#15 長町界隈(後) 〜奥州街道の宿駅から、仙台市南部の副都心へ〜
長町は、高層マンションや商店や業務ビルなどが建ち並ぶ市街地として美しい都市景観を見せています。車両の通行は多いのですが、電柱のない街路樹が整えられた町並みは、ゆったりとまでは行きませんが、落ち着いた町歩きが楽しめる空間であるように思いました。所々に、昔の面影を感じさせる建物や蔵があり、仲にはファサードを現代風にアレンジしている商店や居酒屋もあります。
長町商店街の景観
(太白区長町一丁目、2004.1.15撮影) |
常蔵院観音堂
(太白区長町一丁目、2004.1.15撮影) |
「たいはっくる」前の景観、北方向
(太白区長町五丁目、2004.1.15撮影) |
横丁から望む大年寺山の丘陵
(太白区長町一丁目付近、2004.1.15撮影) |
そういった景観を見ますと、この地域が高度成長期を経ていかに激しく景観を変貌させてきたかを窺い知ることができそうです。いくつかの資料によって、長町のかつての佇まいを確認しますと、例えば、市電廃止時(1976年)の町並みを写した写真を見ても、中低層の建造物が卓越した、庶民的なようすが切り取られているものが多く見受けられます。長町一丁目の常蔵院観音堂は、835(承和2)年に草創された修験の寺院で、1064(康平7)年に茂ヶ崎(大年寺山)に再興したものを、伊達家の墓所として大年寺が建立されるにあたって、1695(元禄8)年に現在地に移転したものという歴史あるお堂です。現在では廃寺となっているようですが、地元では「十八夜観音さま」として親しまれているようです。高層マンションの谷間に埋もれるようにあるお堂に足を踏み入れてみますと、境内にはお焚き上げが行われた後が残っていまして、小正月の伝統行事「どんと祭」が、開催されていたことを告げていました。町を歩いていますと、国道に直行する横丁の先、ビルの谷間のわずかな隙間の向こうに、大年寺山の丘陵の緑が垣間見えます。長町の家々の彼方に、豊かな緑をしっかりと見通すことができなくなってから、まだ30年も経っていないのではないでしょうか。今の長町の町並みはとても現代的ですてきなのですが、車もまだ少なく、市電が行き交い、人々がゆったりと町を歩いていた時代の長町を見てみたかったなとも思います。
急激な変貌を遂げてきた長町ですが、実はこれからさらなる変化を迎えようとしているようです。長町をさらに南へ歩きますと、国道286号線が分岐する一角に、長町駅前再開発ビル(愛称「たいはっくる」)が1999年に竣工し、長町の新しいランドマークとなりました。「たいはっくる」には、仙台市太白区文化センターや図書館などの公共施設のほか、地上31階の高層マンション「ライオンズタワー長町」も併設されていまして、長町のスカイラインを一新させました。新幹線の高架が目の前を通過しながらも、赤いトタンの切妻造りの屋根に、時計と駅名標が掲げられた突出部分のある駅舎が印象的だったJR長町駅もまた、大きく生まれ変わる途上にあるようです。かつて駅前広場だったスペースは、新幹線に沿って新設される高架橋の建設工事のためにフェンスで覆われて、それが駅舎のすぐ近くにまで迫っています。駅の南北では高架橋が徐々に姿をあらわしています。東北線の高架が完成すると、JR長町駅は、現在よりも北、地下鉄長町駅に近いスペースに移転されることになり、現駅舎のある場所は、市道長町折立線(JR長町駅前から太白区役所前へ続く道路)が東へ延伸される敷地となるようです。
JR長町駅南、建設中の東北線高架
(太白区長町六丁目、2004.1.15撮影) |
JR長町駅
(太白区長町五丁目、2004.1.15撮影) |
長町操車場跡地、再開発予定地
(太白区長町五/六丁目、2004.1.15撮影) |
秋保電気軌道廃線跡
(太白区長町五丁目、2004.1.15撮影) |
その道路が伸びる先には、広大な更地が広がっています。かつて長町操車場跡として使用されてきたこの土地を中心とした91.5ヘクタールの敷地は、長町副都心「あすと長町」として大規模な再開発事業が進むことになります。再開発地区は、仮称「仙台市音楽堂」を中心集客施設とし、公共施設や商業・業務施設を一体的に整備するとのことですが、財政的な問題から音楽堂建設計画は一時凍結されるようですし、再開発がどのような方向に進むのかはまだ不透明な部分も多いように感じられます。当面は、東北線の高架化と、街区を南北に縦断する「長町副都心大通り線」を中心とした区画整理が進められるようですが、後々まで市民に負担を残さない、かつ市民にやさしい、快適な都市空間造りを目指して欲しいと思いますね。
JR長町駅を後にし、市道長町折立線を西へ進みます。長町五丁目地内、「たいはっくる」の南から、南西にゆるやかなカーブを描く道路状の敷地は、かつての秋保電気軌道の線路跡です。長町〜秋保間を結んだこの鉄道は、1961(昭和36)年に廃止されました。付近は、市民文化センターも建ち、集合住宅も増えている中にあって、時間が止まったかのように廃線跡地が残っているというのは、どこか不思議な感じがしました。
再び大通りに戻ります。この道路は、JR長町駅前から太白区役所前を通り、国道286号線に至る至便な道路なのですが、周辺は仙台南社会保険事務所及びペアーレ仙台や若干のファミリーレストランが立地するだけで、比較的落ち着いた住宅地域となっているようです。木々に積もった雪が強風に煽られダイヤモンドダスト状になって吹き付ける中、太白区役所方面へと進みました。太白区役所は、地下鉄長町南駅の駅前広場に面しており、また太白区内や周辺地域をカバーするバス路線が収束するバス路線が集るバスターミナルも整備されていまして、区民のアクセスに配慮した立地となっています。そして、太白区役所に北接して、巨大ショッピングセンター「ザ・モール仙台長町」があります。東北特殊鋼の工場跡地に1997年にオープンしたこのショッピングセンターは、地下鉄長町南駅にも専用の出入口が設けられており、仙台市南部一帯からのアクセスにすぐれている好条件を生かして、1999年にはスーパーマーケットを核としたショッピングセンターとしては売上日本一を記録したのだそうです。2000年には、シネマコンプレックスを中心とした2号館もオープンし、近隣の住民はもちろんのこと、仙台都市圏南部一帯から集客を集める商業核としての地位を固めているように思いました。
ザ・モール仙台長町と太白区役所(左)
(太白区長町七丁目、2004.1.15撮影) |
舞台八幡神社(左)と蛸薬師堂(右)
(太白区長町四丁目、2004.1.15撮影) |
笹谷街道(岩手銀行南、東方向)
(太白区長町三丁目、2004.1.15撮影) |
笹谷街道分岐点を示す石碑(写真右下隅)
(太白区長町三丁目、2004.1.15撮影) |
ザ・モール東側の道路(片側二車線の道路で、太白大橋を通じて名取市の名取が丘団地付近までを一本のルートで連絡している)から、仙台南郵便局の接する交差点から国道286号線を東へ曲がり、長町病院の交差点を北に入ると、程なくして、西側に舞台八幡神社と蛸薬師堂が並んで建っています。舞台八幡神社は、1057(天喜4)年に陸奥国で反乱があり、それを平定する勅命を受けた源頼義が河内国平岡(枚岡、現在の東大阪市内)の平岡八幡宮を勧請したのが始まりとされています。1560(永禄2)年に、北目城主粟野氏が再興し、1872(明治5)年に平岡村社となりました。南長町のかつての村名平岡は、大阪の枚岡に由来があったのですね。何度か焼失した八幡宮は、仮宮で祀っていた時代を経て、1937(昭和12)年に、蛸薬師堂のある現在地に遷宮されたものなのだそうです。蛸薬師は由来不詳なのですが、伝説によりますと、津波に伴う洪水によってこの地に流れ着いた薬師如来像を祀ったものと言われているそうで、像に蛸の足が吸い付いていたことから、蛸薬師と呼ばれるようになったのだとか。ユーモラスな名前ですが、地域の信仰は篤いようで、境内にはやはりお焚き上げを行った跡が残っていました。
蛸薬師を後にし、長町病院の南側、岩手銀行長町支店の南の街路を行きますと、街灯に「笹谷街道」の文字がありました。笹谷街道とは、長町から川崎を経て笹谷峠を越えて山形へと至る街道で、本来は奥州街道宮宿(蔵王町)から分岐して同様のルートを行った街道を笹谷街道と呼ぶのですが、同時に長町からの街道筋をもそう呼称するものなのだそうです。国道4号線との三叉路によって、奥州街道が微妙に曲がって接続していることが、かつての街道筋の分岐点を示しているようにも思えます。近代的に整備された歩道の一角、「たいはっくる」他高層の建物群の影に隠れるように、「笹谷道」と刻まれた石碑を見つけました。
長町は、仙台市の南の副都心的な役割を背負いながら、更なる変化を続ける途上にあります。そのような時流の中にあっても、昔からの遺産が穏やかに佇む町であるように思いました。長町の魅力の1つである、庶民的なたおやかさと、ローカルな中心市街地としての鮮烈さとが、今後ともポジティブな方向で融合するようなまちづくりを期待したいですね。
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