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#13 木曽谷、中山道の宿場町と渓谷の風景 ~交通の要路となった鞍部~ 2018年10月7日、長野県内のフィールドワークを続けていた私は、諏訪大社訪問を終えて諏訪湖の西岸を進み、諏訪湖から流出する天竜川の起点である釜口水門を一瞥し、岡谷市街地を縦断して塩尻方面へ向かいました。塩尻市からは国道19号を南西へ針路を採ります。長野県南部、広大な伊那谷とは対照的な狭小な谷筋が続く木曽谷が目的地です。
フォッサマグナと呼ばれる、東北日本と西南日本を分断する地溝帯付近は、山脈や盆地、河川の流域が南北の方向に発達していまして、複数のプレートがせめぎ合う、日本直下の複雑な地殻変動の影響が現れた地形群を構成しています。木曽谷は、そうした山並みのひとつである、木曽山脈(中央アルプス)と飛騨山脈(北アルプス)の間を並行して浸食しながら南西へ流れて、濃尾平野から伊勢湾へと注ぐ木曽川がつくりだした地形です。流域には数々の渓谷を形成して美しい自然景観を形づくるとともに、木曽ヒノキに代表される良好な林産資源でも知られます。また、近世以降は大幹線道路である中山道が通過し、JR中央本線もそのルートを踏襲し、名古屋と長野とを連絡しています。国道19号が木曽谷へと入る鳥居峠を越える手前に、奈良井宿があります。中山道でも有数の難所であった鳥居峠を背景とした立地で立ち寄る人も多く、「奈良井千軒」と呼ばれるほどの賑わいを見せていたといいます。奈良井駅近くの駐車場を利用して、そんな山間の宿場町の名残を示す町並みを散策しました。 かつての街道に沿って、中二階建て、低い二階部分の前面を張り出して縁とし、勾配の緩い屋根をかけて深い軒を出す、奈良井独特の町並みが広がります。深い山並みを背景とした家遺影の格子壁も美しい風合いを持っていまして、電柱も取り払われて、舗装された道路(ただし、色彩は土に近いものにされえている)を除いては、ほぼ往時のものに近い修景がなされていると言えます。沿道には水場がいくつか設けられていまして、旅人の喉を潤した、豊かな水に恵まれた当地の雰囲気を再現しています。屋根と山々とに囲まれた頭上の空はどこまでも青くて、きらきらした白雲をたたえていました。家々と小さな寺院や神社が建ち並ぶ佇まいはどこまで穏やかで、かつて行き交った多くの人々の息づかいが聞えてくるようです。
現在はトンネルで快適に通過できる鳥居峠を抜けて、険しい木曽谷へと入っていきます。木曽川がつくるV字谷に沿ってわずかにある段丘上の低地に集落が形成されています。これだけ深い谷間が誕生したのは、周囲の地盤が活発に隆起して、それに対応するように川が下へと浸食した結果です。上松町にある寝覚の床(ねざめのとこ)も、そうした木曽川の下刻作用がつくり出した、美しい渓谷です。河床の花崗岩が直方体状に規則正しく浸食されていまして(方状摂理と呼びます)、周囲の山並みが鮮やかな緑色を呈する中で独特の奇景を生み出しています。浦島太郎が帰って、寝覚めたという伝承が残る寝覚の床には、浦島堂と呼ばれる小堂が祀られていまして、無二の風景にアクセントを添えていました。 木曽谷の最後の訪問は、木曽谷でも多くの人々が訪れる妻籠(つまご)宿でした。南木曾を過ぎて国道19号から離れ、国道256号を蘭川を伝って分け入った先に、中山道の宿場町として栄えた妻籠の町並みへとたどり着きます。駐車場から河岸段丘上の宿場町へと向かう途中には稲穂の揺れる田んぼもありまして、だんだんと深まる秋の情景にも触れることができました。緩やかな傾斜のある小規模な低地に、わずかにカーブを描きながら進む通りに面して、切妻平入の建物や土蔵などが立ち並んで、宿場町時代の姿そのままの光景を現出していました。町の博物館ともなっている脇本陣奧谷(国重文)や、本陣の建物、高札場や枡形の跡など、昔ながらの景観を保存した町並みはとても美しくて、中山道と飯田街道の分岐点として栄えたかつての要衝の賑わいを今に伝えていました。この先、馬籠峠を越えた場所にはやはり旧来からの宿場町景観が残る馬籠宿がありますが、既に夕刻を迎えて山間のこの地は日が陰り始めていたため、この日の活動はここまでとなりました。
奈良井、妻籠ともに、古くからの歴史的資産を尊重し、その保存を積極的に行ってきたことが評価されて、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けています。このような保全活動は近年多くの地域で盛んになってきていまして、地域創生の観点からも貴重な指針を提供しつつあるようです。その豊富な木材や、主要な交通路として設定されたことから、山深い土地柄ながらも、豊かな町並みを維持させ得るほどの環境がもともと存在していたことこそ、木曽谷が誇れる最も尊い宝であると実感する道のりでした。 |
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