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シリーズ・クローズアップ仙台
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#122 泉区朴沢(ほうざわ)を歩く ~山と田園に抱かれる風景~ 2021年6月7日、早朝から泉ヶ岳を登った私は、下山したその足で、泉区北西部の朴沢(ほうざわ)地区を訪れました。七北田川の支流、要害川に沿って広大な水田が開発され、屋敷林を伴った家々が点在しています。地区の中心あたりに位置する集会所に自家用車を止めて、地域を散策しました。
集会所に隣接して興禅院が佇みます。1461(寛正2)年頃の創建で、もとは天台宗であったとされます。1527(大永7)年に、当地の地頭であった朴沢加賀守が曹洞宗に改めて開山されました。現在の建物は、1809(文化6)年の全焼後、翌年に建て替えられたものです。集落は、根白石地区の中心部から続く街路(国道457号)に沿って街村状に展開します。青葉区の定義山西方寺への参詣路として、大和町宮床方面からの道路(定義道)があり、朴沢はその途上にあって、その中継的な集落として存立しました。 集落の西側、その西方の丘陵地との間の一帯は、1986(昭和61)年に実施された圃場整備事業によって、近代化された水田地帯へと生まれ変わったようでした。南北に一直線に貫通する農道があり、整然とした区画の水田には、田植えが終わったばかりの美田が広がっていました。その水田越しに、屋敷林(イグネ)を伴う家々の家並が見えて、背後の丘陵地の緑に重なっていました。一部、耕作されていない区画も認められて、整備事業後およそ40年が経過した農業環境の変化も実感しました。西側の山際の道沿いにも、家々が点在します。その一角には地域の鎮守・朴沢八幡神社が鎮座します。東日本により損傷したものを再建立したという鳥居をくぐり、竹林や山林の中を進む石段を登り社前へ。参拝後参道を振り返りますと、鳥居越しに朴沢の集落をしなやかに望むことができました。
田園地帯を北へ進み、国道に戻った後は、国道と市道が分岐する部分をさらに北へ、集落の中を歩きました。中途には、待合所も併設された朴沢バス停があり、泉中央駅までを結ぶバス便が発着していることが窺えました。水田と集落、背後の丘陵地の穏やかな風景の先には、古峯神社の社叢の前で道が分岐する箇所が見えていました。その場所には、十数基のの石碑が残り、朴沢石碑群と案内板には紹介されていました。その石碑の前には「亀の子石」と呼ばれる丸い石も置かれています。この石には、「石仏にしようと何度石材屋に持ち込んでも、翌朝にはこの場所に戻っているので造るのをやめた」という伝承が残ります。 集落をおおよそ回った後は、元来た道を戻りました。集落の中央を貫通する道路は、一部区間が国道457号となっていることは先に紹介しました。このルートは仙台市より北側の地域から泉区の西部を抜けて、青葉区愛子方面へ抜けることができることと、この地域の中心的な集落のひとつである根白石地区の中心部を迂回するバイパスが整備されたことで比較的交通量が多いように見受けられました。丘陵地を中心に宅地開発の進む泉区内において、農村的な風景を未だに多く残す朴沢地区は、穏やかに仙台都市圏における都市化の影響を間接的に受けながら、どのようにその景観を変化させていくことになるのか、美しい田植え後の田園と、その中に点在する耕作されていない区画とを観察しながら、率直に思いを馳せました。
朴沢地区を後にして、青葉区内の次の訪問地へ向かう途中、開発が進んでいた泉パークタウンの第6住区(2022年より、朝日地区として分譲開始)を訪れてみました。丘陵地の上に開発される団地らしく、見上げるような坂の上へと到達できるよう、階段や道路が着々と整備されている様子を目にすることができました。 | |||||||||||||
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