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シリーズ・クローズアップ仙台

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#105 一番町・片平丁周辺を歩く ~城下町時代の面影をめぐる~

 2018年7月16日、海の日の祝日の仙台市街地を歩きました。この日は終始薄曇りの陽気で、時折小雨も降る天候でした。そのため、最高気温は30度に届かない夏日であったのですが、空気はやや蒸し暑く感じられました。午前9時前、徐々に人が増え始めた仙台駅西口のペデストリアンデッキ上からは、改良工事が進むバスプールの様子や、ケヤキがいよいよ深い緑色を呈する青葉通、そしてAERやパルコ、ロフトなどの商業施設が整い、駅前の風景として見慣れてきた光景を概観しました。

仙台駅東口

JR仙台駅東口の景観
(宮城野区榴岡一丁目、2018.7.16撮影)
東西自由通路

仙台駅東西自由通路(杜の陽だまりガレリア)
(青葉区中央一丁目、2018.7.16撮影)
仙台駅西口のペデストリアンデッキ

仙台駅西口・ペデストリアンデッキの風景
(青葉区中央一丁目、2018.7.16撮影)
青葉通

仙台駅西口のペデストリアンデッキ上から見た青葉通
(青葉区中央一丁目、2018.7.16撮影)
東二番丁通・仙台ファーストタワーと仙台トラストシティ

東二番丁通・仙台ファーストタワーと仙台トラストシティ
(青葉区中央二丁目、2018.7.16撮影)
青葉通一番町

青葉通一番町・サンモール一番町
(青葉区一番町三丁目、2018.7.16撮影)

 ハピナ名掛丁からクリスロード、マーブルロードおおまちへと続く中央通りは、アーケードが連続する商店街として人の流れが絶えない巷となっていますが、城下町時代においても、仙台城大手門から城下町を東西へ貫く、一大目抜き通りとして機能していたことは、本稿でも度々ご紹介してきました。中でも、芭蕉の辻(中央通りと国分町通との交差点)は、南北の奥州街道との接点であり、城下町建設の起点となるとともに、城下町のまさに中心として大店が軒を連ねる一大町人町が形成されていました。芭蕉の辻を中心に、御譜代町と呼ばれる、米沢、岩出山、仙台と、伊達家とともに移り住んできた歴史のある町人町(大町、肴町、南町、立町、柳町、荒町)が配置され、その町だけの専売権が与えられていました。その繁華街としての興隆は、近代、そして現代へと時代が変遷する中で、一番町と一番町以東の中央通り沿いへと移り変わっています。

 全国的なチェーン店の店舗や、ファッションブランドのショップが多く進出して、地元資本の店舗が目立たなくなっている印象ですが、一番町と中央通りの東南角に立地する藤崎は、老舗の百貨店として今日でも有数の売上額を誇っています。アーケードには、「一番町三社まつり」の幟が随所に設置されていたのが目に留まりました。これは、中心市街地の商売繁盛を祈願し、おおまち商店街「藤崎えびす神社」、サンモール商店街「野中神社」、ぶらんど〜む一番町商店街「和霊神社」の御神輿が一番町通から中央通りを渡御しているものであるようでした。地下鉄駅が開業して商業施設と超高層マンションが完成し景観が変化した青葉町一番町を過ぎ、サンモール一番町を南に進みますと、通りの西側、赤いのぼり旗が立つビルの谷間の参道の先に、野中神社がこぢんまりとしたお社を構えています。ビルに囲まれた小さな敷地に立つコンクリート造の社務所然とした建物の屋上に階段が続き、社殿が整えられています。その場所は、仙台藩主伊達政宗公による仙台開府の際に町割りを決めた縄を埋めてまつった場所であったと伝えられているのだそうです。

青葉通一番町

青葉通一番町・再植栽されたケヤキ並木
(青葉区一番町三丁目、2018.7.16撮影)
サンモール一番町

サンモール一番町・野中神社祭礼の提灯
(青葉区一番町二丁目、2018.7.16撮影)
野中神社参道

ビルの谷間を進む野中神社参道
(青葉区一番町二丁目、2018.7.16撮影)
野中神社

野中神社
(青葉区一番町二丁目、2018.7.16撮影)
東北大学片平キャンパス北の町並み

東北大学片平キャンパス北側の町並み
(青葉区一番町一丁目、2018.7.16撮影)
東北大学片平キャンパス

東北大学片平キャンパス
(青葉区片平二丁目、2018.7.16撮影)

 一番町を南に進み、南町通の大通りを渡りますとアーケードは途切れて、その南を北西から南東に横切る五ツ橋通を横断しますと、東北大学の片平キャンパスへとたどり着きます。東北大学の本部や、研究所が中心となるキャンパスで、同大学最古のキャンパスであることから、旧仙台医学専門学校博物・理化学教室、旧仙台医学専門学校六郷教室、旧第二高等学校書庫、旧東北帝国大学附属図書館閲覧室、旧東北帝国大学理学部科学教室棟といった歴史的な建造物が残り、黒松が並木をつくる景観は、都心にあって豊かな緑地景観を残す憩いの場として市民にも親しまれるエリアとなっています。西側の片平丁に面した正門を出ますと、西側に広瀬川の清流や青葉山の緑を望むことができるほか、藩政期には有力な家臣の邸宅が立地してきたために、江戸時代の石垣やその敷地を受け継いだ裁判所が存在するなど、片平丁周辺は城下町時代の面影を辿ることができる一角でもあります。

 片平周辺を散策した後は、東北大学の金属化学研究所と片平丁小学校との間の道路(柳町通)を東へ進みます。柳町通は、一番町から南へ続く道路と五ツ橋通との交差点でわずかに分断されながら、かつて東北学院大学付属中学・高校のあった仙台トラストシティ北へと続いていきます。旧奥州街道の芭蕉の辻以南は、先にご紹介した南町で、「南町通」は、元来はこの南町に出る通りという意味合いでした(仙台城下町の他の~通という町名もその命名法は同じです)。奥州街道は南町を過ぎると東へ折れて、柳町へと続いていました。柳町の守り神として崇敬を集める大日堂は、仙台城下町の縄張りに使用した縄の一部を焼き灰を埋めた場所に城下鎮護のためのお堂を建てたという、先にご紹介した野中神社と同様の伝承が知られているようでした。


片平丁の景観

片平丁の景観
(青葉区米ヶ袋一丁目、2018.7.16撮影)
青葉山と広瀬通

片平丁から青葉山・広瀬川を望む
(青葉区米ヶ袋一丁目、2018.7.16撮影)
柳町大日堂

柳町大日堂
(青葉区一番町一丁目、2018.7.16撮影)
藤崎えびす神社

藤崎えびす神社(藤崎屋上)
(青葉区一番町三丁目、2018.7.16撮影)
ぶらんど~む一番町

ぶらんど~む一番町の町並み
(青葉区一番町三丁目、2018.7.16撮影)
和霊神社

和霊神社(フォーラス屋上)
(青葉区一番町三丁目、2018.7.16撮影)

 一番町三社まつりで神輿を出す神社のうち、残る2つの藤崎えびす神社と、和霊神社は、ともにビルの屋上に祀られていました。藤崎えびす神社は、その名のとおり、藤崎デパートの屋上に鎮座します。藤崎は、1819(文政2)年に「得可壽屋(えびすや)」の屋号で呉服店を創業したのが始まりで、以来「えびす様」を氏神様として崇拝してきた伝統があり、1963(昭和38)年から現在地にえびす様をお祀りするようになりました。和霊神社は、やはりファッションビル「フォーラス」の屋上に造営されています。和霊神社は伊達政宗公の長男で宇和島藩主、伊達秀宗のもとで産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した山家清兵衛を讃え建立されたもので、現在のぶらんど~む一番町商店街がさらなる発展のため、現在地に分霊を勧請したものであるのだそうです。なお、和霊神社の参拝は、フォーラスの受付で申請が必要となります。

 東北地方最大の都市として成長し、現代都市として大きく景観を変貌させてきた仙台の町ですが、こうして丹念に町を歩きますと、城下町時代の名残や今日まで息づく商業町としての信仰の姿を随所に見つけることができます。


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