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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#3 奇跡の湧水を追って 〜石神井川から善福寺川へ〜(練馬区、杉並区) 東京都下一帯、武蔵野台地などと呼ばれる高燥の大地の末端部には、多くの湧き水が見られます。先にご紹介した深大寺の湧水は、多摩川やその支流が大地を削った段丘崖(「崖線」と呼びます)から水が湧き出ているもので、大地の末端部からのものとともに、湧水の代表的な形態となっているものです。今回は、大地の末端部における湧水と、それを水源とする川の流れを辿るフィールドワークに出かけました。行程は、西武新宿線・武蔵関駅から石神井川に沿って武蔵関公園へ赴き、そこから青梅海道沿いを歩みつつ杉並区の善福寺公園を目指し、その後善福寺川を下流へ、最終的には荻窪駅へと至る、というものでした。 武蔵関駅の周辺は、穏やかな住宅街の雰囲気で、駅前にはささやかながらも人情味を感じる商店街が形成されていました。ただ、線路を頻繁に列車が行過ぎるため、静寂はしばしばかき消されてしまうのはちょっと残念ですね。駅を出てすぐ、住宅街の北側と線路との間に石神井川の流れが寄り添ってきます。程なくして、区立の公園としては最大の面積を持つ武蔵関公園に行き着きます。武蔵関公園は、細長い「ひょうたん」の形をした富士見池を中心とした緑地で、石神井川の流路は、その南側を迂回するような形となります。この池は、現在では石神井川の遊水池(川の水を一時的に引き入れ、川の水量を調整する機能を持つ池)となっています。かつては井の頭池などともに、大地末端の自然湧水を水源とする池であったのだそうです。石神井川の流路は、さらに上流、西東京市の南部を貫き、小金井カントリー倶楽部内にある水源へとつながっていきます。晩秋が迫り穏やかに落葉を迎えつつある木々に覆われた武蔵関公園から、青梅街道に出て、東へ進みます。
青梅街道は、このあたりでは片側2車線の幹線道路であり、ひっきりなしに多くの車両が通過していきます。歩道橋から道路を眺めますと、道路に面した高層建築物や店舗、街路樹のイチョウやケヤキの列がすっきりと並んでいて機能的な都市の姿であるように見えます。しかしながら、注意深く観察してみますとそういった都市的な構造物に隠れるように雑木林の緑が至るところに認められますし、敷地の広い民家などもあって、玄関先には銀杏(ぎんなん)が干されている光景も見られました。周辺は住居表示が実施されて「関町北」や「関町南」などの町名に整理されています。その住居標示板にまぎれて、「関町1丁目1200番地の2(番地は適当に創作しました。実際に現地で見たものとは一致しません。)」などという表札を掲げている民家も少ないながら見つけることができました。信号やバス停に採用された地名は現在でも「関町1丁目」です。昔懐かしい風景は断片的となりながらも随所に残っていると感じました。関町一丁目交差点から南へ入ると、野菜畑や保存緑地となっている雑木林「たけしたの森緑地」のささやかな森が佇んでいました。穏やかな佇まいの住宅地を過ぎ、緩やかな斜面を下っていくと、善福寺公園の緑が目の前に見えてきました。
善福寺池(善福寺公園内の池)は、平坦な台地の末端部において湧き出した水によってできたもので、この池を水源とする善福寺川は、台地からの湧き水を集めながら東へ流下し、善福寺池と同じく台地末端の湧水による井の頭池の水を運ぶ神田川へ、杉並区と中野区の区境付近で合流しています。元来善福寺池の周辺は相対的に交通の便が悪い地域で、東京近傍にありながら豊かな緑の残る地域でした。しかしながら住宅地化の進行や都市建設の需要のために土砂が採取されるようになると、自然景観を保全するため、1930(昭和5)年の風致地区指定を経て、1961(昭和36)年に都立善福寺公園として開園し現在に至っています。善福寺公園は緑豊かな水辺のある公園として、近隣住民の憩いと語らいの場になっているようでした。付近は風致地区となっているこの公園の一角を除いて、都市近郊の住宅地へと変貌し、それはコンクリートで固められた善福寺川の間近まで覆い尽くしています。高層の建築物は多くなく、幹線道路からも距離があるために閑静な佇まいでまとめられ穏やかな風貌の町並みが連続しています。その一方で住宅間の街路が狭かったり、都市的土地利用に利用され尽くして空閑地に乏しいなど、防災面を考えますとやや不安な面もあることは否めないような気もいたします。驚かされたことは、区立井荻小学校の敷地の一部が善福寺川を跨いでいることでした。 そんな井荻小学校の南、都道113号線を渡った先の善福寺川の川底(もちろんコンクリートに被覆されています)で、それを見つけました。川底に穿たれた小さな穴から、こんこんと水が湧き出しています。土の地面が急速に少なくなった現在、湧水の多くが涸れてしまいました。善福寺池の湧水の1つで、その昔源頼朝がこの地に赴いた際軍勢が乾きに苦しんだため、弁財天に祈り自らの弓で地面を7箇所掘ったものの、なかなか湧水しなかったという逸話の残る「遅野井(おそのい)」も、都市化に伴って湧水が止まり、現在では湧水とは関係の無い水を流して復元しています。傍らには「飲料水として利用しないように」との表示があります。飲めない湧水は、この地域が豊かな自然景観を残しつつも、都市化が高度に進行し、こうした緑でさえもある意味において都市機能の中の1つとして組み込まれてしまっていることを象徴しているのかもしれませんね。そんな趨勢の中でも、今でもさかんに水を吹き上げる湧水は、まさに「奇跡の湧水」と言えるのかもしれません。
善福寺川の周辺も、荻窪が近くなるにつれて高層の建物も多くなり、都市としての密度が高くなっていくような印象でした。みずみずしい社叢林が鮮やかな荻窪八幡神社を過ぎ、再び青梅街道にもどると、そこは関町付近よりもさらに密度といかめしさとを増した雑踏の中でした。道を行き交う人の流れも格段に多くなっています。車両も相変わらずすさまじい通行量です。程なくしてたどり着いた荻窪駅は周囲のにぎやかな町に比して驚くほど簡素な顔をしています。武蔵野の残影を残す町並み、首都圏のダイナミクスの中に組み込まれた巨大都市の一翼としての機能、それらが微妙に重なり合う地域であるのかもしれません。 |
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