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シリーズ・クローズアップ仙台
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#86 2013年3月11日 〜震災から2年の仙台を歩く(後)〜 2013年3月11日、東日本大震災の発生から2年を迎えた仙台の彷徨を続けています。青葉、若林、宮城野のそれぞれの区役所を訪問して献花後、市中心部を東西に貫くアーケード街を進みました。青葉通一番町周辺の再開発状況を確かめながら、アーケード街(中央通)から西へ続く大町を歩きます。
仙台城大手門からまっすぐ東へ延び、仙台城下町建設の基準となるとともに城下の一大メインストリートであった大町も、空襲による被災やその後の青葉通の建設、一番町から中央通を介し仙台駅へと続くアーケード街の繁華街としての活性化により、商業地としての地位は著しく低下しました。中心市街地の一角として、商業ビルやマンションが多く立地する地域となっているものの、例えば2015年12月に開通した地下鉄東西線の大町西公園駅の1日平均利用者数(1,608人)が同線の全駅の中で最低となるなど、郊外から人が集まるような場所では必ずしもない印象を受けるエリアであるように考えられます。地下鉄駅がこの地域の中心性向上に帰するような取り組みが求められるように思います。「御譜代町」として、藩から商業上の特権を与えられた伝統ある商業町としての歴史の中にそのヒントがあるように感じます。 大町西公園駅が目下建設中の大町交差点を渡り、大橋に向かって坂道(「大坂」と呼ばれます)を下っていきます。広瀬川周辺から青葉山へ続く緑と、大橋の趣ある石造りの親柱が見える景観は、いつ見ても癒されます。地下鉄の架橋工事が進捗する様子も確認し、仙台国際センターへ向かいました。この日仙台市の追悼式の会場となっていた同センターで献花を行い、改めて未曽有の被災に遭われた方々のご冥福をお祈りいたしました。国際センターを後にして、震災で一部被害のあった隅櫓の横を通り、青葉山へと歩を進めました。
仙台城址へと向かう市道は震災直後から車両通行止めとなっており、歩行者のみ通行可の状況になっていました。崩落した石垣の復旧工事に伴うもので、市道の通行止めが解除されたのは2015(平成27)年2月下旬のことでした。工事完了に約4年を要したことに、震災のすさまじさと、文化財である石垣の修復が丁寧に行われたことが感じられます。日陰ではうっすらと雪の残る道路を、足元に気を付けながら登り、仙台城址へと到達しました。 蛇行する広瀬川とその河畔の緑、青葉山や経ヶ峰あたりの山々に穏やかに囲まれた仙台市街地は、この日もとても美しく眺望することができました。寒いながらも晴天に恵まれ、遥か太平洋まではっきりと見通すことができました。雪をかぶった泉ヶ岳方面の山々や、七ツ森の特徴のある姿も北側に並んでいます。午後2時46分の震災発生時刻は、この青葉山山上で迎えました。大津波により甚大な被害が出た海岸線に向かって、合掌しました。この日の太平洋はどこまでも穏やかで澄んだ色をしていました。
最後に定禅寺通に戻り、メディアテーク前あたりのケヤキ並木の下を歩きました。春の日差しが眩いばかりにビルのガラスに反射していて、ケヤキの木の枝一つひとつを春空のスクリーンに浮かび上がらせていました。そのきらめきに溢れた風景は、震災の経験を胸に抱えながら、復興へ邁進する仙台の町のやさしさと力強さと表しているように感じられました。 |
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