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みすずかる信州絵巻


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#12 諏訪大社、上社・下社を訪ねる ~諏訪盆地に花開いた信仰の風景~

 2018年10月7日、地元を早朝に出発し、朝早い時間帯の望月宿を散策した私は、その後国道142号を和田峠へ向かって進みました。望月宿から先、和田峠へ向かう間にはいくつかの宿場町が設けられましたが、峠の東の麓に位置する和田宿から次の下諏訪宿までの間は峠を挟んで宿場は無く、中山道中においても屈指の難所でありました。自動車で旧道を走っていても、その峻険さが十分に理解できました。

諏訪大社下社秋宮

諏訪大社下社秋宮
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
千尋の池

千尋の池
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
下諏訪宿本陣跡

下諏訪宿本陣跡
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
下諏訪宿の景観

下諏訪宿の景観
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
石造の龍頭

龍の口、石造の龍頭
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
龍の口

龍の口、慈雲寺へ続く石段
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)

 中央分水嶺でもある和田峠を越えますと、国道は諏訪盆地へ向かって急速にその高度を落としていきました。道路は諏訪大社下社の鳥居前町として、また中山道と甲州街道の分岐点を構成する宿場町として市街地を広げてきた下諏訪の町並みへと突然に吸い込まれていきました。国道がその前を通過する諏訪大社下社秋宮の駐車場にて自家用車を止めまして、諏訪大社下社の秋宮と春宮を参拝しながら、下諏訪の町並みを散策することとしました。諏訪大社は信濃国一宮で、諏訪湖の周辺に上社本宮と前宮、下社春宮と秋宮の、4箇所の境内地を持ちます。一般的には、7年に一度開催される御柱祭で知られます。

 木立に包まれた下社秋宮の境内へと歩を進めます。諏訪大社にはいわゆる本殿に相当する建物が無く、秋宮の場合は、幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りの「幣拝殿(1781(安永10)年建立、重要文化財)」が建てられていて、参詣者を迎えています。御神体は宝殿の奥に建つイチイの古木で、自然物を御神体として祀っていた、古来における信仰の様式が居間に伝わっています。弊拝殿と宝殿の周囲には御柱が4本建てられていまして、これが御柱祭が開催される度に山中から人力のみで運ばれ、立て替えられています。千尋の池を概観しながら、下社春宮へ向かいます。途中で中山道と甲州街道の分岐点を通過します。本陣跡の周辺は下諏訪宿の中心的なエリアで、温泉宿が林立し、変わらぬ賑わいを見せていました。道中で温泉水が沸いている場所もありました。慈雲寺へ続く石段は龍の口と呼ばれ、春宮へ続く参詣路に穏やかな風光を与えています。江戸時代中期につくられたという石造の龍頭からは清冽な水が湧いていました。付近には信玄ゆかりの矢除石などの事物も存在しています。石段の上からは、諏訪盆地と諏訪湖への展望が開けていました。

諏訪湖眺望

龍の口、矢除石近くから諏訪湖を望む
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
諏訪大社下社春宮

諏訪大社下社春宮
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
諏訪大社下社春宮の御柱

諏訪大社下社春宮の御柱
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
万治の石仏

万治の石仏
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
下馬橋

下馬橋
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)
大灯籠

大灯籠(右奥に大鳥居を望む)
(長野県下諏訪町、2018.10.7撮影)

 下社春宮も、秋宮と同様、弊拝殿と御柱がつくる佇まいが印象的な光景をつくっていました。御柱は多くの人々の願いを受け止めているがごとく秋空に屹立していました。春宮は杉の木を御神木としています。春宮の境内地のすぐ西側には砥川が清らかな流れを見せています。緑に包まれた散策路の先に、万治の石仏がたおやかな表情を見せていました。春宮から南へは、一直線に参道(春宮大門通り)が延びていまして、その中途には屋根の下にある下馬橋が設けられています。諏訪大社でも最も古い建築(元文年間(1736~1740年)とされていまして、諏訪大社における信仰の歴史をリアルに物語っていました。青銅製の大鳥居をくぐった後は、1829(文政12)年建立の大灯籠が目に入ります。この灯籠と春宮、秋宮を結び、中山道を一辺とする三角形を「三角八丁(さんかくばっちょう)」と呼びます。明治維新時における哀史を伝える魁塚の前をとおり、旧中山道を進んで秋宮へと戻りました。八幡坂を呼ばれる道筋は、国道20号ともなっており、現代的な町並みとなって、下諏訪の市街地を形づくっているようでした。

 下諏訪の散策の後は、上社の境内地へと車を走らせました。諏訪湖の東岸を進んで上諏訪の市街地を過ぎ、諏訪湖東南の山際に鎮座する上社前宮へと向かいます。国道沿いの駐車場から南へ、ゆるやかにのぼる石段の参道を進みますと、明るい木立の下、内御玉殿(うちみたまでん)と呼ばれる小社があります。それに相対して十間廊と称する回廊上の建物があり、その間を参道は進んでいます。神聖な水が流れるとされる水眼(すいが)川の流れが寄り添う境内の奥には、上社前宮の本殿が厳かな姿を見せていました。前宮という呼び名が物語るように、上社本社に対してそれ以前より存在した境内地で、諏訪大神の祭祀発祥の地であるともいわれます。御神体を持たない諏訪大社の中で本殿を有するのは、前宮が江戸時代まで上社の境内外の摂社格であったことによるものです。前宮の周囲にも御柱が立てられていまして、古来より受け継がれる伝統行事の凄みを感じさせていました。なお、前宮の本殿は1932(昭和7)年に伊勢神宮から下賜された材木で造営されたものです。


諏訪大社上社前宮

諏訪大社上社前宮
(茅野市宮川、2018.10.7撮影)
諏訪大社上社前宮・十間廊

諏訪大社上社前宮・十間廊
(茅野市宮川、2018.10.7撮影)
諏訪大社上社本宮・入口御門

諏訪大社上社本宮・入口御門
(諏訪市中洲、2018.10.7撮影)
諏訪大社上社本宮・布橋

諏訪大社上社本宮・布橋
(諏訪市中洲、2018.10.7撮影)
諏訪大社上社本宮

諏訪大社上社本宮・弊拝殿
(諏訪市中洲、2018.10.7撮影)
諏訪大社上社本宮の御柱と社叢

諏訪大社上社本宮の御柱と社叢
(諏訪市中洲、2018.10.7撮影)

 最後に、前社より北西へ2キロメートルの所にある上社本宮を訪れました。御神体である背後の山々を見通ながら、入口御門、布橋を経て拝殿へと進みます。本伝を欠き、弊拝殿や左右の片拝殿が並ぶ構成は、諏訪造とも呼ばれる、諏訪大社独特の様式です。上社本宮も四方に御柱が立てられていまして、木々の間から掠めるようにして差し込む日射しを受けて輝いていました。重要文化財に指定される建造物も多く、篤い信仰が時代を超えて受け継がれてきたことを如実に物語っているようでした。また、本宮の社叢についても、落葉樹からなる貴重な植物相を保存していることから、県の天然記念物指定を受け保護されています。

 諏訪湖を中心に点在する諏訪大社の建造物群と付随する御柱の偉容は、この地が明らかに古くから開かれ、神が宿る霊験あらたかな場所として人々に捉えられてきたことを示していると言えます。そうした霊力のようなものが盆地全体を覆い、人々を潤わせて、地域の豊穣を後押ししていたのではないかとも感じられる訪問でした。

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