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シリーズ・クローズアップ仙台
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#101 仙台駅東口エリアの変貌 〜2017年12月のまちのすがた〜 2017年12月10日、前日京都駅前を出発した夜行バスは、午前7時過ぎに仙台駅西口に程近い高速バスセンター前へと到着しました。仙台駅東口を発着する便も一部にありますが、この西口のバスセンターに多くの路線が集約されていまして、東北一円をはじめとして東京や全国の主要都市とを連絡するバスが設定されています。この日は穏やかな晴天の朝で、底冷えのする市街地はバスセンター内の活気に比してまだ人通りは少なめでした。
この日の夜に地元に帰る予定にしていたため、仙台駅構内のコインロッカーに荷物を預けて、町の変化を定期的に追い続けている東口方面へと向かいました。東口ターミナル前を南北に進む東七番丁を経て北へ進みます。もとは一方通行の狭い路地であった二十人町の通り大きく拡幅し、西口の広瀬通へと接続する大通りとなった都市計画道路「元寺小路福室線」は、周辺整備も完了して、堂々たる幹線道路として地域を貫通していました。両端の形状から「エックス橋」の通称で呼ばれてきた宮城野橋(JR線の跨線橋)もこの年の6月に架け替え工事がすべて終わって、広い歩道を備えた近代的な橋梁へと姿を変えていました。 この真新しい大通りを東へ、早朝の町並みを歩きます。エックス橋の北東方向に降りる一方通行路が接続していた鉄砲町の通りとの間には、比高にして5メートルほどの段差がありまして、整然と区画が整理され中高層のマンションが多く立ち並んでも、その合間や駐車場などとして利用される区画などからその高低差を視認することができます。これは広瀬川が形成した河岸段丘面の境界にある崖(段丘崖)で、鉄砲町側は「仙台上町段丘面」、二十人町側は「仙台中町段丘面」ということになります。通りの南側の市街地の中を、かつてはJR仙石線が走っていた痕跡も、一部が道路となってはいるものの、ほとんど分からなくなっています(仙石線は現在宮城野通の地下を走り、仙台駅の直下を過ぎて西口・青葉通下の「あおば通駅」へとつながっています)。仙台城下町の拡大に伴って割り出された武士の町を起源に持つ東八番丁、東九番丁の通りを過ぎ東へとさらに歩いてきます。
仙台都市圏における放射状の大通りとして計画される宮沢根白石線(東十番丁)を渡りますと、見た目にも道路が緩やかな上り坂になっていまして、これは仙台市街地を北東から南西方向に突き抜ける、2つの活断層帯の影響を受けて、その二つの断層帯に挟まれた部分が隆起した地形を反映したものです。この地形は「宮城野撓曲(とうきょく)」と呼ばれます。この地形の盛り上がりによって仙台上町段丘面が小規模な丘状になった場所が榴岡(つつじがおか)公園です。古代より歌枕として都人の憧憬の場所で会った宮城野、そして榴岡の地は、近代以降は仙台市民の遊興の場として公園となり、桜の名所として愛される存在となりました。都市計画道路元寺小路福室線は、この榴岡公園の北側、仙台管区気象台のある仙台第三合同庁舎との間を抜ける部分が、訪問時には最後の整備区間として残されていましたが、この部分も2018年3月に供用を開始しています。 榴岡公園での小休止の後は、上記の鉄砲町の通りを進み駅へと戻りました。仙台駅東第二土地区画整理事業完工記念碑のある駅東交流センター前のスペースには、この地域西端の車町で崇敬を集めて区画整理事業に伴い一時的に域外に遷座されていた車延命地蔵尊が建立されていました。空襲を免れ、昔ながらの住商工が混在したインナーシティ然としたかつての風景は、現代の町並みへと変貌して久しい状況でした。鉄砲町の鎮守・和光神社と、二十人町の鎮守・矢先神社が、かわらず地域に鎮座して、地域をやさしく見守っていました。 |
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