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シリーズ・クローズアップ仙台
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#107 2018年12月の仙台市街地 ~中心部から青葉山、川内へ~ 2018年12月23日、地元を深夜に出発した夜行バスは、快晴で底冷えの仙台駅東口に午前6時前に到着しました。辺りはまだ真っ暗であったため、高速バスの待合所でしばらく時間を過ごし、周囲が明るくなるのを待ってから駅西口へと進みました。駅構内や西口のペデストリアンデッキ周辺の商業施設ではクリスマスの飾り付けがなされていまして、季節感を演出していました。
仙台訪問の定番は、ペデストリアンデッキを一回りして駅前の変化を確認した後、名掛丁へと向かうルーティンです。全国でも有数の規模であるといわれるペデストリアンデッキは、北側でさらに延長され、AERを取り囲むように延びて、エックス橋交差点を跨ぐまでになっていました。エックス橋にも直に接続していまして、ますます利便性が向上していました。人通りのほとんど無い、朝焼けのアーケードの下を歩きます。愛宕上杉通(東五番丁)を西へ横断した場所にある名掛丁と新伝馬町(クリスロード)との境界や、三瀧山不動院を確認しながら、仙台城下町時代から続くメインストリートを辿りました。 サンモール一番町を経て青葉通一番町周辺へ、国分町通を北へ戻って芭蕉の辻を一瞥しつつ、その北側の旧肴町あたりを歩きながらぶらんど~む一番町へと出て、夜は光のページェントで彩られる定禅寺通へと歩を進めました。初夏から仲秋にかけて、いっぱいに緑の葉を繁らせる定禅寺通のケヤキ並木は、真冬は葉をすっかりと落としていて、通りを多う枝の一本一本がはっきりと見通せます。その樹冠が空へ向かう様子は、杜の都仙台を象徴する事物の一つとしての活力を感じさせます。朝の清浄な張り詰めた空気の下、晩翠通を横断しメディアテーク前を過ぎて、広瀬川を望む西公園へと進みました。機関車が保存される一角には、「杜の都れんが下水道窟」なるモニュメントがあります。それは地下にある明治期に市街地の近代化に合わせて整備された下水道管の遺構を保存したもので、それは大雨時の雨水を排水する機構として現役であるとのことでした。広瀬川を眺めた後は、西公園内を南へ進み、仲の瀬橋を望む歩道橋上から青葉山丘陵を眺めました。桜岡大神宮あたりの園内にはうっすらと霜が降りていまして、ビルの間からようやく射し込み始めた朝日に輝いていました。
大坂を下って、大橋へ。大橋から望む広瀬川の流れはとても穏やかで、経ヶ峯に臨む南側の川面には朝の日射しを受けた雲が映り込んでいました。大橋を渡った右岸の一帯は、川内追廻地区と呼ばれ、かつては戦後の引き揚げ者や空襲による被災者を受け入れるための仮設住宅が建てられたため長らく稠密な住宅地域が形成されてきました。その後仙台市による青葉山公園としての整備計画により徐々に立ち退きが進み、訪れた時には数件の住宅を残すのみで一面が更地となった光景となっていました。国際センター駅や仙台城三の丸周辺、下の堀(長沼)の西側にあった巽門跡や市博物館敷地内の魯迅の記念碑、大手門脇櫓などを確かめながら青葉城跡公園(仙台城本丸)へ。伊達政宗騎馬像が見下ろす仙台市の中心部は、この日もとても清々しく、青空の下、目の前に展開していました。 再び市道を下って大手門跡へ戻り、仙台城二の丸にあたる東北大学の川内キャンパス内を縦断して地下鉄川内駅方面へと針路を採ります。青葉山ののびやかな森を背景に広がるキャンパス内は早朝そして冬季休業中ということもあってまったくといってよいほど人影もなく、筆者が通っていた頃よりは学生生協関連の施設がしゃれた感じにリニューアルされた風景の中を、懐かしい気持ちに浸りながら歩きました。キャンパスを北に進んだ市道沿いの公務員住宅や郵便局のある風景はほとんど変化はない代わりに、キャンパス内には現代的な施設群が完成していまして、真新しい川内駅の建物とともに、好対照を見せていました。
川内亀岡から牛越橋へ抜ける市道を進んで交通公園へと至ります。近傍には、三居沢発電所が立地しています。1888(明治21)年7月、この地にあった紡績会社が紡績機用の水車を回して東北初の電灯を灯すとともに、日本で最初の水力発電となった場所です。東北電力に継承された現在でも最大出力1,000キロワットで運用が続けられています。発電所の近くには三居沢大聖不動堂が佇みます。お堂の奥には断崖を穿って流下する小流があり、朝の張り詰めるような空気をより凛としたものにしていました。 |
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