Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東北地方 > シリーズ・クローズアップ仙台・目次
シリーズ・クローズアップ仙台
←#83ページへ | #85ページへ→ | ||||||||||||||||
#84 名取市閖上を歩く 〜名取川河口の港町〜 2012年12月23日、仙台市南部の中田地区から東へ、四郎丸地区を経て名取川右岸の沖積低地をさらに東へ進みます。名取川河口近くはお隣の名取市域となります。河口の南に接して名取市閖上地区があります。閖上は「ゆりあげ」と読みます。難読地名として知られていまして、「閖」の字は日本独自の訓が充てられた文字です。この地名には次のような由来があります。仙台藩四代藩主・伊達綱村が、大年寺山門(現在の太白区茂ケ崎一丁目付近)から東方の海岸を望み、地名を問うたところ、「ゆりあげ浜」で、漢字表記は無いとの返答に、「門の中に水が見えたので、門の中に水という文字を書いて『閖上』と呼ぶように」と命じたとのこと。閖上は、仙台城下町の外港として栄え、阿武隈川河口から海岸線に沿って、名取川河口の閖上地区を通り、塩竃港まで達する貞山運河を介した物流の拠点でもありました。漁港としての歴史も古く、近年では沿岸漁業を中心とした操業が行われています。 ※以下、東日本大震災における津波被害に関する記述、写真掲載を行います。
2011年3月11日の東日本大震災に伴う大津波は、閖上地区に甚大な被害をもたらしました。四郎丸地区から続く道路は津波をかぶり除塩が進められる水田を過ぎ、名取川の土手へとつながっていました。土手には「閖上土手の松並(あんどん松)」の松並木が豊かな樹勢を見せていました。この松並木は藩政期に仙台城下と閖上浜とを結ぶ名取川の堤防上の街道に、伊達藩により遠州から取り寄せて植えられたものの一部です。漁師が閖上港に帰還する際、灯台代わりに目印にしていたことが「あんどん松」の通称の由来とも言われています。平均直径75センチメートル以上、高さ25〜30メートルにもなるクロマツの巨樹は、東日本大震災の被災にも耐えて、地域を温かく見守っていました。 閖上大橋から続く県道10号塩釜亘理線の下を越えて、名取川河口の閖上地区へと歩を進めます。閖上大橋の南詰付近では建物も一部残っていたものの、名取川河口の広浦に臨みと、地区を南北に縦貫する貞山堀を中心に広がっていた街並みは、津波により壊滅状態となっていました。地区の中央には、日和山と呼ばれる高まりがあり、そこから建物の土台だけがむなしく残された地域を俯瞰しました。日和山は1920(大正9)年に、船の出入りや気象などを観察するために計画され建設されました。山頂には、地区内の湊神社から遷座された富主姫神社の社殿がありましたが、それも流失し、山の高まりだけが残される格好となっていました。傍らには津波で元の場所から流された石碑がいくつか集められてありました。その中には1933(昭和8)年に発生した昭和三陸地震で発生した津波被害を受けて、後世への警告と教訓の意味を込めて建立された石碑もあります。山の周囲に植えられていたパンジーの花が、茫漠とした光景の中で可憐な容貌を見せていたのが目に留まりました。
閖上地区の惨状を目の当たりにした後は、県道10号を南へ、名取市東郊の田園地帯を歩きました。夕闇が迫り、西方の奧羽山脈へと続く山並みが黒々と横たわって、寒気に伴い山を越えてきた灰色の雲に覆われた雲の下ただ佇んでいるように見えました。その稜線の向こうには、雪をかぶった蔵王連峰がうっすらと見えていました。津波による浸水を受けたと思われる水田を抜けて進みますと、内陸へ向かうにつれて被害の有り無しがくっくりと分かります。海岸からの距離や微妙な土地の高低差が、被災の大小を左右した様子が見て取れました。 日の入りも近い午後4時30分過ぎ、仙台空港アクセス線の美田園駅に到達しました。周囲は宅地開発が進んでいまして、複数の商業施設や県の教育・保健福祉分野の複合施設「まなウェルみやぎ」が立地しています。駅名は周辺地域におけるたおやかな田園風景から採られたものと思われます。現在は駅名に合わせて住所も「美田園」を名乗っていますが、当初は下増田地区の一角でした。名取市中心部の増田地区や上余田・下余田両地区など、名取市内には水田に係る地名が認められます。「増」や「余」などの表記から、藩政期における新田開発と関わりがある地名であるのかもしれません。冬ざれた田園風景を眺めながら、緑豊かな穂波たゆたう夏を想像しました。
仙台東部道路をくぐり到達した閖上地区は想像を超える惨禍の中にありました。震災から時が流れ、漁港にも船が戻り、活気のある朝市も復活し、港町にも徐々に活気が戻りつつあるようです。その一方で、生活の舞台として閖上地区が往時の姿を取り戻すこととなるかは未だ道筋が見通せない状況でもあるようです。地区全体をかさ上げし住宅地域として復興する計画へも、津波被害の懸念から内陸への移転を求める声も少なくないとの報道もあるようです。河口の港町として確かな歴史を刻んだ閖上地区が、そこにかかわるすべての人々の意をくみながら、新たな方途を描ける未来を切に期待したいと思います。そして、震災前に訪れておきたかったとも感じます。 <追記>名取市での活動を終えて仙台市中心部に戻り、小雪の舞う光のページェントの下を歩きました。この年もあたたかい電飾に彩られた定禅寺通りを、たくさんの人々が訪れていました。
|
Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2016 Ryomo Region,JAPAN