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#8 登米市登米町をゆく 〜「みやぎ明治村」と呼ばれる町並み〜 2015年5月6日、平泉を訪れた私は一路北上川流域を南下し、北上川のほとりの町場・登米(とよま)を目指しました。新緑に包まれていた山野は依然として穏やかな青空の下にあって、水田には徐々に水が引き入れられようとしていました。藩政期、仙台を中心に62万石とされる藩域を納めた仙台藩の領域は現在の宮城県一円を超えて、岩手県南部、奥州市あたりまで及んでいました。領内には小規模な支城や要害と呼ばれる拠点を配してこの広大な地域を統括しました。ここ登米もそうした要害の一つで、現在でも往時の面影を残す武家屋敷や、近代以降も地域の中心として栄えた歴史を今に伝える建造物が良好に保存され、「みやぎ明治村」と呼ばれています。なお、旧制の登米町は2005(平成17)年に登米郡内の各町などと合併し、登米市となっています。登米市は郡名の読み「とめ」を踏襲していますが、登米町は「とよま」のままで、「登米市登米町」は「とめしとよままち」と詠みます。
旧登米高等尋常小学校の建物を利用した教育資料館の駐車場に車を置いて、明治時代の擬洋風建築が現存する同資料館へと向かいます。コの字型の建物の中央には上層にバルコニーのある玄関があって、近代化が進む中流布したであろう当時の建築様式の態様を今に伝えています。洋風の意匠ながら、随所に和風の工法を取り入れた建物からは、当時の建築技師が日本の建築技術に依りながらも西洋の様式に近づけようとした努力が滲み出ているように感じられます。バルコニーから望む町並みは、南の緩やかな丘陵の下に抱かれるようにしてありました。 かつてこの町に到達していた軽便鉄道の駅に由来すると思われる「駅前通り」を東へ、登米小学校南東の交差点を右へ折れますと、白壁の塀が続く景観となり、旧武家地としての風情が色濃くなります。駅前通りから続く通りは「大手前通り」となり、かつての登米要害の政庁が置かれていた寺池(てらいけ)城跡に面することからの命名と思われました。交差点の南西角には、水沢県庁記念館が立地します。廃藩置県における県域の再編の過程で現在の岩手県南部と宮城県北部に水沢県が設置されていた時期があり、この建物はその県庁舎として使用されました。玄関は入母屋造で立派な破風を擁する造りとなっていまして、本棟部分の洋風の寄棟平屋造の建物と好対照をなしていました。
水沢県庁記念館の見学後は、武家屋敷の姿を残す門と土塀とが連なる、落ち着いた風情の町並みが続き通りを歩きました。屋敷内の庭木と背後の丘の緑とがみずみずしく重なって、美しさがより一層引き立つように感じられます。一角には旧鈴木家武家屋敷を休憩所として整備した「春蘭亭」もあって、茅葺きの屋根が昔日の風景を描写していました。特徴的な門や土蔵などが点在する通りをさらに南へ歩きますと、道路がクランク状に曲がった鉤手小路に到達しました。これは城下町における防御のためにしばしば見られる街路形態で、こうした小さな要害にも鉤の手が存在していることに、戦国期から江戸時代へ向かう時勢のリアルを投影していました。 藩政期に政治的な拠点となった城下町は、その多くが近代以降も地域の中心都市としてその年基盤を継続させていきました。クランクを通過し到達した東西の通りと、北上川に寄り添う南北の区画は要害の時代から町屋が形成されていた場所で会ったようです。町並みを歩きますと、小規模ながらも町屋造や土蔵造の建物が建ち並んでいまして、この登米の町が上述のとおり、この地域における小中心として中心性を保ち続けてきたことが窺い知れます。そうした蔵造の商家が続く家並みの一角に、白ペンキ塗りの外装が瀟洒な洋風建築が佇みます。1889(明治22)年に完成した初代の登米警察署庁舎で、現在は警察資料館として一般公開されているものです。
町並み散策の最後は、地域を貫流する北上川の土手に上がって、日本でも有数の流域面積を誇る大河の流れを眺望しました。どこまでもゆったりと水を流す川、それを取り巻きながらもなめらかな表情を崩さない背後の山並み、それらが初夏の輝きの中で溶け合いながら、極上の緑色を協奏している風景が目に焼き付きました。この登米の町が存立した背景には、北上川を介した水運が大きな役割を果たしたことはいうまでもありません。蔵や町屋が連続する中に洋風のファサードを持つ町並みを辿りながら、登米要害の中心である寺池城跡にある登米懐古館に立ち寄り、この町の訪問を終えました。高度経済成長期以降、少数の大都市に人口や経済が集積する傾向が顕著となった我が国あって、近代以前まではこうした地域の中小都市も十分な活力を擁して存立してきた背景があったことを、改めて確認する行程となったように思いました。 |
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