Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東北地方 > シリーズ・クローズアップ仙台・目次

シリーズ・クローズアップ仙台

#118ページ #120ページへ→

#119 特別史跡・多賀城跡を歩く ~史跡と農村的景観の面影をたどる~

 2020年12月26日、仙台市街地から青葉山にかけて歩いた後は、観光ループバス「るーぷる仙台」を利用して駅前に戻り、東北線でお隣の多賀城市・国府多賀城駅へと進みました。2001(平成13)年開業の比較的新しい駅です。この駅は、多賀城市の使命の由来にもなっている、史跡・多賀城跡の最寄駅です。駅周辺は徐々に宅地化が進んでいる印象ですが、多賀城跡方面の市川地区あたりは昔ながらの農村的景観も残って、仙台市街地郊外の一般的な態様が認められます。

JR国府多賀城駅

JR国府多賀城駅
(多賀城市浮島一丁目、2020.12.26撮影)
館前遺跡

館前遺跡
(多賀城市浮島、2020.12.26撮影)
館前遺跡の景観

館前遺跡の景観
(多賀城市浮島、2020.12.26撮影)
多賀城南門の復原工事現場

多賀城南門の復原工事現場
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
多賀城碑・覆堂

多賀城碑・覆堂
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
多賀城碑

多賀城碑
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)

 駅のすぐ北西側には、「館前遺跡」があります。多賀城に接する高まりにあるこの場所には、多賀城の政庁正殿にも匹敵する大規模な建物跡が発見されました。9世紀後半の上級役人の邸宅跡と推定されています。公園として整備が進む丘陵地へのゆるやかな登り坂を歩みますと、正面にシートで覆われた大規模な建設現場がありました。多賀城の南門を復原している現場であるようで、執筆時現在では工事も最終段階になっており、ほぼ全容が完成しているようですね。傍らには、重要文化財(訪問時。2024年に国宝に指定)の多賀城碑が覆堂の物中に佇んでいます。762(天平宝字6)年に多賀城の修造を記念して建てられたものとされ、その歴史的な重要性から日本三古碑のひとつとされているものです。政庁跡へと続く緩やかな道を進みながら振り返りますと、仙台市中心部やその背後の青葉山のキャンパスの建築物群を見通すことができました。

 多賀城は陸奥国府として建設され、併せて北方への守りを固める鎮守府としての役割も持っていました。仙台平野北縁にあって平地を一望できる場所に造営されました。正殿の跡には基壇が復原されて、多賀城の往時の規模を窺い知ることができます。城郭は築地塀によって四方を囲われていたことが分かっていて、その外郭部には要所に門がつくられて、内外を画していました。周囲は丘陵地に開かれた農地と住宅とが広がるのびやかな農村的な景観が卓越していて、その中に政庁跡や外郭の門の跡、石敷の道路跡などが点在しています。築地塀の跡も、帯状の高まりとして残されています。陸奥総社宮を訪ねた後は、この地域を貫通する旧塩竃街道を西へ歩を進めます。六月坂地区には平安時代初期の役所跡が見つかっています。その後はその建物を棄却し倉庫が建てられたと推定されています。周囲は東北地方らしい、本当に畑と住宅とがある、たおやかな農山村の風景が卓越していて、時代を経るごとに古代の政庁跡はそうした事物の中に埋もれていったことを実感することができました。

多賀城跡から仙台市街地を望む

多賀城跡から仙台市街地を望む
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
多賀城跡・政庁跡

多賀城跡・政庁跡
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
多賀城跡から南門の復原工事現場を望む

多賀城跡から南門の復原工事現場を望む

(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
多賀城跡周辺の農村風景

多賀城跡周辺の農村風景
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
石敷の道路跡

石敷の道路跡
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
外郭東門跡

外郭東門跡
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)

 多賀城市内で二番目に古い供養碑である伏石を確認し、多賀城南門の復原工事現場を一瞥しながら、東北線の鉄路を南に越えて、現代的な住宅地域の中を東へ歩きます。東北歴史博物館の前を通り過ぎて程なくすると、多賀城廃寺跡の史跡エリアへと到達します。東北地方の安定を仏教に求めて建立された多賀城の付属寺院で、多賀城とほぼ同時期につくられました。講堂を中心に三重塔と金堂が並び、それらを築地が取り囲む伽藍配置であったと推定されています。多賀城跡とともに特別史跡としての指定を受ける一帯は、史跡公園として整備が図られていまして、基壇跡などの事物が、松林に穏やかに抱かれるように存在していました。

 多賀城廃寺跡のある高台から東へ、住宅地となっている一帯を下っていきますと、野田の玉川と呼ばれる小さな流れに行き着きました。古代の歌枕として知られることから、現在は往時を偲ばせる修景が施されて、住宅街の中でありながらも、川の畔を散策できるような整備が行われていました。その野田の玉川に架かる「おもわくの橋」も歌枕として著名で、平安時代の歌人・西行にもその情景が詠まれています。古来、遠の朝廷として遠い都から好奇の視線を受けた多賀城の自然には、歌枕として昇華したものも少なくなかったことをそれらは今に伝えています。

陸奥総社宮

陸奥総社宮
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
六月坂地区の役所跡

六月坂地区の役所跡
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
塩竃街道沿いの景観

塩竃街道沿いの景観
(多賀城市市川、2020.12.26撮影)
多賀城廃寺跡

多賀城廃寺跡
(多賀城市高崎、2020.12.26撮影)
野田の玉川

野田の玉川・おもわくの橋からの風景
(多賀城市中央一丁目、2020.12.26撮影)
JR多賀城駅前

JR多賀城駅前
(多賀城市中央二丁目、2020.12.26撮影)

 そんな野田の玉川の流れを辿りますと、やがてJR仙石線の多賀城駅前へと導かれました。駅前は市立図書館があるほかは目立った施設はなく、その駅前風景は、明確な中心核の無い、ベッドタウンとしての多賀城市の性格を端的に物語っているようでした。律令時代に一大政治拠点として栄華を誇った多賀城も、やがて武士の時代へと進む中でその役割を終え、その記憶をわずかに忍ばせながら、農村地域の風景へと埋没していきました。そうした多賀城や多賀城廃寺を跡付ける史跡群の傍らの日陰には、この日の早朝まで降っていた雪がわずかに残っていました。


このページのトップへ

 #118ページへ           #120ページ

目次のページに戻る


Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2024 Ryomo Region,JAPAN