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シリーズ・クローズアップ仙台
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#118 市中心部から青葉山を歩く ~2020年、雪の積もった朝の風景~ 2020年12月26日、地元を前日夜に出発した高速夜行バスで到着した未明の仙台駅東口は、路面にうっすらと雪が積もっていました。なお、この時利用した高速バスは、コロナ禍における利用低迷の影響もあり、この月をもって営業休止したと記憶しています(執筆時現在でも休止扱いで再開されていません)。東西自由通路が開通し、エスパルやホテルメトロポリタンイーストなどの駅直結型の施設も完成、ペデストリアンデッキ(宙空歩道)もできあがるなど、東口も大きく様変わりしました。
仙台市の玄関口となる西口は、国内最大規模ともされるペデストリアンデッキが駅周辺の広い範囲にわたって連結していて、仙台駅の出入口である2階のレベルから、地上に降りることなく幹線道路を横断したり、周辺施設にアクセスしたりできるようになっています。徐々に明るくなる空には雲ひとつなくて、わずかに積もる雪は、前日夜から未明にかけて、寒気に伴って奥羽山脈を越えて流れてきたものであることが想起されました。ペデッストリアンデッキを進み、名掛丁のアーケードへ。ここから名掛丁、クリスロード(新伝馬町)、マーブルロードおおまちと、複数の商店会からなる商店街が、「中央通り」と一括されるアーケード街によって連続していきます。 一番町に行き着きますと、ぶらんど~む一番町のアーケード街へ北上してみました。商店街はいつもながらの表情を見せていまして、早朝の閑静な朝の時間が経過していました。うっすらと積もる雪も、人が通った場所以外はそのままに残っていて、仙台の冬らしい光景をつくりだしています。中央部は開口し、両サイドにアーケードのある一番町四丁目買物公園を経て、定禅寺通りへ。すっかりと葉を落としたケヤキ並木は、積雪を受けて黒々とした地肌を、寒い朝の空気にさらしていました。中央の散策路にもまんべんなく雪が積もっていまして、黒と白のしなやかな冬の情景が現出していました。
雪の定禅寺通りを歩き、シースルーのファサードが現代的な印象を与える、せんだいメディアテークの前を通り、西公園通りへ。ここから道路を横断して広瀬川に沿って南北に広がる西公園を南へ歩きます。公園内には、土曜日の朝、まだほとんど人の姿はなく、そこは一面の銀世界がひろがっていました。仲の瀬橋のたもとを歩道橋で越えた先、桜岡大神宮の前の芝生も全体が真っ白な空間となっていました。ここからは、大橋へと続く坂道を、凍結に気をつけながら歩き、仙台城の入口にあって、今も昔も重要な位置を占めている大橋を渡ります。雪の広瀬川も、穏やかな流れに雪と朝の冷たさを宿しているように見えます。仲の瀬橋の手前には、開業した地下鉄東西線の高架橋も完成し、仙台の新たな都市景観として定着しつつありました。 国際センターから道を挟んだ南側は、仙台市博物館の敷地の南に、広大な空き地がありました。ここは川内追廻地区といい、戦後に大陸から引き揚げてきた人々の一時的な居住地として宅地が造成されてきた地区でした。そうした限定的な宅地であったため、インフラは町内会が独自に管理するなど、仙台市中心部では独特な地域性を持つ街区でもありました。そうした背景もあり、市は住民に段階的に立ち退きを求めてきましたが、一部住民との対立もあって最近までモザイク状に住宅が残ってきた地域でした。訪れたこのときは、立ち退きも最終段階を迎えつつあったようで、雪の積もったただただ茫漠たる空き地が、青葉山を背に広がるといった状況でした。
最後に、仙台城大手門後の隅櫓まで坂道を登った後、仙台城址へ続く市道を、やはり足下に十分に気をつけながら、歩を進め、青葉山の仙台城本丸跡を目指しました。途中に中門跡の石垣があり、さらに登ると、目の前に長大な高さを誇る仙台城の石垣が目に入ってきます。東日本大震災からの復興も終わり、従前の壮大な姿を復活させた石垣を左手に坂道を上り、仙台城跡へ。眼前に広がる仙台市中心部の町並みは、いつもながらに雄大かつ温容な光景を目の前に見せてくれていまして、遠方の山並みや、遙か東の太平洋の水平線まで、あますところなく冬の朝の空の下に展望させてくれていました。 |
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