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三景巡礼
~海と信仰に導かれる路~
安芸の宮島 ~自然と信仰とが息づく島~ 宮島へは過去に何度か訪れており、拙稿でもご紹介しています。その時に絶対的な印象として残ったことは、本州側の地域が広島都市圏の拡大に伴い宅地化・都市化が進んで、海に迫る山並み一帯まで建物で覆われているのは対照的に、宮島は島北西部の厳島神社付近を除きまったく集落がなく、全島先史以来の自然が守られているということでした。ここがいかに「神の島」として崇敬を集め、神聖視されてきたかということを端的に具現化しています。
島自体が信仰の対象であった厳島に社殿が初めて営まれたのは、社伝によると593(推古天皇元)年。現在に近い形で大規模に整えられた社殿は、厳島神社を篤く崇敬した平清盛の手によるもので、1168(仁安3)年に寝殿造の様式を取り入れ造営されました。その後二度の火災で滅失し、現在の本社本殿は1571(元亀2)年、本殿の北東に建つ客(まろうど)神社は1241(仁治2)年の建築であるとのことです。以降、大内家や毛利家などの時の有力者の敬仰を受けながら、その隆盛は今日まで維持されてきました。宮島口からフェリーで進む道のりは、穏やかな海面に屹立するような厳島の山容と、波静かな入江に凛として立つ真朱の鳥居とが織りなす映像に集約されるようで、それはここを訪れる多くの人々に壮大な旅情を掻き立てます。 そして、何といっても厳島神社の美しさを演出しているのは、社殿が海の上につくられているということでしょう。満潮時には海に浮かぶような佇まいとなります。古より重要な交流ルートであった瀬戸内海にあって、干満や海流、海底の地形などは、航海をするうえで日常的に不可欠な情報であったと思われます。そうした海とのつながりを建物の立地として具象化し、信仰の対象とした場所、厳島神社はそうした人々の生活に根差した崇拝の結晶であるといえるでしょうか。海の上を歩くように壮麗な“境内”を進み、能舞台や高舞台を介して望む大野瀬戸、そして視線の先にある大鳥居は、いつ見ても清新に、斬新に、海と島とが紡いできた歴史と風光とを現出させてくれています。
フェリー桟橋から神社までの参道は多くの店舗が立ち並んで繁華な往来となっている一方、そこから一筋山手へそれれば、昔ながらの家並が落ち着いた景観を見せていまして、ここが信仰の島であることを思い起こさせます。さらには、ロープウェイで山並みの中へ身を沈めますと、そこは原生林や岩場などが自然のままに残された、太古からの鼓動を感じさせる風景にも出会えます。陸上交通が物流の主軸となった現在、水運の成否が命運を分けた世界観は昔日のものとなり、海の安寧に救いを求めた信奉の結実である神社は、貴重な自然景観と共にかけがえのない文化遺産となって私たちの心を打ちます。 日本三景(松島、天橋立、宮島)は、ともに海とそれに接する美しい自然とが豊かに調和した風景によってわが国随一の佳景と賞されます。そして、それぞれに独自に信仰の対象となり、それらが形づくった歴史的遺産もまた自然に寄り添うように存在していることも特筆されます。四季折々に晴好雨奇、千差万別の表情を見せる我が国にあって、自然を信仰し、海とのかかわりで生計を維持してきた民俗的背景はまさに国民性の原点であるといえます。そうした心象的背景をもって三景の美観に触れるとき、私たちは新鮮な感動を覚えることとなるのでしょう。三景をめぐる彷徨は、海と信仰に導かれる巡礼の路であるのかもしれません。 |
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