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#16 遠野、民話の里・豊饒の大地 〜盆地のたおやかな風景〜 2017年10月8日、穏やかな秋晴れに恵まれた北東北の田園風景や山並みを貫く高速道路を走り、秋田県内から奥羽山脈を越えて岩手県内に入り、東北道から釜石道へと進んで、北上高地の只中へと入りました。隆起準平原然とした北上高地の、のびやかな山稜の中をゆったりと刻む猿ヶ石川の左岸を進む釜石道からは、黄金色に染まりつつある、河谷の水田を美しく眺望することができました。北上高地では最大の盆地を形成する遠野は、この猿ヶ石川の最上流部にあたります。
遠野市街地の市役所に隣接するショッピングセンター内の駐車場に車を止めて、寄棟造の重厚な印象のJR遠野駅前へと進み、南部藩内の支藩の城下町を礎とする街並みを一瞥しながら釜石線の鉄路を超え、民話の故里として知られる遠野の原風景が広がるカッパ淵周辺のエリアへと出発しました。穀町や上組町など、城下町を感じさせる地名の町を歩き、早瀬橋で猿ヶ石川の支流である早瀬川を渡ります。橋の上からは盆地を取り囲む山並みへの視界が開けて、壮年期の山並みが目に優しく映ります。橋の傍らには、「早瀬川(百姓一揆)」と題された説明表示があり、幕末の1847(弘化4)年、この地で岩手県沿岸部の民衆と遠野の武士がにらみ合った歴史があり、その事件が南部における幕末激動の幕開けとなったことが説明されていました。さすらい地蔵や遠野郷八幡宮などを訪ねながら国道340号を歩いていきますと、徐々に住宅地の間に水田が混じるようになります。国道の脇、五日市川を渡る手前の田園地帯を見渡せる場所にある「キツネの関所」には、キツネに化かされた逸話が伝わっている旨の表示があり、昔話が息づく当地の文化を実感させました。 キツネの関所付近は、黄金色一色の水田の只中でした。一部には刈り入れの終わった田もあって、秋の日射しの下、稲が干された稲木が並ぶ風景は、秋本番を象徴するようなさわやかさに溢れていました。「遠野小富士」と呼ばれ、早池峰山(はやちねさん)、石上山(いしかみさん)とともに遠野三山のひとつにも数えられる六角牛山(ろっこうしさん)のやまが一際しなやかなフォルムを青空に臨ませています。遠野地方の民俗をテーマとした野外博物館である伝承館の南に、カッパが多く住み、人々を驚かせたという言い伝えが残るカッパ淵があります。カッパ淵の傍らには、遠野郷曹洞宗12ヶ寺の筆頭であるとされる名刹・常堅寺(じょうけんじ)が建立されています。開創は1490(延徳2)年、多聞秀守禅師によって開山されました。慈覚大師(円仁)作と伝わる仁王像が安置される山門は、旧明泉寺(現在の早池峰神社)より移設されたもので、時代を経た趣を纏う柱の結構に、そうした歴史の重みを感じさせます。境内の裏手には、カッパ淵の穏やかな流れがあって、昔話の世界を現代に承継していました。淵に隣接して、平安後期の有力豪族であった安倍氏の居館跡の史跡もあって、みちのくが歩んだ力強い通史のさまを体現しているようでした。
カッパ淵の涼やかな風景を探勝した後は、伝承園の見学を経て、日が傾くにつれていっそうきらめきを増す金色の水田を横に見ながら、遠野盆地の真っ只中を歩きました。ススキが揺れ、ヨメナの可憐な花が野辺に瞬いて、秋はいよいよその鮮烈の頂に到達しようとしているように感じられます。茫洋な大地に、多様な山岳や海岸の風景を包摂する東北地方にあって、目の前に展開する、緩やかな山並みに囲まれた水田が広がる光景は、その「みちのく」たる原風景を最も的確に表現しているもののひとつであるとの思いに行き当たりました。猿ヶ石川の上流部、谷底平野の縁の斜面に伽藍が点在する、福泉寺へ。大正期の創建と比較的歴史の浅い寺院ですが、春の桜と秋の紅葉の名所として多くの参詣客を集める存在であるようです。この日は、紅葉もまだ色づきはじめといった風合いで、訪れる人もほとんどありませんでしたが、境内の高台からは、極上の輝きを放つ、遠野盆地の夕景を、とてもたおやかに眺望することができました。遠野の町は、大きく広がる田園と、南の山の裾野にのびやかに市街地を構成している様子も、併せて俯瞰することができました。 福泉寺前からは、路線バスで遠野駅前に戻り、日が暮れるまでの時間、遠野市街地を散策しました。遠野市街地は、藩政期に開かれた南部藩の支藩が置かれたことにその原点があることは既に述べました。政庁は市街地の南の鍋倉山にあり、城址は現在は鍋倉公園として整備され、市民の憩いの場となっています。市街地を歩き、鍋倉山の裾を洗うように穏やかな流れを見せる来内川(らいないがわ)を渡り、石段を上って鍋倉公園にある南部神社へと歩を進めました。境内からは遠野市街地を間近にすることができます。灯が灯り始めた家並みは地域の中心都市として存立してきた遠野の町の中心性を改めて実感しました。
脊梁たる奥羽山脈を軸に、北上高地や出羽山地、阿武隈高地などの山地を擁する東北地方は、地域ごとに小宇宙のごとき盆地が点在していまして、その盆地内に形成される生活圏ごとに多様な中心集落が勃興し、河川や街道などの交通路の発達とも密接に関連しながら、今日のローカルな中心都市の基盤が育まれました。遠野の町とその後背地域を歩いて、そうした地域構造が基本的には維持されながら、今日に至っている現況をつぶさに見つめることができました。そして、それらの小生活圏群が、それぞれに独自の文化を成長させてきた経緯にも触れることができました。遠野の盆地は、生活感溢れる昔話の存在そのままの、人間味に溢れる鷹揚さを纏っているように感じました。 |
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