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シリーズ・クローズアップ仙台

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#102 大町から青葉山へ 〜城下町時代から変わらぬ仙台の都市軸〜

 2017年12月10日の早朝、仙台駅東口エリアを概観した後は、西口のペデストリアンデッキ周辺の大型店、パルコやエスパルなどの前に設置されていたクリスマスツリーを一瞥して、名掛丁のアーケードへと歩を進めました。AERとパルコの間、駅前通りに接するハピナ名掛丁の入口から西へ、仙台中心部を東西に貫くアーケード街が続いています。通りの名称としては「中央通り」と呼ばれますが、旧来からの町内ごとに商店街が分かれ、東側からハピナ名掛丁、クリスロード、マーブルロードおおまちの3つの町が連接しています。

エスパル仙台II前

エスパル仙台II前のツリー
(青葉区中央一丁目、2017.12.10撮影)
仙台駅西口

仙台駅西口、パルコとAERを望む
(青葉区中央一丁目、2017.12.10撮影)
青葉通

青葉通、旧さくら野百貨店前
(青葉区中央一丁目、2017.12.10撮影)
ハピナ名掛丁

ハピナ名掛丁
(青葉区中央一丁目、2017.12.10撮影)
愛宕上杉通西

愛宕上杉通西側のアーケード入口
(青葉区中央二丁目、2017.12.10撮影)
クリスロード

クリスロード東端の風景
(青葉区中央二丁目、2017.12.10撮影)
旧四ッ谷用水

タイルで表現された旧四ッ谷用水の流路
(青葉区中央二丁目、2017.12.10撮影)
三瀧山不動院

三瀧山不動院
(青葉区中央二丁目、2017.12.10撮影)

 中央通りは、この町が仙台藩の城下町として建設された当初から、町割りの際の東西方向の基軸として計画された通りでした。仙台城の大手門から東へ、一直線に町を横断し、石巻方面への街道筋へと連接していました。城下町中心部には御譜代町と呼ばれる、古くから伊達家に付随してきた由緒ある承認を中心とした町が割り当てられ、要衝には武士の町が設置されて防衛にあたりました。名掛丁は町の名が示すとおり(仙台城下町の場合、「丁」は武士の町、「町」は町人の町であることはこれまでも触れてまいりました)、御名掛衆と呼ばれた武士団が配置された町でした。東五番丁(愛宕上杉通)の大通りを横断し、50メートルほど進みますと、クリスロード商店街へと移り変わります。クリスロード商店街は、かつての新伝馬町(「しんてんまち」と読みます)にあたります。現在ではハピナ名掛丁とクリスロードの間は一体的な町並みとなっていますが、武士の町と町人町との間には、四ッ谷用水の分水が流れて、2つの町を厳然と画していました。その用水路跡はタイルによって表現されています。住居表示は大通りによってブロック単位に再編される一方、商店街の単位は旧来からの町割りに沿っているのも、歴史ある城下町としての矜持を感じさせます。

 中央通りは完全な歩行者用道路となっていまして、日々多くの人々が闊歩する活気のある繁華街となっています。8月6日から8日まで行われる仙台七夕のメイン会場のひとつともなります。商店街の中程には、三瀧山不動院があって、地域の崇敬を集めています。近年は全国的なチェーン店の進出が目立つ巷となっているように感じられますが、クリスマス一色の装飾の中にあって、サンタクロースの衣装でトナカイが引くそりに乗る福の神・仙台四郎のユーモラスな姿を見ますと、古き良き仙台の伝統の温かみを実感します。片側四車線の大通りである東二番丁を渡りきりますと、仙台城下町随一の豪商が軒を連ねた大町(マーブルロードおおまち)へと続いていきます。通りの南側、青葉通に北面して超高層ビル(仙台ファーストタワー)が屹立し、その表情が一変しました。仙台における老舗百貨店・藤崎と、南北に交差する一番町の商店街へと続く一帯は、近年海外高級ブランドのテナントも増えている印象です。一番町を過ぎますと、アーケードはなくなって町並みはやや穏やかになり、日銀仙台支店の先、国分町通りとの交差点が、「芭蕉の辻」で、仙台城下町の中心として機能してきた場所でした。

マーブルロードおおまち入口

マーブルロードおおまち入口
(青葉区一番町三丁目、2017.12.10撮影)
東二番丁

東二番丁通の景観
(青葉区一番町三丁目、2017.12.10撮影)
仙台ファーストタワー

仙台ファーストタワー
(青葉区一番町三丁目、2017.12.10撮影)
マーブルロードおおまち

マーブルロードおおまち・藤崎付近
(青葉区一番町三丁目、2017.12.10撮影)
一番町との交点

一番町との交点、西方向
(青葉区一番町三丁目、2017.12.10撮影)


一番町の風景(ぶらんど〜む一番町)
(青葉区一番町三丁目、2017.12.10撮影)
大町

大町の通り、日銀前
(青葉区一番町三丁目、2017.12.10撮影)
大坂

大坂の風景
(青葉区桜ケ岡公園、2017.12.10撮影)

 芭蕉の辻から西は、マンションやオフィスビルなどが立地するエリアとなり、仙台城に近く藩政期における大規模な商業町出会った面影はほぼ認められない景観へと遷移します。主要な自動車交通路は南側の青葉通りで、人通りも少ない、閑静な印象の一角となっています。この大町の通りが、広瀬川に架かる大橋へと一直線につながるルートとなっていることが、この道筋がかつては仙台城下町を象徴する、豪奢な目抜き通りであったことを物語っています。青葉通との交点付近には、地下鉄東西線の大町西公園駅が開設されました。付近では高層マンションも建設中の様子で、新たな地下鉄駅の開業が、この比較的静かな町にどのようなインパクトを与えていくことになるのでしょうか。西公園通りを渡り、西公園の南、「大坂」と呼ばれる、大橋への下りを緩やかに歩いて行きますと、青葉山の緑が間近に迫ってまいます。1938(昭和13)年に架けられた現在の橋は、親柱、灯篭、高欄に和風の装飾を凝らしていまして、城内と城下町とを結んできた由緒を存分に放っています。広瀬川は穏やかな緑を擁して緩やかにその清流を迸らせていまして、青葉山の穏やかな山裾を洗っています。橋の北側には地下鉄東西線の橋梁が架かって、都市と自然とが近接する仙台を象徴する景観となっています。

 国際センターの北側には、流麗なデザインが印象的な地下鉄東西線の国際センター駅があって、その2階の展望デッキからは、広瀬川橋梁を通過する地下鉄の車両を間近に眺めることができます。周辺は、国際センターのほか、仙台市博物館も立地し、仙台城の堀や石垣、復元された大手門脇櫓などの文化・歴史的な事物と、青葉山の緑地景観とが穏やかに響き合う、豊かな風景が形成されています。河岸段丘上の旧二の丸は現在、東北大学のキャンパスとなっています。キャンパス内を概観しながら、東日本大震災では甚大な被害を受け、石垣の復旧や通行再開に4年もの歳月を要した市道仙台城跡線を辿って、仙台城跡へと到達しました。


広瀬川

大橋より広瀬川、地下鉄東西線の橋梁を望む
(青葉区川内、2017.12.10撮影)
地下鉄国際センター駅

地下鉄国際センター駅
(青葉区青葉山、2017.12.10撮影)
国際センター駅

国際センター駅から地下鉄線を望む
(青葉区青葉山、2017.12.10撮影)
扇坂

扇坂を反映した階段
(青葉区川内、2017.12.10撮影)
東北大学川内キャンパス

東北大学川内キャンパス
(青葉区川内、2017.12.10撮影)


仙台城跡・大手門脇櫓
(青葉区川内、2017.12.10撮影)
仙台城本丸の石垣

仙台城本丸の石垣
(青葉区川内、2017.12.10撮影)
仙台中心部俯瞰

仙台城本丸から望む仙台市中心部
(青葉区川内、2017.12.10撮影)

 全国的にも著名な伊達政宗の騎馬像が町並みを見下ろす本丸(青葉山公園)からは、東北最大の仙台の町並みを一望することができます。超高層ビルが多く屹立し、仙台駅周辺が目立たなくなった中心市街地は、より一層その迫力を増して目の前に映ります。高度経済成長期以降、郊外の丘陵地を席巻したベッドタウンの成長の跡も見通すことができまして、その北側には泉ヶ岳や七つ森の山並みを見晴らします。地下鉄東西線の橋梁や国際センター駅のパーツが加わって変化した広瀬川の流れも、穏やかに市街地の縁辺を蛇行し、経ヶ峯を豪快に侵食した痕跡の下を悠々と進んでいます。そして、沿岸部へと視線を向けますと、忘れることのできない、東日本大震災の爪痕も見える遠景も認めることができます。この後も、この場所を訪れる度に、感動と感傷とを抱きながら、この町並みを眺めることになるのだろうと思います。


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