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シリーズ・クローズアップ仙台
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#93 シリーズ・地下鉄東西線を行く(6) 〜荒井駅周辺から六丁の目駅へ〜 2014年12月23日、早朝より仙台市内、地下鉄東西線の仙台駅より西側の各駅の現在地を巡ってきた私は、一度JR仙台駅に戻り、今度は同線の仙台駅より東側の踏破を行うべく、仙台市東部に位置する荒井地区へとバスで向かいました。荒井地区は若林区の中央北寄りに位置し、仙台東部道路仙台東インターチェンジ近くの同道路西側が近年土地区画整理されて、純農村地域から急速に市街化が進展している途上にあります。
荒井地区は若林区の北部に相当する七郷地区の中心として市の証明発行センターや市民センターなどの施設が立地し、同地区内における小行政中心としての位置づけにある場所であったように思います。国道4号(仙台バイパス)の完成と、さらにその外側を通過する仙台東部道路により仙台都市圏の外縁部として明確化されたことが、この地域の変化を方向付けました。1986(昭和61)年より進捗していた土地開発事業は、2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災により停滞を余儀なくされたものの、その後は震災被災地区からの移転先としての役割も付与され、開発が進められました。そうした地区の性格から、市東部の公共交通のハブとして機能することを期待され、地下鉄東西線の東のターミナルが設置される運びとなったのだと思います。 整然とした道路網が整備された荒井地区に南節して、本稿でもご紹介している長喜城地区があります。仙台平野沿岸部に広がる田園地帯には、北西からの季節風から家屋を守るために「イグネ」と呼ばれる屋敷林を備えた集落が浮島のように存立しています。長喜城地区はそうしたイグネが典型的に残る地区として知られています。この日もみずみずしい屋敷林に包まれるようにしてある同地区を訪問し、変わらず農村的な景観を残している地区の姿を確認しました。一方で、地区の北側は前述の土地区画整理により市街化されたエリアが隣り合い、東に接する水田も東日本大震災に伴う災害公営住宅や防災集団移転団地、民間の分譲宅地で構成する荒井南地区土地区画整理事業が進捗しており、茫漠とした水田地帯の中に存在していたかつてとはその姿を大きく変えているのが大変印象に残りました。
土地区画整理事業地区を再び北へ進みながら、その東方で急ピッチで進む地下鉄の車両基地や荒井駅舎の工事の様子を一瞥しながら、地下鉄が地下を通過する予定の通りを北へ進み、産業道路と通称される、宮城県道23号仙台塩竃線へと進みました。荒井駅は先述のとおり、地下鉄東西線の東の起点駅で、駅前では広大な敷地が確保され、バスプールやタクシー乗り場となると目されるスペースが整備されるように見受けられました。 仙台市北東部と多賀城市、塩竈市へと続く幹線道路沿いは稠密な市街地というよりは、ゆとりのある土地を生かしたロードサイド型の商業施設と、郊外型の住宅地域とが比較的粗放的に展開する地域といった印象で、既に自家用車による移動が主流となって久しい、まさに郊外におけるライフスタイルが定着していると目されるエリアです。居住人口も仙台都市圏全体で考えますと必ずしも多くないと思われる地域で、人口が集積した地域を集約的に連絡する印象が強い地下鉄が通過する場所という印象からはややかけ離れているようにも思われます。そんな思いを抱きながら到着した六丁の目駅周辺も、そんな郊外地域の性格を色濃く反映した交差点で、地下鉄工事の影響で一部が通行できなくなった車線を避けて進む自動車の流れだけが目に入りました。
六丁の目駅を通過してさらに東へ進みますと、仙台都市圏外縁部の一大幹線である国道4号(仙台バイパス)へと至ります。おびただしい交通量を受け流す仙台バイパスを横断しますと、徐々に中高層のマンション建築も増えてきまして、公共交通をバスに依存する場合における、都心部へのアクセス時間と通勤時間とがちょうど均衡する距離を生活感として実感できる対象が仙台バイパスであることを直接的に示していました。地下鉄開業によって、そうした時間の間隔は大幅に刷新され、沿線のさらなる開発に向かうのでしょうか。地下鉄新線の末端部となるこのエリアの動静は、公共交通の再編によりコンパクトシティ構築を目論む仙台市の今後の取り組みがまさに試されている現在地であるということなのでしょう。 |
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