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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#6 麻布から芝へ 〜坂の町並みに触れる〜(港区)

  2007年3月31日、神楽坂を下った私は飯田橋駅から地下鉄を利用し、六本木一丁目駅まで移動しました。桜の名所として近年知られている赤坂アークヒルズ周辺の桜を観るためです。1986(昭和61)年に当時最大規模の複合商業ビルとして開業したアークヒルズは、赤坂(Akasaka)と六本木(Roppongi)にまたがり両エリアを結ぶ(Knot)位置にあることからこれら英単語の頭文字をとって「ARK Hills」と命名されたのだそうです。周辺は首都高速の高架が西側を通過する現代的な風景で無機質な雰囲気が漂います。周辺に庭園を併設しているこの再開発エリアは、まさに満開の桜に溢れておりまして、屹立するビル群を背景にみずみずしい春の風景を演出していました。

 東京以外の地域に住んでいた人々が東京に移り住んで地域をめぐる中で、東京における従前とのイメージと実際の地勢との比較において、大きなギャップを感じることのひとつに、「東京は意外と坂が多い」という点を感じている方も存外多いのかもしれません。アークヒルズを囲む桜の並木道をめぐって坂道を下り、首都高に出て南に折れるとすぐ南東方向に上る坂道は、坂上にある道源寺へ向かうことから「道源寺坂」と呼ばれているようでした。現代的な町並みに包まれたアークヒルズから一歩引いた位置にあって、昔ながらの落ち着いた雰囲気を漂わせる坂道です。そこから眺めるアークヒルズや桜並木の風景もまた新鮮に映ります。


アークヒルズ

アークヒルズの桜
(港区赤坂一丁目、2007.3.31撮影)
泉ガーデンタワー

第25森ビル(中央)・泉ガーデンタワー(左奥)
(港区六本木一丁目、2007.3.31撮影)
道源寺坂

道源坂(奥は泉ガーデンレジデンス)
(港区六本木一丁目、2007.3.31撮影)
行合坂

行合坂(北から南方向を望む)
(港区六本木一丁目付近、2007.3.31撮影)

 赤坂から麻布にかけての一帯も、起伏に富んだ地形をしておりまして、坂道には特徴的な名前が付けられているものが少なくないようです。アークヒルズから南へ、首都高速沿いに向かう際も、いきなり「行合(ゆきあい)坂」と刻まれた標柱が歩道に設置されているのが目に留まりました。標柱にある説明は、「双方から行合う道の坂であるため、行合坂と呼んだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか、さだかではない。」とのことでした。行合坂は麻布小学校の北側を東西に刻む小さな谷間を下って上る坂道で、坂の北端から見ても南端から見てもすり鉢状に見えます。しかしながら、西に接する都道や首都高速がその谷間を埋めて水平にこの谷間を通り抜けているため、自然な坂道であるはずの行合坂のスロープほうがかえって人工物のように見えてしまいます。都市の構造物は自然の地形のアウトラインのやわらかささえ変容させてしまっているかのようです。

 飯倉片町の交差点を過ぎ、南へ進みますと、住所は麻布永坂町となります。東接する麻布狸穴(あざぶまみあな)町とともに、港区内では数少ない旧来からの町名が存続する町域です。とはいっても両町とも一部区域は住居表示が実施されていまして、オリジナルの区域がそのまま残っているわけではないようです。麻布狸穴町の代名詞として知られるソ連大使館(現在のロシア大使館)も、住所上は麻布第二丁目の所在となっています。ブリジストン美術館永坂分館方面に路地を入り、麻布永坂町と麻布台三丁目との境界をなす植木坂を下っていきます。周囲は幹線道路沿いの中高層の建築物群が立ち並ぶ光景とは打って変わって、落ち着いた雰囲気の住宅地へと移り変わります。この一帯は外苑東通りを尾根筋とし、首都高速が頭上を通過する古川を谷筋とする傾斜地となっているため緑も多く、坂の途上からは外苑東通沿いの建築物群が正面に屹立するようすが眺められます。植木坂から狸穴公園方面へ下る細い道は鼠坂。周りはたいへんに穏やかな住宅街で、高い建物も少ないために見通しもよく坂の隙間からのぞく都会の風景がたいへんにたおやかです。狸穴公園付近は個人商店なども立地して、昔ながらの麻布エリアの風景が残されているように感じられました。



鼠坂(南方向を望む)
(港区麻布狸穴町/麻布永坂町、2007.3.31撮影)
狸穴坂

狸穴坂(北方向を望む)
(新宿区麻布狸穴町/東麻布二丁目、2007.3.31撮影)
六本木ヒルズ

東京タワーからの景観(六本木ヒルズ)
(港区芝公園四丁目、2007.3.31撮影)
お台場

東京タワーからの景観(お台場方面)
(港区芝公園四丁目、2007.3.31撮影)

 外苑東通りへと上る狸穴坂を進みます。狸穴という少々聴きなれない地名には、このあたりの斜面の谷間に「まみ(雌タヌキ、ムササビまたはアナグマの類とのこと)」が住んており、坂下にそれらの穴があったという説や、採鉱の穴(間歩穴の意でしょうか)があったという説があるようです。鼠坂周辺と同様に、狸穴坂周辺も都心とは思えないほど古くからの建物を含む住宅地域となっていました。外苑東通りに出ますと、道の両側に並ぶ中高層の建物の向こう、東の正面方向に東京タワーが望めるようになります。これまでの行程でも度々建物の間からその上部をのぞかせていたタワーも、このあたりからはかなり下層から望めるようになってまいります。駐日大使館が多い土地柄を概観しながら、飯倉交差点を超えて、東京のシンボル的存在であるその東京タワーへ。土休日には東京タワーの展望台まで階段を歩いて登ることができます。

 1958(昭和33)年完成のタワーは、高度経済成長期の黎明期に完成したことから近年はこの時代背景を重ね合わせた文学作品等に登場するなど、古きよき東京の象徴として捉えられることも多くなっているようですね。展望台から望む現代の東京は、東にお台場の臨海副都心を間近に望み、西には新宿副都心方面のビル群や六本木ヒルズに面し、ビルに埋もれるようにわずかに確認できる国会議事堂を見ながら視点を北から東方向に向けますと、汐留周辺のビル群の間から浜離宮の緑が穏やかに見下ろされます。高度経済成長期、ドラスティックに変貌を遂げた東京の街を見下ろし続けたタワーからの風景は、これからも進化を続けるこの町を見守り続けることになるのでしょうか。

浜離宮

東京タワーからの景観(浜離宮方面)
(港区芝公園四丁目、2007.3.31撮影)
増上寺

増上寺
(港区芝公園四丁目、2007.3.31撮影)
大門

増上寺総門(大門)
(港区芝公園一/二丁目、2007.3.31撮影)
JR浜松町駅付近

JR浜松町駅付近
(港区浜松町一/二丁目、2007.3.31撮影)

 東京タワーの足元に広大な境内を展開する増上寺は、満開のソメイヨシノに囲まれて、まさに春爛漫の中にありました。増上寺の本堂を東から撮影しようとしますと、東京タワーの先端が屋根の上に突き出すように入ってまいりまして、さながら現代都市の借景とでも表現できるような風景となっていますね。芝周辺も高層ビルが意外に多いようで、オフィス棟と住宅棟がとがツインタワーとして林立する愛宕グリーンヒルズや、貿易センタービル、浜松町スクエアなどの高層建築物が、増上寺の境内より望むことができます。徳川将軍家の菩提寺のひとつでもある増上寺は、江戸城から見て鬼門に建立された上野の寛永寺に対し、浦鬼門に当たる位置にあると見ることもできるのだそうです。戦災を免れた建物のひとつである三解脱門をくぐり、付近の地名にもなっている大門(総門)をくぐり東へ進む参道は、近代的な大通りである第一京浜(国道15号)を超えてオフィスビルが立ち並ぶ浜松町駅へ向かうルートと連接していまして、ビジネス街としての雰囲気がかなり濃厚なエリアとなっていました。麻布から芝への一帯は、丘陵性の坂道のある穏やかな住宅地域と、現代的な再開発ビルとビジネス街とが緩やかに重なり合う地域でした。


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