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シリーズ・クローズアップ仙台
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#103 七北田から山の寺へ 〜泉区、副都心から古刹へ、郊外化の風景〜 2017年12月10日、早朝から活動を開始し、大町を辿り青葉山へと至った私は、市街地とその周辺を巡廻運行する観光ループバス「るーぷる仙台」利用し定禅寺通へ移動、地下鉄勾当台公園駅より北の終点・泉中央駅へと進みました。泉区域の急速な人口増と、地下鉄泉中央駅を中心とした計画的な都市開発により、今日では仙台北部の副都心たる商業地区として成長した泉中央は、南を流れる七北田川が形成する数段の河岸段丘の段差を乗り越えて広がっており、一段高い段丘面上にはセルバやアリオ仙台泉といった商業施設があって、それらと同一レベルのペデストリアンデッキが一段下の段丘面上にある泉中央駅ビルの2階部分に連接する形となり、デッキ下にバスターミナルやタクシープールが収まる形となっています。駅の西側の市道はこの高低差を反映して、緩やかな坂道となっています。
その緩やかな下り勾配の市道を南へと進み、のびすく泉中央(旧ミルポートS)の特徴的な外観(かつてのプラネタリウム球体を生かしたもの)や仙台プロサッカークラブ・ベガルタのホームスタジアムである仙台スタジアム(ユタテックスタジアム仙台)などを左手に歩いて、七北田川左岸一帯に広がる七北田公園へ。入口付近に体育館や都市緑化ホールといった施設がある他は、芝生広場をはじめとした広大なオープンスペースが広がっています。振り返りますと、泉中央の市街地が一段高い面上に位置していることが視覚的にも分かります。その段丘上につながる地下鉄は七北田川を渡って、公園内を高架で縦断していきます。七北田川に近い部分には遊歩道があって、河畔林に一部覆われた堤防上を穏やかに散策することができました。この日は風もそれほど無い静かな冬晴れの陽気で、園内には多くの人々が訪れていたようでした。 七北田公園での周遊を終えた後は、再び泉中央へ戻り、ペデストリアンデッキ上へ。アリオ仙台泉の横を通って、泉区役所(合併前の旧泉市役所の建物)を一瞥しながら東へ折れて、かつての奥州街道筋方面へと向かいます。現在の県道は「かむり大橋」(「冠川」は七北田川の別称)で七北田川を越えて泉中央の都市域に入り、将監トンネルを抜けて仙台バイパスへと抜けていますが、かつては八乙女駅の南で県道から分岐し、七北田橋を越えて北北東に進む街路が旧奥州街道で、その街道上に発達した「七北田宿」が泉区域における中心的な都市的集落をなしていました。泉中央の整然とした土地区画に取り込まれ、中低層のマンションやアパート、郊外型の店舗などが目立つため、視覚的には古い宿場町という雰囲気はあまり感じないものの、道路に直交する短冊状の区画にその面影を見ることができます。浄満寺の境内には段丘崖に拠る林が残っているのもその痕跡と言えるでしょうか。旧道もやがて堂々たる幹線道路である仙台パイパスに合流し、その歩道をさらに北へと進みました。
高度経済成長は、地方における中心都市の拠点化を促し、人口増と郊外化を結果しました。中でも、地方ブロック単位の中枢都市として急成長を遂げた仙台市では、その外縁部におけるベッドタウン化は、土木技術の高度化も相まって開発が容易となった丘陵地を主な舞台として進捗したことはこれまでも本稿にてご紹介してきました。この都市圏の拡大により旧泉市域でも多くのニュータウンが出現し、仙台市合併後はその影響圏はさらに北へ、富谷市や大和町方面へも展開していきました。丘陵地を削る要害川に沿うように進む仙台バイパスを歩きますと、その両側の丘陵上に団地が形成されていることが見て取れます。西側は将監団地であり、東側には向陽台団地が広く丘陵を覆うように完成しています。その向陽台団地に周囲を取り囲まれるようにしてある小規模な谷地に、「山の寺洞雲寺」の寺域が広がっています。寺の入口の看板がある道に入り、冬枯れの葉がすっかりと落ちた木々に覆われる道路を辿っていきます。 洞雲寺は、慶雲年間(704〜708)に定慧(じょうえ)法師がこの地に天台宗の円通寺を開祖し、慈覚大師が中興、「山の寺」と称したことに始まります。その後寺は荒廃しましたが、暦応年間(1338〜1342)に国分氏の庇護を受けた明峰素哲禅師が再興、以降は曹洞宗の寺となりました。その後も国分氏や藩政期の藩主伊達家などの援助を得ながら発展し大道場が成立、仁王門、山門、仏殿、開山堂などを擁する大伽藍となりました。それらの堂宇は1943(昭和18)年の山火事で惜しくも消失してしまい、現在は2017年に落成した真新しい本堂と山門が、この歴史ある古刹の新たな幕開けを象徴していました。周囲の丘陵がつくる岩壁には「岩谷観音洞」と呼ばれる岩窟も現存していまして、この寺院の草創期の様子を物語っていました。境内にはたくさんの桜の木が植えられていまして、春には美しい桜色に包まれます。
幾星霜の時を超えて存立してきた「山の寺」の空気に触れた後は、丘陵を上る階段を上がって、その上の高台一帯に開発された向陽台団地へと歩を進めました。仙台城下より遙か北、七北田川流域のさらに北側の深い森であったかつての丘陵地は、整然と区画された現代的な住宅団地へと様相を変えていました。洞雲寺のある谷地の周辺にのみ残る林が、この地域の原風景をわずかにとどめていました。 |
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