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シリーズ・クローズアップ仙台
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#108 「四ッ谷用水」を追って ~仙台城下町を潤した一大用水路~ 2018年12月23日、早朝の仙台駅前から市街地を回って青葉山へ、そのまま川内から山居沢へと進んだ私は、牛越橋を渡って八幡方面へと向かいました。牛越橋の名は、仙台城築城のための石材を、この場所で牛に引かせて渡らせたことに因みます。河原が広がる一帯では、仙台の秋の風物詩である「芋煮会」の会場としてもよく利用されています。橋の上からは、上流方向に青葉山丘陵北端の広瀬川の峡谷部を、下流方向に青葉山の裾を回りながら進む広瀬川の流れと、それに寄り添う川内や角五郎の町並みを望むことができます。国道48号に出るまでは、広瀬川の河岸段丘による上り坂を上る形となります。
鶏沢という名前の小流を越えて、国道48号は丘陵地を浸食する峡谷部へと入っていきます。これは国見から青葉山へ向かう隆起軸を広瀬川が横断する形となっている場所にあたり、東北自動車道仙台宮城インターチェンジ付近の小盆地へ抜けるまでの間、国道48号は蛇行する広瀬川の狭い河道に沿うように取り付けられています。こうした地形上の制約から、同インターチェンジは仙台市中心部に最寄りながら、相対的な利用数では仙台南インターチェンジに劣っていましたが、仙台西道路の完成により、利便性が飛躍的に改善し現在に至っています。この峡谷部は地すべり地帯(左岸は「放山(はなれやま)地すべり」、右岸は「青葉山地すべり」と呼びます)を包摂しており、牛越橋辺りの河川敷を始めとした砂礫の供給源ともなっています。 八幡六丁目の本国寺付近には、広瀬川の小支流である聖沢が流れていまして、国道の旧道に並ぶように「四ッ谷用水 聖沢掛樋」が沢を跨いでいるのを確認することができます。四ッ谷用水については、仙台城下町の生活用水及び排水のため町中に張り巡らされた用水路のことであることは、本稿でも度々ご紹介してきました。四ッ谷用水の取水口はこの広瀬川の狭隘部近く、郷六地内にあり、この峡谷部を隧道で抜けて、市街地北縁の段丘崖に沿って本流が建設されました。用水路が自然の沢を横切る部分には木製の樋(掛樋)がつくられていまして、この聖沢掛樋もそのうちのひとつです。聖沢掛樋は掛樋の構造を唯一確認することができる場所です。四ッ谷用水は、現在「仙塩工業用水道」として現役で利用されており、現在の掛樋はコンクリート製となっていました。「四ッ谷用水」の名の由来は、4つの谷を跨いでいたことであるといわれています。鶏沢もその4つの谷のうちのひとつです。
四ッ谷用水を追って、さらに国道48号沿いを歩きます。杉木立の中に鎮座する文殊菩薩堂を訪ねて市街地を遠望した後進んだ沿道には、真冬で葉を落とした木々に覆われた峡谷沿いの森に隠れるように、暗渠化された用水路を随所で視認することができました。さらに歩いて郷六地区に入りますと、南側に四ッ谷用水の開渠部を唯一見学できる場所があります。水田や畑地が広がる中を穏やかに流れる用水路は、河岸段丘上で水が得にくい土地であった現在の仙台市中心部一帯を潤して、一大都市へと飛躍するための礎となりました。藩政期にはこの開水部の南あたりに堰がつくられて取水していました。現在でも山居沢発電所の取水口はこの付近に設けられています。一方の四ッ谷用水(仙塩工業用水路)の取水口はより上流に設けられていまして、そこへもまた隧道で接続しています。 取水口付近の用水路の様子を確認した後は、市バスで国道48号を戻り、大崎八幡宮前まで移動しました。1607(慶長12)年に造営した大崎八幡宮は、安土桃山時代の絢爛さを今に伝える社殿が国宝に指定される神社です。河岸段丘を反映した石段の途上に、太鼓橋で四ッ谷用水の流路を越えます。ここから東へ、八幡から柏木にかけての住宅地域を暗渠として流路を辿ることができます。八幡四丁目から同二丁目にかけて、旧江戸町から旧石切町にかけての部分は、市道と重なっており、暗渠はその歩道部分となっています。広瀬川の澱橋の北側あたりで深い谷を刻む「へくり沢」と呼ばれる沢の上流部も暗渠化されていまして、やはり暗渠化された四ッ谷用水と交差する部分も確認することができます。付近の春日神社のあたりでは、洗い場跡が残されている場所もあって、日常生活と密接に関わっていた用水の往時を窺い知ることができます。北山の輪王寺の庭園を訪問した後、四ッ谷用水をその地下へ通す北六番丁へと進み、農学部跡の様子を確認しました。上杉六丁目交差点付近に、四ッ谷用水に架かっていた上杉山橋の欄干が残されていることについても、何度か本稿でご紹介していることと思います。
四ッ谷用水は、仙台市街地の河岸段丘地形を巧みに利用して、自然に流下する流路を城下町の隅々まで配置し、生活用水や農業用水を供給、悪水の排水のためにも利用されました。また、用水は地下水の涵養する効果も発揮し、市街地中心部における井戸による水利用も可能にしていると考えられています。その長大な流路と効用から、「第二の広瀬川」とも呼ばれる四ッ谷用水の痕跡は、その広瀬川により沿いながら、現在でも往時の面影を溶け込ませながら存在し続けています。 |
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