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シリーズ・クローズアップ仙台
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#100 堤通雨宮町周辺 〜キャンパス移転前夜の風景〜 2016年12月23日、富谷を訪問した私は、バスで仙台駅前方面へ戻り、JR北仙台駅近くの台原入口バス停で下車しました。バス通りは国道4号から県道22号へと進むもので、これはかつての国道4号のルートを踏襲したものです。現在でも仙台市中心部と泉区方面を結ぶ主要な幹線道路の一つとして、多くの交通量のある道路です。JR仙山線の高架をくぐる前に梅田川の流れを渡ります。梅田川北側の台原段丘崖の段丘崖には、豊かな森が現在でも残されています。
目の前の昭和町交差点で、県道は西へ折れて、北仙台地区を横断し、市中心部へつながる勾当台通りへと進んでいきます。JR線と地下鉄線が交差し、郊外からのバス路線が多く収束する北仙台は交通至便な地域として近年高層マンションの集積が進んで、冬の夕刻は低い太陽の日射しも届かず、影のように屹立するビルの向こうに見える空だけが明るく見えているのが印象的でした。昭和町交差点をさらに南へ、「愛宕上杉通り」と名付けられた通りを進んでいきます。このあたりの愛宕上杉通りは、その大部分がかつての「上杉山通」を拡幅して設けられたものであるために、市民の一部には現在でも上杉山通の名で認識している層も少なくないようです。既に葉を落とした銀杏並木の中を進んでいきますと、右手(西側)に広大なオープンスペースが広がっているのが目に入ります。東北大学農学部のキャンパスで、所在地の堤通雨宮町の名前をとって、「雨宮キャンパス」と呼ばれていました。 上杉六丁目交差点で、愛宕上杉通りは北六番丁の通りと交わります。北六番丁の名は、仙台城下町が北へ拡幅される過程で南から順番に序数による通り名が付けられたことによります。北六番丁にはかつて仙台城下町を潤した生活用水である「四ッ谷用水」が流れていまして、上杉六丁目交差点には用水に架けられていた「上杉山橋」の欄干と思しき石柱が残されています。用水は現在も工業用水として利用されていまして、通りの下を暗渠で通過しています。上杉界隈は、閑静な住宅地の中に、藩政期を彷彿とさせる杉木立が残ることはだいぶ前に本稿にてご紹介しました。宮城教育大学付属中学・高等学校や県立視覚支援学校の敷地を囲むようにある木立は、夕刻の町並みにあってもとても伸びやかな空気を供給していました。視覚支援学校の敷地の東、通りの角には朝日神社が佇みます。神社の神木として姥杉・翁杉の二本の杉の木があった(現在の二本杉は1934(昭和9)年の大暴風雨の際に中途で折れたと解説されていました)ことから、東面する通りは「二本杉通」と呼ばれました。
上杉六丁目交差点から西へ、農学部の南を西へ歩きます。キャンパスの南側にも豊かな杉並木が続いていまして、文教地区らしい風情をみせています。正門横には旧制第二高等学校の守衛所が残されて、同校から農学部へと移り変わってきた校地の歴史を伝えていました。キャンパス内には研究施設のほかに圃場もあって、メタセコイア木立のある景色もあいまって、静かな環境が保たれていました。同キャンパスは2017(平成29)年より青葉山へ移転することが決定しており、跡地は商業施設や医療施設、高層マンションからなる再開発が進む計画となっていました。周囲を高層建築物に囲まれながらも、多くの学生が研究にいそしむ街区となっていたその最晩年の姿は、厳冬の夕刻の色彩に溶けみながら、しっとりとした情景に包まれていました。 |
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