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シリーズ・クローズアップ仙台

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#8 八幡町を歩く 〜伝統と現代とが息づく門前町〜

仙台二高と宮城県美術館とが接する交差点を北上すると、澱橋(よどみばし)に達します。澱橋の名の由来は、蛇行する広瀬川の急流がこの橋付近でおおきな澱みをつくっていることにあります。橋自体は特にこった意匠などはなくどちらかというと地味な橋なのですが、青葉山方面の緑と、市街地を背景とした広瀬川の渓谷美とが、よく眺められるいいスポットだとは思っております。さて、この橋をわたると、左側の住居表示が角五郎(つのごろう、一〜二丁目)という、ちょっとユニークな名称となります。この住居表示は旧町名「角五郎丁」を踏襲したものです。名称の感覚から推量されるかと思いますが、この町名はこの地域に「角五郎」という田夫がいて、牛越橋付近の広瀬川の渡場で渡守をして人気があったことから名づけられたといわれているのだそうです。現在は広瀬川に面した市街地が主にのる面とは一段低い河岸段丘上に展開する閑静な住宅街で、川内に隣接する土地柄から、学生も多いと聞きます。また、付近には仙台一女高、尚絅女学院中・高、聖ドミニコ学院小・高と、女子校が多く立地しています。





澱橋より東側(下流方向)
切通から超高層マンションを望む

澱橋から見た広瀬川と仙台市街地
(2002.8.24撮影)

切通から超高層マンションを眺める
(青葉区八幡一丁目、2003.9.13撮影)

澱橋の北詰を過ぎて、さらに北上すると、道は途端に急勾配になります。尚絅女学院の西からこの坂を上っていくと、広瀬川から深い谷間が八幡方向に切れ込んでおり、その坂を埋めるようにしてこの道がつけられていることが分かります。この谷は「へくり沢(「巴谷」とも呼称されます)」と呼ばれていまして、かつては現在の住居表示で言えば広瀬町から八幡一丁目、同二丁目、国見二丁目方向に深い谷間を形成する峡谷でした。今でこそ北四番丁(国道48号線)がそのまま八幡町に直結していますが、昭和初期まで北四番丁はこのへくり沢でとぎれておりまして、明治期に先に作られた土橋によって八幡町とつながっていた北三番丁が八幡町への主要なルートでした。市電も北四番丁(国道48号線)の八幡町延伸後に八幡町まで達しています。そんなへくり沢を駆け上がる澱橋から北上するこのルートも、1682年にこの谷間の岩を掘削し、土を埋めて開設されたもので、「切通(きりとおし)」と呼んでいます。仙台市の市街地が数段の河岸段丘上に立地し、広瀬川の下刻作用が著しい事例の一端が垣間見られる地形なのではないかとも思います。

その切通を登りきると、東からやってきた北三番丁と、北西から南東に斜めに北三番丁に到達する土橋通とが互い違いに交錯する交差点に達します。ここは、道幅も広くないことも手伝って、自動車の運転にはかなりの注意を要する地点となっています。特に、バス路線は国道48号線から土橋通りに入り、北三番丁との三叉路を鋭角に右折した直後に切通へ再び直角に左折して澱橋方向に下りていきます。相当の技術が要るのではないかと素人考えでいつも思っておりました。この土橋通りに近接して仙台厚生病院があるのですが、この病院に隣接して近年超高層マンションが着工し、付近の景観が一変しました。住居表示では広瀬町の西端に屹立するこの高層マンション「ライオンズタワー仙台広瀬」、川内の項で大橋から眺められた、あの高層マンションです。在仙時にこの町をよく自転車で通過していた私にとっては、まさに度肝を抜かれましたね。付近には仙台駄菓子の店や、古くからの米穀店などが立地し古くからの町なみもよく残されていて、国道48号線から奥に入った閑静な住宅地です。そこに、突如あんなマンションが出現したのですから・・・。

切通と北三番丁との丁字路を左折すると、十二軒丁に入りますが、程なくして国道48号線に合流し、往時は市電通りとしても機能した大通りへと出ます。この付近一帯がいわゆる「八幡町」と通称される地域で、住居表示上は八幡一丁目から五丁目付近までに相当します(ただし、住居表示はさらに西の広瀬川の峡谷部まで六丁目、七丁目が設定されています)。近年は上に紹介した超高層マンションをはじめとした多くのマンションが立地しておりまして、都心に近接し交通至便な優良住宅地域として人気がある地域となっています。人口の急増に伴い各種商業施設も充実しています。

大崎八幡宮・大鳥居

大崎八幡宮・大鳥居
(青葉区八幡四丁目、2003.9.13撮影)
大崎八幡宮・長床

大崎八幡宮 長床(本殿はこの奥、改修中)
(青葉区八幡四丁目、2003.9.13撮影)
八幡町・天賞酒造

八幡町・天賞酒造
(青葉区八幡三丁目、2003.9.13撮影)
八幡町の景観、街路樹は丸杉

八幡町の景観
(青葉区八幡四丁目、2003.9.13撮影)
昔ながらの味噌店とマンション

昔ながらの味噌店とマンション
(青葉区八幡四丁目、2003.9.13撮影)

その反面、八幡町は戦災をあまり受けなかったこともあって、八幡町は多くの文化財や古い町なみ、ゆたかな自然環境の残る、藩政期の歴史の息づかいが感じられる穏やかな雰囲気が色濃い地域でもあり、この地域の魅力をより強いものにしているように思います。作並や山形県最上地方へ抜ける街道筋の町場としても、古くから栄えた町です。八幡町の地名の由来となっているのが、八幡四丁目の大崎八幡宮。上町段丘面より一段高い台原段丘面上に鎮座する八幡様へは、長い石段を上がっていきます。社殿(国宝)は彫刻があでやかな、桃山式の豪華な建築で、権現式の神社建築では最古のものとも言われているようです。東に隣接する別当寺の龍宝寺。本尊の釈迦如来像は、国指定重要文化財に指定されています。大崎八幡宮はその名が示すとおり、大崎氏が遠田郡八幡町(現・田尻町)に祀ったものを大崎地方を領有することとなった伊達政宗がその居城岩出山に移し、さらに仙台開府とともに、仙台に移されたものです。

そんな八幡町がもっとも活気づくのが、小正月の伝統行事「どんと祭」のときです。114日、八幡へ向かう通には締め込み姿の裸参りの参詣者が列をなして、勇壮な光景が見られます。境内では盛大に正月の松飾りが燃やされ、闇夜に火の粉が舞い、熱気溢れる祭礼が展開されます。

八幡五丁目の交差点から広瀬川方向に坂を下ると、牛越橋。かつて、仙台城造営の際の石垣を、この牛越橋付近で牛に引かせて運んだことからの命名と聞きます。橋の下の河原は秋になれば芋煮会が盛んに行われます。また、付近には三居沢発電所。1888年に稼働して以来、現在も現役のこの水力発電所は東北初。広瀬川の狭隘部が地すべり地帯であることから取水口はさらに上流、仙台宮城インターチェンジ付近に設けられています。

三居沢発電所 水力発電発祥の地の碑

三居沢発電所
(青葉区荒巻、2003.7.21撮影)

※上に写真でご紹介した天賞酒造は、2003年暮れに、現在の八幡町の工場の操業を止め、宮城県川崎町に移転する方針を発表しました。八幡町の都市景観に少なからぬ情緒を醸していた同所ゆえに、気がかりなニュースではあります。


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