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シリーズ・クローズアップ仙台

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#85 2013年3月11日 〜震災から2年の仙台を歩く(前)〜

 2013年3月11日、東日本大震災の発生から2年を迎えた仙台を訪れました。晴天のこの日は最高気温は5度に届かない気候であったようで、寒さの中で日差しから春を感じる陽気でした。郡山から仙台へ移動し、定禅寺通へ。ビル街を貫通するケヤキ並木は、ビルの谷間に広がる青空から少しでもエネルギーをもらおうと、葉のない無数の枝を伸ばしているように見えました。市役所前の市民広場には青葉区の献花場が設けられていました。犠牲者に対し花を手向け、この日の活動を始めました。

定禅寺通

定禅寺通
(青葉区一番町四丁目/国分町三丁目、2013.3.11撮影)
市民広場

市民広場(市役所前のテントは青葉区献花場)
(青葉区国分町三丁目、2013.3.11撮影)
文化町

文化町の景観
(若林区文化町、2013.3.11撮影)
七郷堀

七郷堀
(若林区南染師町/文化町、2013.3.11撮影)


七郷堀と桜並木
(若林区南染師町、2013.3.11撮影)
南小泉茂庭線

都市計画道路八軒小路線と南小泉茂庭線との交点
(若林区文化町、2013.3.11撮影)

 市バスで河原町へ移動し、旧奥州街道筋の街並みが残る一帯を一瞥して東へ、在来線の踏切を渡り、新幹線の高架をくぐって文化町へと進んでいきました。JR線と宮城野貨物線との間に位置する文化町は、整然とした区画を持つ古い住宅街という印象の地域です。文化町は、大正の終わりから昭和の始め頃、仙台市内において最初に民間が開発した新興住宅地であったといいます。「文化」の名は、その時の住居組合の名称であったようで、文化的な生活を志向する地域の総意に基づくものであったようです。文化町が正式な町名となったのは1967(昭和42)年の住居表示施行からとなっています。高度経済成長期以降仙台都市圏の都市化は郊外地域の多くを住宅地域へと変貌させましたが、文化町の住宅地が建設された当時は仙台市街地郊外の畑が広がる農村地帯であったといいます。仙台における郊外住宅団地の端緒となった住宅地は、幹線道路から離れた立地も相まって、穏やかな佇まいを見せていました。

 文化町の北端を流下する七郷堀を東へ辿りながら、部分的に完成している都市計画道路南小泉茂庭線を歩き、若林区役所へ。この都市計画道路は計画では西へ延長されて宮沢橋付近で広瀬川を渡り、秋保通(国道286号)へ接続する予定となっています。現在は都市計画道路八軒小路線との交点と宮城の萩大通りとの間のみの開通であるためか、南小泉茂庭線は、道路の広さの割には交通量は少なめです。七郷堀が分岐し高砂堀と仙台堀に名を変える場所に隣接する若林区役所は、周辺に用水路の流れを生かした緑地帯が整備されていまして、緑豊かで広大な田園地帯を擁する同区を象徴するような景観が特徴です。2011年3月11日の東日本大震災に伴う大津波では、若林区の沿岸は宮城野区とともに甚大な被害を受けました。若林区役所の献花場では、「天にとどけよう」「みんなdeわかばやし」と題された、風船に似顔絵が書かれた作品が掲げられていまして、多くの尊い命に思いを馳せながら未来へ向かおうとする地域の思いを感じることができました。

若林区役所周辺の緑地

若林区役所周辺の緑地
(若林区保春院前丁、2013.3.11撮影)
若林区役所

若林区役所(同区献花場)
(若林区保春院前丁、2013.3.11撮影)
天にとどけよう

若林区役所内・「天にとどけよう」と題された作品
(若林区保春院前丁、2013.3.11撮影)
ともに、前へ 仙台

「ともに、前へ 仙台」の横断幕(若林区役所近く)
(若林区保春院前丁、2013.3.11撮影)

 「ともに、前へ 仙台」という言葉を仙台では多く目にします。震災からの復興にあたってのスローガンとして、各方面で使用されているようです。「ともに、前へ 仙台」の横断幕が掲げられていた若林区役所前からバスで仙台駅前へ戻り、広々としたペデストリアンデッキを囲むように林立する駅前のビル群の風景を確かめながら、JR仙石線で陸前原ノ町駅へ向かいました。駅の近くにある宮城野区役所に設けらてた宮城野区の献花場を訪問し、献花しました。

 ともに、前へ。震災から2年が経過し、仙台市中心部をはじめとした市内の多くの地域ではほとんど震災前の状況に戻っていて、一時中断されていた地下鉄東西線の工事も再開されています。しかしながら、沿岸部を中心とした地域では未曽有の津波被害の影響もあって、以前のように居住を許されない地域もあるなど、日常生活の中に現在でも深刻な影響を抱えながら日々を過ごされている方も多くいらっしゃいます。そうしたすべての皆さんが、ともに前へ進むことが、何よりの供養になるのではないか、献花台に捧げられた花は、そんなメッセージを携えているのかなとも思えました。

仙台駅西口・ペデストリアンデッキ

仙台駅西口・ペデストリアンデッキ
(青葉区中央一丁目、2013.3.11撮影)
宮城野区役所

宮城野区役所(同区献花場)
(宮城野区五輪二丁目、2013.3.11撮影)


青葉通の景観
(青葉区中央二丁目、2013.3.11撮影)
三瀧山不動院

三瀧山不動院
(青葉区中央二丁目、2013.3.11撮影)
仙台ファーストタワー

仙台ファーストタワー
(青葉区一番町三丁目、2013.3.11撮影)


地下鉄東西線・青葉通一番町駅付近の再開発
(青葉区一番町二丁目、2013.3.11撮影)

 再び仙石線に乗車し、西側の終点JRあおば通駅へ向かい、定禅寺通と同様、芽吹き前のケヤキ並木が凛とした姿を見せていた青葉通の様子を一瞥しながら、クリスロードのアーケード街へ。商店街の中央に祀られ、商売繁盛・家内安全を祈願する三瀧山不動院に地域の安寧を祈りました。仙台城下町を東西に貫く一大メインストリートであった大町や、それに続く新伝馬町、名掛丁のそれぞれの町が発展した中央通り沿いのアーケード商店街は、現在でも多くの人々が闊歩する仙台有数の繁華街のひとつです。それに交わる南北の繁華街である一番町通と青葉通の交点である青葉通一番町は、地下鉄東西線の駅が設けられることもあり、周辺で再開発ビルが建設中で、今まさに町が変貌している途上の風景を確認することができました。旧奥州街道筋である国分町通と、大町との交差点で、仙台城下町の中心であった芭蕉の辻を通り、大町を西へ歩を進めました。


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