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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#26 東京桜ストロール2009(前) 〜庭園にはなやぐ桜をめぐる〜 (新宿区・文京区) 2009年3月21日、東京は平年より5日ほど早くソメイヨシノの開花を迎えました。穏やかな陽気に恵まれた新宿御苑は、やや盛りを過ぎていたハクモクレンの白い小波に呼応するかのように多くの花々が花開いて、まさに百花繚乱の季節を迎えていました。JR新宿駅周辺のビル群を借景にしながらのびやかに広がる公園内には、ヨウコウやジュウガツザクラ、トウカイザクラ、コヒガン、オオカンザクラ、ベニシダレザクラなどの桜が見事な色彩を見せ、ソメイヨシノはつぼみをふくらませて数輪が透き通るような花弁を見せ始めていました。桜のほかにも、ハナモモやサンシュユ、ゲンカイツツジなどの花々、そして足元にはラッパスイセンやムラサキハナナなどの草花が彩りを添えていました。 新宿御苑のルーツは、江戸時代にこの地にあった信濃高遠藩内藤家の下屋敷です。明治期に入り、農業振興のための試験場となったことを皮切りに、皇室の御料地・農園、皇室の庭園(「新宿御苑」の誕生;1906(明治39)年)を経て、戦後は国民公園の新宿御苑となり現在に至ります。江戸時代、多くの大名屋敷が存在し、それらの多くに日本庭園があったといいます。近代に入りそれらのほとんどが姿を消す一方で、ごく一部の庭園は現代に受け継がれました。新宿御苑はそんな数少ない庭園の一つとして、今日は都市のオアシスとして多くの人々を惹きつけています。
桜をめぐる道程は3月29日、JR駒込駅近傍の六義園(りくぎえん)へと続きます。都心にあって閑静な住宅街が連担する文京区の北部、に位置します。六義園は、徳川綱吉の側用人を務めた柳沢吉保が1695(元禄8)年、綱吉から与えられたこの地に造営した庭園を端緒としています。平坦な土地に築山を設け千川上水の水を引いて、回遊式築山泉水庭園としました。庭園は明治期に入り三菱創業者の岩崎家の所有となったことから命運を保ち、1938(昭和13)年には東京市へ寄贈されて、今日は都立庭園として多くの人々に親しまれる存在となっています。四季折々に風情を見せる庭園は春本番を前に一際凛とした空気に包まれます。 庭園入口先に根を下ろすシダレザクラは満開を迎えていまして、微風に身を任せる一枝一枝が実に優雅で、気品に満ちた春の情景を現出させていました。園内は初夏へ向けてさみどり色に包まれようとしていまして、カエデの新緑が目にとても鮮やかに映りました。足元に目を転じますと、タチツボスミレが可憐な薄紫色の花をつけていました。都内屈指の名園である六義園の名前は、中国の古い漢詩集「詩経(毛詩)」に記されている「誌の六義」すなわち風、賦、比、興、雅、頌という六つの分類法の流れを汲んだ和歌の六体に由来するのだそうです。日本の自然における季節のうつろいを豊かに表現する庭園には、そんな詩的なエッセンスもふんだんに含まれているように感じます。
六義園から南へ、一般に「小石川植物園」と呼ばれる東京大学大学院理学系研究科附属植物園へ。ここも六義園と同様に歴史のある植物園で、前身は江戸幕府が1684(貞享元)年に開設した小石川御薬園です。敷地内には江戸の下層民対策として医療対応を行った小石川療養所も併設されていました。明治期以降は現在の東京大学の開学に伴い付属施設となって一般公開を開始しています。旧谷端川が台地を刻む谷間の崖線に沿って立地しており、元来より樹木などの植物が生育しやすい場所であったのではないかと思われます。 春うららの園内は開花宣言後も順調に花をほころばせてきたソメイヨシノが見ごろを迎えようとしておりまして、絵筆でなぞったような雲が快いアクセントを添える青空に最高の桜色を届けていました。ソメイヨシノのほかにはヤマザクラが赤緑色の奥ゆかしい葉とともにみずみずしい春の空気を演出していたほか、シナミズキが目が覚めるようなほどの目映い黄色の花を輝かせていまして、地面のタンポポの屈託のない黄色とその光量を競い合っているかのようでした。
小石川植物園を後にし、春の穏やかな晴天の下千川通りを南へ進んで、東京ドームへ。東京ドームに西接する小石川後楽園も、江戸に多く存在した大名屋敷の庭園からその足跡を開始させています。1629(寛永6)年に、水戸徳川家の江戸中屋敷に造営され、二代目藩主の光圀の代に完成しています。。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後 れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられたとのことです(現地表示板より引用)。作庭には中国の名所を模したものが多く配されており、光圀の儒学的思想を色濃く反映したものであると評価されているようです。 しかしながら、園内はシダレザクラが随所にたおやかな色彩を見せていまして、春の光がよどみなく降り注ぐ空の下にあって、園の説明表示にあった「明るく開放的な六義園とは対照的な築園様式」という解説があまり説得力を持っていないようにも感じられましたね。それほどに桜の花びらの一片一片が鮮烈に春の到来を表現しておりまして、これからすべてのいのちが活力を得て生長を遂げんとする躍動感そのものが、この春の一日の中で、すべてを掌握しつくしているかのようでした。そうした春のすがたを最大限に引き出してあまりある佇まいも、四季の移ろいを何より大切にする日本の伝統的な美意識を反映した日本庭園の作庭の妙といえるのかもしれません。
※桜の美しさに心踊らされながら東京の活気ある町を歩く彷徨は、後編へ続きます。 |
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