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#9 上田市街地とその周辺を歩く(後) 〜別所温泉から再び市街地へ〜 2018年4月7日、上田城周辺を回った私は上田駅から上田電鉄に乗車して別所温泉駅へと至り、別所温泉周辺の散策を始めていました。桜が満開の通りは緩やかな上りとなっていて、将軍塚と呼ばれる墳墓もそれに彩られていました。道路を挟んだ向かいには、七苦離地蔵尊堂。別所温泉周辺は古来「ななくりの里」と呼ばれ、7つの苦難から逃れることのできる楽土とされていたと言われています。この地蔵尊は、こうした地域の古い地名に託し、衆生の苦しみから解放していただこうと奉安されたものであるようです。
温泉街の穏やかな家並みをさらに進み、ソメイヨシノが花の波をつくる風景に溶け込むようにしてあった足湯で休憩し、温泉街を刻む小流を渡った先にある北向観音堂へ。石段を上った先にあるお堂は、背後の山並みを穏やかに纏いながら、山あい温泉地を易しく見守っているようでした。北向観音堂は、825(天長2)年に、比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁により開創されたと伝わります。北向きのお堂は珍しく、北斗星が暗夜の指針となるように現世の利益に導く霊験があるのに対し、南面する善光寺は極楽浄土すなわち来世への天恵があるとされ、こうした解釈から善光寺と北向観音を両方お参りする信仰が生まれました。 国宝の八角三重塔で知られる安楽寺へ続く黒門の前を通り、まずは別所神社と常楽寺のある一角へと向かいます。寺院へと進む路地の周辺は穏やかな集落景観が広がり、高台にある常楽寺を包み込むかのように阿たくさんのソメイヨシノが植えられていまして、春の篝火のような温かさを演出していました。常楽寺参道の脇を上った先にある別所神社の本殿は江戸時代中期の建立とされます。境内からは山並みに抱かれた別所温泉の山里を俯瞰することはできます。茅葺きの本堂が美しい常楽寺は北向観音の本坊です。北向観音が建立された同じ年に、長楽寺、安楽寺、常楽寺の「三楽寺」のひとつとして創建されたといいます(長楽寺は現存していません)。本堂裏手の木立の中に、1262(弘長2)年の銘がある石造多宝塔(国重文)が苔むした姿を見せていまして、信仰と共にあった歴史を伝えていました。
長野県内最古の禅寺として知られる安楽寺は、みずみずしい木立の中にうずくまるようにしてありました。背後の山腹には、先に言及した八角三重塔(国宝)が存在しています。八角塔としては金銭以前の唯一の遺構で、一見四重塔のように見えるものの、最下層の屋根は庇にあたる「裳階(もこし)」であるとされます。こけら葺きの屋根が優美なカーブを描きながら森の中に屹立する姿は、全体として禅宗の宗旨である瞑想の精神を表現しているように感じられました。先にその前を通過した黒門をくぐって別所温泉街へと戻り、桜が依然として春空からの快い照射を受ける別所温泉駅で、上田駅へと戻る列車を待ちました。 駅前にはかつて地域を潤した桝網用水の佇まいを残す水車のモニュメントがあって、都市景観に歴史的なアクセントを与えています。駅の東側にある、旧常田館製糸場関連施設の建物群に、養蚕がかつて盛んであった地域の昔日を感じながら河岸段丘を上り、上田市の伝統的な町場を構成してきた、旧北国街道に沿った町並みを訪ねます。信濃国総社と比定される科野大宮社を参詣した後は、横町からアーケードのある商店街となっている海野町へと進んで、現代の上田の町並みを概観しました。中央二丁目交差点で北へ折れて原町の範域となり、さらに北へ続く柳町界隈は、昔ながらの町屋造の町並みが残されていまして、藩政期における城下町の風情を実感させていました。
古来よりこの地域の中心として栄え、中世を堅牢な城塞のある前線として生き、近世以降は再びこのエリアにおけるローカルな中心都市として命脈を保ってきた上田の町は、こうした歴史的資産を取り込みながら、珠玉の文化や自然に恵まれる信州にあって、一際きらめく個性を宿しているように思われました。そうした地域をこの春の一時多うソメイヨシノの美しさは、まさに筆舌に尽くしがたいものでした。 |
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