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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#2 谷中界隈から日暮里へ(台東区、文京区、荒川区) もう1年近く前になってしまいましたが、初冬の谷中界隈から西日暮里駅方面へと散策したことがあります。台東区谷中、文京区根津・千駄木界隈は、都心に近い地域ながら穏やかな住宅地、寺社地が残るエリアとなっています。近年は、3地区の頭文字をとった「谷根千(やねせん)」というエリア名が浸透しているようです。そんな落ち着いた都会の雰囲気を感じてみたくて、ぶらりと歩いてみることにしました。 JR上野駅を出発し、上野恩賜公園を横切って、不忍池へ。上野の山はしっとりと色づいており、池を覆う蓮と、上野広小路方面のビル群とが、初冬の穏やかな空に映えていました。不忍通を南へ、春日通へと至る手前、池之端文化センターへと登るアプローチ(「無縁坂」と呼ばれることはよく知られているようですね)を歩んだ先には、重要文化財の旧岩崎邸庭園があります。明治から昭和にかけての実業家で、三菱三代目の社長であった、岩崎久弥の旧宅が残されています。その洋館は、イギリスの建築家・ジョサイア・コンドルの設計によるものです。コンドルは、現在の東京国立博物館や鹿鳴館など、数多くの建造物の設計監督に携わり、19世紀後半のヨーロッパ建築を導入した日本の近代建築の発展を牽引した人物として知られているようです。ゲストハウスとしての洋館・撞球室と、生活の場としての和館とを併設した様式は、明治期によくみられた様式で、この旧岩崎家住宅はその代表例とのこと。現在の敷地は、往時と比較するとかなり狭い範囲とのことでしたが、往時を今に伝える粋な洋館と、和洋双方のエッセンスが融合された広大な庭園は、無機質な高層建築物の谷間にあって、うるおいのある都市景観を与えてくれていました。周囲を中高層のビル群に取り囲まれ窮屈な印象の湯島天神とは対照的です。
東京地下鉄千代田線(散策当時はまだ営団地下鉄でしたが)湯島駅から千駄木駅へと移動し、団子坂下の交差点から東へ、谷中方面へと進みました。間もなく、文京区から台東区へと移り変わります。この付近の区境を地図上で観察しますと、小刻みにカーブを描く形状となっていることが読み取れます。現地を確認しますと、果たして区の境をなす街路が緩やかに右に左に折れ曲がっていました。これは藍染川と呼ばれる川が流路ごと暗渠となっているためで、道はその形から「へび道」と通称されているとのこと。この川筋ですが、南南東へ延長すると不忍池へ至っていますね。再び都道にもどると、「三崎坂(さんざきざか)」の道標を発見。説明書きを参照しますと、1829(文政12)年編纂の江戸市中の地誌『御府内備考』に見える坂の名とのことです。東京は本当に、ちょっとした坂の名前の宝庫ですね。付近はお寺も多く、昔ながらの町並みもよく保存された景観で、古き東京の姿を残しているようにも感じられます。 やがて、谷中霊園の南へと至ります。ここで、ぜひとも見ておきたかった場所が、「天王寺五重塔跡」でした。幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとしても知られ、俗に「谷中の塔」と呼ばれ、谷中におけるランドマークとして親しまれた総欅造の五重塔は、1957(昭和32)年7月6日、放火により焼失しました。1644(嘉永21)年に建立され、1772(明和9)年に大火で焼失するも1791(寛政3)年に再建され、関東大震災や戦災を乗り越えて戦後まで残されてきた五重塔でしたが、度重なる再建への取り組みも実らず、現在に至っています。近世から近代にかけての、昔懐かしい建造物の残るこのエリアにあって、谷中の塔の果たしてきた役割は少なくないものであったと思われます。上野の山から続く高台となっているこの界隈は、寺院の甍や石壁の先に緑が繁茂し、さらにその先に現代の都市を象徴する高層建築物の展開する様子を眺めることができ、多くの人や車で溢れかえる東京の中にいることを忘れさせてくれる、和やかな雰囲気に包まれたエリアであるように感じられました。
日暮里駅の西、荒川区域に入り、「諏訪台通」と呼ばれる街路を北へ進むと、東京では数少なくなった、実際に富士山を望むことができる「富士見坂」の坂上に到達します。この日は富士山を望むことはできませんでしたが、ゆるやかなスロープはみずみずしい木々に囲まれて、東京の都市景観を穏やかに眺望できました。黄色に色づいた諏方(すわ)神社の鎮座する付近は、さらに静かな住宅地の佇まいでして、ここが本当に都心間近の地域なのかと疑ってしまうほどの静かさです。この高台は通りの名にあるとおり「諏訪台」と呼ばれており、安藤広重の『名所江戸百景』の中にも、「諏訪台の春景色」として描かれている景勝の地です。すぐ東の坂下には、山手線・京浜東北線の線路がすぐに迫っていて、西日暮里の駅も目と鼻の先です。諏方神社の境内から眺める、線路を介した現代の東京の景観は素晴らしいの一言でした。「今の東京」と「かつての東京」とがこれほど違和感なく融けあっている地域というのも、あまりないのではないか、とも思われたのでした。
追記 最後に取り上げた日暮里の富士見坂ですが、2001年に富士山の左肩を隠すビルが竣工し、富士山の全景を完全には見ることができなくなっているとのことです。 |
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