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シリーズ・クローズアップ仙台

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#7 川内と青葉山 〜青葉城、軍用地、そして文教地区へ〜


仙台城下を東西に貫いた幹線道路である大町が広瀬川に突き当たる場所に架かる橋が、大橋です。この橋は、仙台城下と、川内地域に展開した仙台城とを結ぶ橋として、仙台ではもっとも歴史のある橋です。石造りの欄干に両詰に奥ゆかしい石柱の立つ小ぢんまりとした橋は、現在でも広瀬川の清流にゆたかなテイストを付加させてくれています。仙台市街地を流れる広瀬川は大きく蛇行している上に、かなりの急崖を両岸に形成していて、日本において人口100万の都市の市街地を流れる川としては少し趣を異にしていますね。大橋より上流方向は、川の流れも比較的穏やかで、中洲も発達していて、穏やかな樹林を伴った瑞々しい景観が保たれています。ただ、最近、青葉区広瀬町、厚生病院のすぐ西に建設された高層マンションの威容がこの景観のバランスを崩しているように感じるのは、私だけでしょうか。

大橋と青葉山丘陵

大橋遠景(背後は青葉山丘陵)
(青葉区桜ケ岡公園、2003.7.21撮影)
大橋より仙台駅方向

大橋より仙台駅方向を望む
(2003.7.21撮影)
大橋より広瀬川上流方向

大橋から見た広瀬川(北側)
(中央は広瀬町にある高層マンション、2003.7.21撮影)
大橋西詰より青葉山丘陵

大橋西詰、青葉山を駆け上がる道路
(青葉区川内、2002.1.18撮影)

大橋を渡ると、川内地区に到達します。青葉山丘陵の麓の段丘が発達するこの地区は、北から南東方向に流下する広瀬川に囲まれている地形状の特質から「川内」という地名が生まれたとされているようです。また、「仙台(伊達政宗がこの字に改称するまでは「千代」)」の地名の由来も、諸説あるのですが、この「川内」の音読に求められるとする説もあります。大橋付近には、仙台国際センターをはじめ、県スポーツセンターや仙台市博物館が立地し、また県スポーツセンターの北側には仙台二高や宮城県美術館もあり、川内地区を「文教地区」として特徴づけております。なお、仙台二高の南には仙台商業高校も立地していましたが、現在は泉区に移転し、建物も取り壊されているようですね。

大橋を渡って西へ進むと道に面して「五色沼」と呼ばれる堀のような水溜りがあります。日本で最初にフィギュアスケートが行われたところらしく、そのことを記した碑が佇んでいます。付近は青葉山丘陵から続くゆたかな木々が繁茂しています。数段の段丘からなる川内地区は段丘崖が連続するため坂、しかも結構急な勾配の坂が多くなります。五色沼の横あたりから勾配がきつくなりはじめ、仙台城の隅櫓があるあたりまでは連続したスロープになっています。ただ、こちらの坂は比較的なだらかなほうで、県スポーツセンター西側の丁字路から東北大川内キャンパスに上る坂はかなりの急勾配です。この坂は「扇坂」と呼ばれていて、坂を登りきったところにあるバス停名にもなっています。

さて、現在は1964年に復元された隅櫓のみが立地するこの場所は、仙台城の大手門があった場所です。戦災で焼失するまでは、堂々たる大手門(国宝)が屹立していました。現在では、青葉山方面への観光関連の車両などで通過車両の多い道路が通っていまして、かつこの段丘面上の大半を敷地とする東北大学のキャンパスへの入口ともなっています。

五色沼

五色沼
(青葉区川内、2004.1.15撮影)
復元された仙台城大手門隅櫓

復元された仙台城大手門隅櫓
(青葉区川内、2004.1.15撮影)
仙台城大手前から望む市街地

仙台城大手前から望む市街地
(青葉区川内、2004.1.15撮影)
仙台市博物館前・木立越しに望む市街地

仙台市博物館前・木立越しに望む市街地
(青葉区川内、2004.1.15撮影)

仙台(青葉)城址について若干紹介いたしますと、現在は建物としては復元された隅櫓があるだけといってよい状態でして、所々に残存する石垣が、仙台藩62万石の居城があったことを静かに伝えています。現在、本丸跡であった青葉城址公園を中心に、石垣の復元工事が本格的に着工しています。大手門跡を過ぎて、道なりに北へ進むと、程なくして東北大学川内キャンパスに入っていきます。川内キャンパスは同大の文系学部(文学部、法学部、経済学部、教育学部)の各施設と、同大付属図書館の本館とからなっておりまして、メタセコイアの並木をはじめとしたゆたかな環境の中で、多くの学生が学んでいます。広瀬川よりの敷地には講堂もあり、その横の公園からは青葉山公園内の木々を会して仙台市街地の中心部が眺められ、8月の七夕(6日〜8日)の前夜に行われる花火大会の絶好の観覧スポットです。私が個人的にお奨めするのは、このキャンパスの南にある同大大学院理学研究科付属植物園ですね。この植物園は古くから仙台城の敷地の奥となって、藩の「御裏林」として大切に保存されてきたという条件に恵まれて、青葉山の自然林が残存する貴重な場所です。杜の都の原点に触れたいという方は、訪れてみてはいかがでしょうか。

さて、道は扇坂を登ってきた道と突き当たります。この道より北側も東北大学のキャンパスで、「川内北キャンパス」と呼ばれているようです。ここは東北大学の全学共通の講義棟などがあり、多くの学生が行き交う場所となっています。丁字路を左折すると、程なくして「半導体研究所前」のバス停。道の南にあるこの研究所は、クリスマスの時期になると道路に沿ったヒマラヤシーダーに派手なクリスマスイルミネーションをつくるという粋な演出をしていて、けっこう見事です。年末光のページェントを見に来られた際には、ぜひ足を伸ばして、このイルミネーションも堪能されてはいかがでしょうか。

半導体研究所前をすぎると、道は再び急坂に差し掛かります。青葉山丘陵を一気に道は駆け上っていくので、徒歩で登ってもかなりしんどいです。しかしながら、周囲はまさに緑の多い丘陵地ですので、さわやかな新緑の季節や紅葉の季節など、四季折々にゆたかな自然景観を楽しむことができます。ただ、この道を上がった先の丘陵上は、東北大学の工学部、理学部、薬学部からなる「青葉山キャンパス」となっており、その西には宮城教育大学もあることから通過車両が多いことだけは若干のネガティブ・ファクターでしょうか。ただ、車道沿いのほかにも青葉山キャンパスへ登る山道もあります。工学部方向と理学部・薬学部方向に道が分かれるところから理学部方向へ進むと、程なくして橋が架けられています。ここから市街地方向へ視界が開けておりまして、仙台の隠れた夜景展望スポットとなっています。ただ、むやみに橋の上で車を長時間停車することはやめましょう。

伊達政宗騎馬像

伊達政宗騎馬像
(青葉区川内、2002.1.19撮影)
仙台市街地展望(中心市街地方向)

仙台市街地展望(中心市街地方面)
(2002.1.19撮影)
仙台市街地展望(北部方向)

仙台市街地展望(北部方面)
(遠くに見える丘陵は“七ツ森”、2002.1.19撮影)
仙台市街地展望(南東方向)

仙台市街地展望
(南東方向、手前の崖下を広瀬川が流れる)
※遠景は水平線です、2002.1.19撮影
※青葉城址公園からの展望です。2002年1月当時の写真ですので、現在の風景とは一部異なっている可能性があります。

最後に、川内地区の沿革を添えます。以上の文章で歩いてきたルートを中心に整理しますと、現在の青葉城址公園(伊達政宗の騎馬像がある公園)が本丸、東北大学の川内キャンパスが展開する場所が二の丸、仙台市博物館のあるあたりが三の丸にほぼ対応します。川内北キャンパスやその北側の地域には大身侍屋敷地が展開し、川内と青葉山はまさに仙台藩の政治の中枢でありました。明治期なると、二の丸に東北鎮台(後、第二師団)をはじめとした兵営所在地となり、川内は軍事施設の拠点地域に変貌します。第二次大戦では集中的に空襲を受ける結果となり、大手門や瑞鳳殿といった藩政期の貴重な建物の焼失を招きました。戦後も米軍の第9軍司令部が置かれて米軍の接収時代が続くこととなりましたが、1957(昭和32)年に返還された後は東北大学の移転を契機にさまざまな文教施設が建設され、またゆたかな公園として整備が進むなど、現在の文教地区としての川内の礎が形成されました(ただし、仙台二高、当時の第二中学は昭和初期にすでに移転していました)。

文教地域として、また自然環境に恵まれた憩いの場所として、穏やかな容貌を見せる川内地区ですが、その生い立ちを考えると、歴史の光と影とが垣間見られるようです。


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