは砂州の南にある狭い水路によってのみ接続しています。阿蘇海に面した駐車場からは、穏やかな内海の向こうに天橋立の松並木が連なっていて、さながら海上に繁茂する林のように見えました。駐車場を出て府道沿いを東へ歩き、鉄路を横断して斜面に沿った路地を進みます。線路によって天橋立周辺の観光エリアと画されたこの道の周辺でも昔ながらの街並みが認められまして、駅前を中心として観光的な商業地域が形成される前はこのルートが中心街的な位置を占めていたのかもしれないとの想像も働きました。 天橋立の展望ポイントの一つである天橋立ビューランドからの眺望は、龍が飛翔していく様に準えて飛龍観と呼ばれます。海を背にして前かがみになり、股の間から逆さに見下ろす「股のぞき」でも知られる名所です。のびやかな山々に抱かれたなだらかなカーブを描く海岸の風景を遮るように、まっすぐ伸びる砂州はまさに奇勝と呼ぶにふさわしく、奥深い山々がそのまま海に突き出したような丹後地方へやさしく導く架け橋のようにも感じられました。東に目を移しますと湾奧に展開する宮津市街地を望むことができまして、海と山が隣り合わせのような当地の姿を手に取るように観察することができました。
ビューランドを下ってからは、「知恵の文殊堂」として知られる智恩寺を参拝した後、一度船で天橋立の北側に移動し、船上から約8,000本もあるという松波の美しさを概観しました。天橋立の北側一帯は府中という地名や国分寺跡などが存在することから、古来より丹後における中心的な地域のひとつであったことが分かります。丹後一之宮である籠(この)神社は元伊勢と呼ばれる古社で、その呼び名は伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神が大和国笠縫邑から遷座し祀られていたとする由緒によるものです。こうした来歴から古来この地域は大陸とのつながりが深く、独立した勢力の割拠する場所であったとする考え方が有力となっているようです。丹後は都から山を多く超えて到達する辺境というよりは、神話の時代より深い山々を介して外界に通ずる階のようなイメージがはたらく地であったのかもしれません。 籠神社の脇のケーブルカーに併設されたリフトで傘松公園へ向かい、「斜め一文字」と呼ばれる天橋立を鑑賞しました。山並みが海まで迫り平地の少ない南岸に比べて、阿蘇海北岸は平坦地が多く、集落がよく発達している様子も見て取れます。まさに海に架かる天然の橋のように外界と内海とを隔てる砂州は、天橋立というその名のとおり、天へ向かう橋のような神々しささえ漂わせていました。訪問の最後は、天橋立の中を歩き、自家用車を止めた南側へと戻りました。海の真ん中にあるとは思えないほど樹勢の良い松林が続く砂州は、「羽衣の松」や「千貫松」など個性的な名前の付いた名木も多く認められました。青々とした松波と、輝くような白浜とが形づくる美しい風景が自然の力で形成されたことに改めて感嘆せずにはいられませんでした。
天橋立神社は、砂州のやや南寄りの場所に佇んでいました。傍らには日本名水100選の一つ「磯清水」が湧いています。周囲を海に囲まれながら塩分を含まないという不思議な湧き水で、神社の手水として利用されているようでした。突然の白雨から始まった天橋立訪問は、砂州を取り囲む水面の輝きに癒されながら進み、湾を渡る階のごとき天橋立の美しさやこの地域の歩んだ歴史の濃密さを存分に感じさせるものとなりました。そうした地域の清廉な姿は、海に相対しながら真水をふんだんに生み出すこの清水に象徴されているようにも思えました。 |
安芸の宮島へ続きます。
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