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シリーズ・クローズアップ仙台
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#116 花壇の町並みを歩く ~蛇行する広瀬川に囲まれたまち~ 2020年6月16日、青葉山から大橋へと達していた私は、橋の袂を右に曲がり、広瀬川が大きく蛇行する一帯へと歩を進めました。すぐ東側には広瀬川が形成した河岸段丘に由来する崖が連なっており、この地区はその段丘崖の崖下、三方を川に囲まれた低地帯となっています。ちょうどギリシャ文字の「Ω」の形にくびれているその様から、楽器の「琵琶」の首のようであることから、かつては「琵琶首丁」の町名で呼ばれていました。
大橋を挟んで反対側は西公園、広瀬川の清流を介して青葉山の緑を望むこのエリアは、評定河原橋方面へと抜ける通りに面する場所を覗いては主要な幹線道路から外れた住宅街で、中心市街地に近い立地ながら静かな環境が保たれています。大橋や南町通、五ツ橋通へと続く一帯は、旧家庭裁判所敷地に近年超高層マンションが建築されるなど、仙台市街地の都心回帰を象徴する開発が行われています。また、本稿でも度々ご紹介してきましたとおり、地下鉄東西線の大町西公園駅が開業して、仙台駅方面へのアクセス性が向上し、町のポテンシャルが大きく変化しているエリアでもあります。訪問時でも、先ほどお話しした河岸段丘上にマンションが一棟建築中で、この地域の風景に新たなアクセントを与えるものと思われました。 大橋から続く市道は丁字路に突き当たり、南町通(五ツ橋通)から下ってくる道路に合流します。右折すると信号機のある丁字路に達し、左折側は評定河原橋を経て霊屋下へと続く通りとなります。このあたりから住居表示は「花壇(かだん)」となります。交差点付近にある数棟のマンションも「花壇」の名前を冠しています。この花壇という地名は、藩政期に地区の南端に藩主の御花壇が置かれていたことによるものです。さらに花壇地区を歩いて行きますと、周囲は閑静な住宅地と行った風情で、仲夏の日射しの下、穏やかな空気に包まれる静謐さが印象に残る近隣となっていました。中には古い佇まいも住宅も散見されて、開発が比較的緩やかであったことを思わせます。
そんな静かな住宅地をしばらく進みますと、やがて地区の縁辺を周回する広瀬川の河畔へと到達しました。川はどこまでもたおやかな流れを呈していまして、向かい側のしなやかな青葉山の緑に映えていました。仙台市街地を流れる広瀬川はこの部分を含めて大きな蛇行を繰り返しています。中心市街地は広瀬川がつくる数段の河岸段丘上にあることはこれまでも指摘してまいりましたが、そうした広瀬川の浸食の歴史の現在進行形が、目の前をゆったりと流下する広瀬川のそれであることを思うと、河川が地形を長い時間をかけて整形していくことの雄大さを実感せずにはいられません。青葉城を望む自然豊かなこの場所に花壇がつくられたことにもどこか納得してしまいます。戦前には仙台市の動物園も開業していたこの場所は、現在は花壇自動車学校の敷地となっていまして、毎日のように多くの学生がやってきて免許取得にいそしんでいます。 自動車学校へのアプローチ道路は広瀬川により沿い評定河原橋へと続いています。河畔からは広瀬川の穏やかな流れを間近に望むことができます。青葉山から東へ連なる経ヶ峯や大年寺山の緑もとても鮮やかで、河床の木々や緑と豊かに調和していました。右岸側は大きく浸食された絶壁となってまして、長い長い時間をかけて広瀬川が台地を刻んできた歴史を実感します。左手には東北大学の陸上競技場、さらに評定河原橋につながる市道を挟んで評定河原野球場があります。それらの競技施設の背後の河岸段丘は落差が20メートルほどもあり、これほどの人口規模の都市の中を流下する河川としては希有な渓谷状の景観が作り出されています。杜の都と称される仙台を代表する緑の風景です。そうした水と緑の向こうには、東北随一の超高層ビルであるウエスティンホテル仙台などのビル群が重なって、現代における大都市・仙台のスカイラインが見えていました。
最後に、評定河原橋を背にして中心市街地方向に戻り、南町通(五ツ橋通)へと上る坂道へと進みます。仙台は数段の河岸段丘の上に発達した町なので、市内の随所に坂道があります。それらのうち特徴のある坂を指して「仙台七坂」と呼ぶものがあります。大町から大橋へと続く「大坂」もそのひとつです。この花壇(琵琶首丁)から崖上の片平丁へと続く坂道も、「藤ヶ坂」というそのひとつです。坂の途中には藤坂神社と呼ばれる小さなお社があって、広瀬川と崖下の町並みを見下ろしています。階段を上った先はやはり「仙台七崎」と呼ばれる、代表的な台上の突端の地形が選定されたものの一つである「藤ヶ崎」にあたります。広瀬川を見渡し、藩主の居城である仙台城に相対するこの場所は、片平丁と呼ばれる道が通り、藩政期には有力家臣たちの大邸宅が建ち並ぶエリアでした。藤ヶ坂を登り切りますと、その片平丁方面へと足を伸ばしました。 |
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