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#10 小諸、懐古園の春 〜圧巻の桜に包まれる古城跡〜 2018年4月7日、上田市街地と別所温泉周辺を散策した私は、国道18号を東へ戻り、午後3時過ぎに小諸市の懐古園へと達しました。小諸は2009年秋に一度訪れており、城跡を染める錦秋の風景をこの目にしていました。紅葉とともに、春は桜の名所として、「日本さくら名所100選」のひとつにも採られています。駐車場周辺の桜も見頃を迎えており、公園の入口にある小諸城三之門(1766(明和3)年建造、国重文)をくぐり、春たけなわの園内へと歩を進めました。
小諸城も、上田城など周辺の主要都市におけるものと同様に、戦国期における地域経営のための拠点として縄張りが行われた後、近世以降はいわゆる藩庁の置かれた城下町の中心として機能してきました。交通の要衝でもある小諸は、千曲川上流域における地域中心として成長し、現在でも往時を偲ばせる町並みが市街地の旧街道筋を中心にふんだんに残されています。春の晴天が眩しい午後、城跡の石垣に沿って咲き誇るソメイヨシノやシダレザクラのたおやかな木々の下を、快い散策を進めていきます。 三之門近くの二の丸跡からは、桜の木の間から浅間山を見通すことができます。紅葉の時季にはカエデの萌えるような色彩に包まれる園内にあって、今目の前に広がる桜の波がどこに潜んでいたのかと錯覚するほど、そこは桜色というひとつの世界観によって素描される情景そのものとなっていました。空は部分によっては青春そのものの爽やかな空色を呈して穏やかな日射しを桜の花びらの一枚一枚に届けて、また別の箇所では乳白色の絵の具を落としたような繊細な陰影を宿す白雲が宿って、その無垢な白を桜色のしなやかさに添えていました。黒門橋で空堀を渡り、宮城の本丸跡に鎮座する懐古神社へ。その裏手の石垣の上、天守台へと進む高台からは、眼下に桜の木を見下ろす形となり、その光景はまさに桜色の雲海の上にいて、春の清爽な山並みを俯瞰するかのようでした。
天守台のある石垣の上から下った先は、藩政期においては馬場として機能した場所でした。少し前までは上から見た桜の木々の間を、そのみずみずしさが迸るさまに圧倒されながら、浸りながら、歩いていました。江戸時代に小諸の町を治めた城郭は、その石垣や縄張りに往時の面影を残しながら、現代において、四季の移ろいを濃厚に投影する、この上のない舞台となって輝いていました。春の一時、いっせいに咲いて、刹那散りゆく桜の風情と、我が国が育んできた文化の神髄とが、絶妙に溶け合い響き合って、多くの人々の心を揺さぶっているのでしょうか。 眼下に千曲川とその河谷を見る「富士見展望台」からは、うっすらながら富士山の頂を眺望することができました。その右手側(西側)は八ヶ岳連峰、富士山を挟んだ反対方向(東方向)は奥秩父の山並みです。その二つの雄大な山塊の間を、千曲川は流れ下ります。桜が満開となったこの日は、まだ周囲の山々の木々は本格的な芽吹きの時を迎えておらず、かすかに冬の微香をその身に纏わせていました。段丘面を鋭く刻む谷筋(「田切地形」と呼びます)を渡った際は小諸市動物園となっていまして、千曲川に面した風光を生かしながら、多くの年代の人々に愛される公園づくりがなされていたのが印象的でした。
再び馬場の桜の下を通過し、石垣と桜とが寄り添う佳景を一瞥して、千曲川の流れをより間近にすることのできる水の手展望台へ。雄大な河谷を形成してゆるやかに行き過ぎる大河の輝きを一望しました。梅から桜、そして桃へと、鴇色、紅色、そして桜色と、多様な文脈で表現しうる豊かな色彩の乱舞する様を目に焼き付けながら、しばし春の穏やかな歓喜に酔いました。 |
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