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目眩く“仁淀ブルー”に出会う 四国は山国であると感じます。確かに、四方を海に囲まれ、潤沢な海洋資源と沿岸の風景に恵まれるこの島ですが、一歩内陸に踏み入りますと、西日本最高峰の石鎚山をはじめ、急峻な峰々が屹立して、各地に多様な山間の風景を現出させています。2019年8月31日、投宿した愛媛県新居浜駅前のホテルを出発、しばらく国道11号を西に走った後に進んだ国道194号は、その壁のような四国山地の只中へとさっそうと向かっていきました。県境にある寒風山トンネルが開通するまでは、当該箇所は狭隘なカーブの連続する悪路であったといいます。高知県側に入りますと、しばらくは吉野川流域の谷筋を辿ります。前日までの雨ベースの天候を反映し、山々には深い霧がかかり、峻険な四国山地が自然に与える営力を実感させました。
国道をさらに進んでまた峠をトンネルで越えますと、仁淀川流域の山間へと突入します。道の両側は相変わらずの峻険な山岳地帯となっていまして、周囲が山霧で覆われていることもあって集落らしい集落も見つけられませんでした。国道が仁淀川支流の枝川川の谷筋へと下りるため、大きく北側に張り出すようにカーブを描いて下りた先から同川の上流へと分け入る細い道へと車を乗り入れます。やがて、路傍に「にこ淵」と記された標識を見つけました。その表示の先にある小さな駐車場に車を置き、そのにこ淵へと下りる急な階段を下りていきます。木々の間から、透き通るような美しい青の水面が見え隠れします。雨に濡れた足許や設置された金属製の階段に足を取られないよう慎重に下った先に、奇跡のブルーがありました。「程野の滝」と総称される小さな滝が連続する小流がつくる滝壺は、「にこ淵」と呼ばれ、その水面が湛える水色は、どこまでも清冽で、そして濃密な水色の集積に満ちるものでした。我が国でもトップクラスの水質を誇るこの川の水の青は、近年「仁淀ブルー」と形容され、多くの探訪者の目を魅了しています。 にこ淵訪問の後は、国道349号を西へ、レンタカーを走らせます。国道349号は、徳島県から高知県の内陸を縦貫する国道で、走行した区間は急傾斜の山並みを小流が刻み、狭い低地や斜面に集落や農地が開かれた風景が連続していきます。時折雨が激しく降って、山々を豊かに覆う緑を潤していました。ここに限らず、四国には中央構造線をはじめ、東西方向に裂け目が入るような地形を多く認めることができます。これは、四国が地球の表面を覆う岩盤であるプレートの動きによって継続的に北へ押されるような力を受けていたことと関係しています。四国を形づくる地盤はこうした地球の営みによって持ち上げられて、今日の急峻な山並みがそこに形成されることとなりました。壁のように立つ山地は海からの湿った風を受けて雲を生じさせて、大地に潤沢な水資源をもたらしました。仁淀ブルーの元となる水は、そうした自然の卓絶した営力の結晶であるように感じられます。国道から北へ、細い渓流を辿った先にあった安居渓谷も、すずやかな青に満ちていまして、飛龍の滝が迸らせる飛沫は、樹冠越しに覗く乳白色の空とシンクロし輝いていました。
山懐のきらめきを探勝した後は、仁淀川の本流に沿って車を走らせていきました。かつての繁栄を彷彿とさせる旧池川町の中心部の家並みを一瞥し、高知市と松山市を結ぶ幹線道路である国道33号へ。しばらく仁淀川本流に沿って進み、県道18号へと入り川が大きく蛇行する箇所にある浅尾トンネルを越えた先から県道を離れて狭い道を下りますと、浅尾沈下橋に到達します。沈下橋は欄干がない小規模な橋梁で、増水時には敢えて沈む構造とすることで流失を免れるよう設計された橋です。シンプルな橋ですが車両も通行できる、地域の生活に根ざしたライフラインです。仁淀川にはいくつかの沈下橋があって、さらに下流にある名越屋(なごや)沈下橋では川幅が驚くほど大きくなっていまして、橋の下を悠然と流れていく水流の早さに、威風堂々たる清流の風格のようなものさえ感じました。 いの町中心部散策から高知市街地へ 多様な色彩をみせる「仁淀ブルー」が織りなす風景は、土佐和紙の本場として知られる、いの町の中心部である伊野地区へとつながっていきました。高知市街地から伸びる軌道路線も乗り入れている中心市街地は、仁淀川の水運と、土佐和紙の産地として発達した商家建築が残ります。「いのの大国さま」として崇敬を集める椙本(すぎもと)神社の周辺は「問屋坂」とも呼ばれていまして、町並みに隣接する堤防の高さも相まって、この町の往時の栄華を偲ばせていました。市街地の一角にあるいの町紙の博物館では、土佐和紙の歴史がふんだんな史料とともに紹介されていまして、手漉き和紙を体験することもできました。
いの町での小休止を終えて、軌道線と土讃線が平行するようにして進む道路を東へ、高知市街地方面へと車を走らせました。高知県におけるプライメイト・シティである高知市に隣接するいの町は、現在ではその郊外化の影響を受けるベッドタウンとしての顔も強いことが実感できる景観が随所に垣間見られました。再び国道33号の大幹線へと進みますと、軌道線はその中央へと治まって、市街地におけるトラムとしての体裁を整えます。高知城前電停近くから左折して高知城近くの駐車場へと入り、車を降りて高知市街地の散策へと歩を進めました。高知市へは2014年末に桂浜から高知駅前でレンタカーを降り、わずかな時間で高速バスに乗り換え松山に向かったとき以来の再訪です。その時は、夕方の駅前に少し滞在したのみでしたので、市街地を歩くのは1999年以来ということになります。城の南側に残る壕を渡ったところには、慶長年間創建、1664(寛文4)年再建という歴史のある追手門がその質実な体躯を石垣の上に屹立させていました。 鏡川を望む大高坂山に築城された高知城は、江戸時代より現存する天守を擁する、我が国でも屈指の名城として知られます。曲輪を支える石垣には、日本有数の多雨地帯である当地の気象条件に適応し、排水のための石樋が構築されているのも特徴です。三の丸から鉄門跡、本丸と二の丸との間の空堀に架けられる形の詰門へと進み、本丸御殿と天守が残る本丸へ。天守の屋上からは、高知市街地を一望の下に見渡すことができました。高知市街地は桂浜のイメージから海辺にあると思われがちですが、海岸部からは丘陵を挟んだ内陸に位置しているため、海を直接望むことはできません。明治維新の原動力の一つとなった大藩の本拠であった市街地は、その拠点である城を中心に現代的な都市へと昇華して、今日まで発展を遂げていました。
藩政期は武家地であったという、高知市街地における有数の繁華街・帯屋町のアーケードへ進みます。路面電車が走る国道33号の1ブロック北を東西に貫くアーケードの商店街は、西側の大橋通りエリアから、帯屋町二丁目、一丁目、そして壱番街へと続く、まさに「目抜き通り」としての迫力を感じる、活気に満ちたまちです。著名な観光名所である「はりまや橋」にも隣接し、そのはりまや橋と商店街との間に位置する中央公園などもあって、「南国高知」という言葉の響きを最もよく表現しているような、ダイナミックかつ開放的な雰囲気が町全体に溢れているように感じられました。域外交通のターミナルである高知駅も2008(平成20)年の高架化以降、モダンな外観にリニューアルしまして、太平洋に大きく開けた土佐の風光を、この地を訪れる人々に強烈に印象づけさせているようでした。 瀬戸内側の新居浜から、仁淀ブルーに彩られる山並みを抜けて、高知県一の大都会・高知へと駆け抜けたこの日の道のりは、潮騒から翠巒へ、多彩な表情を内包する四国という大地の、最も本質的な地域性を濃密に含ませた行程であったように感じました。前日の瀬戸内海を中心としたフィールドワークと合わせて、このエリアを包括する風趣と歴史と、自然を存分に味わうことができたように思います。2日間は雨の降る時間が多かったこともあり、四国山地周辺が招来持ち合わせている、水との深い関わりも、仁淀ブルーというキーワードとともに、この身にこれ以上無く浴びることができたことも幸運だったと考えられました。夏の太陽に照らされる別のヴァージョンの風景への期待も高まります。
高知駅前で休息をとった後は、特急列車で岡山へ向かい、そこから福山市へと向かいました。実は、今回の旅程の当初の予定では、今治から尾道へ進む、「しまなみ海道」を辿ることにしていて、福山駅前から町田へ向かう高速バスを利用することとしていたのでした。しかし、雨ベースの天気が予想されたことから、急遽内容を変更し、仁淀ブルーを体感する今回のコースを進むこととしたため、日程の最後が変則的な移動を含むものとなってしまいました。列車の車窓からは、四国山地内の屈指の奇勝である大歩危・小歩危の風景や、阿波池田付近の風景、そして日没の美しい光景、さらには瀬戸大橋を渡る夜景を確認することができました。 |
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