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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#27 東京桜ストロール2009(後) 〜桜に魅せられる風景を行く〜 (千代田区・目黒区・大田区・中野区・小金井市)

 2009年の東京都心の桜は3月21日に平年より早い開花を迎えたものの、その後はやや気温の低い日が続いたこともあって、4月2日になってようやく満開を迎えました。例年よりも長く桜を楽しむことができたため、3月21日、29日に続いて4月4日も東京周辺の桜をめぐり歩く行程を続けることとしました。まずは、例年多くの花見客が訪れる千鳥ヶ淵へ。この「東京優景」でもご紹介しているとおり、都内でも屈指の桜の名所として知られます。九段下駅から靖国通りを西へ上がり、千鳥ヶ淵緑道を歩きます。お濠に流れ落ちるような桜の並木は実にたおやかで、やわらかな花弁のひとひらひとひらの集合が描き出す桜色は、薄曇りの空の下にあってもなお、その気品を保っているように感じられます。

 緑道にはお濠側と散策路の中央とに二列にソメイヨシノが植栽されています。満開の時期はお濠側が南行き、西側の通路が北行きと一方通行として運用されることが一般的のようです。九段下から南へ、お濠に沿った見事な桜絵巻を堪能しながら歩き、ボート乗り場付近のデッキから千鳥ヶ淵の両岸に溢れる桜の風景を展望後、帰路は西側の散策路を、桜のトンネルの下を進む。ときどき立ち止まって桜色の天蓋を見上げたり、幹から少しだけ伸びた小さな枝に咲く花を観察したりと、千鳥ヶ淵緑道にはさまざまな楽しみ方があります。さらに夜間はライトアップが行われ、昼間とは違った妖艶な桜を愛でるのも一興です。多くの人出で芋を洗うような混雑の中となりますが、譲り合いながら、極上の春をシェアする心づもりで歩を進めましょう。

千鳥ヶ淵

千鳥ヶ淵の桜
(千代田区九段南二丁目付近、2009.4.4撮影)
千鳥ヶ淵

千鳥ヶ淵緑道の景観
(千代田区九段南二丁目付近、2009.4.4撮影)
千鳥ヶ淵

千鳥ヶ淵の桜
(千代田区三番町付近、2009.4.4撮影)
目黒川沿い

目黒川沿い・太鼓橋と桜
(目黒区下目黒一丁目、2009.4.4撮影)

 千鳥ヶ淵緑道の散策後は、やはり川沿いに桜並木が連続する目黒川へと向かいました。JR目黒駅から権之助坂を緩やかに下って、目黒新橋へ至ります。通り沿いはアーケードのある商店街になっていて、人通りも多く活気があります。目黒川は三面をコンクリートで覆われた都心の水路といった無機質な容貌の川です。しかしながら、桜時にはその表情を一変させ、都会にえも言われぬ春の情景を届ける美しい流れとなります。権之助坂が開かれる前の元々の交通路であった行人坂下に架かる太鼓橋からの眺めはとても爽快です。ゆるやかな弧を描く太鼓橋のシルエットも、江戸では珍しかったアーチ橋として歌川広重も浮世絵の題材とした往時を彷彿させます。

 太鼓橋から目黒新橋を過ぎ、中目黒駅付近まで、桜並木の下を歩きました。川面は曇り空の下、暗緑色に沈んでおりましたが、両岸の桜木は精いっぱい豊かな春色をそれらへ響かせようと、なめらかな春の旋律を奏でているかのようでした。のびやかな里山の中にあっても、鋭角の建造物が卓越する大都市の巷であっても、桜はその存在だけで周囲の風景をあたたかな春の装いへと導きます。目の前にとめどなく続く桜の花を眺めますと、明るい青空の下で輝く情景や、一陣の風にふわりと花びらを散らし、水面にいくつもの花筏を浮かべる光景などが容易に想像されて、心がとてもあたたかくなるようです。

目黒川沿い

目黒川沿いの桜(目黒新橋付近)
(目黒区目黒一丁目付近、2009.4.4撮影)
目黒川沿い

目黒川沿い・周辺のビルと桜
(目黒区目黒二丁目付近、2009.4.4撮影)
池上本門寺

池上本門寺・石段からの俯瞰
(大田区池上一丁目、2009.4.4撮影)
池上本門寺

池上本門寺・五重塔と桜
(大田区池上一丁目、2009.4.4撮影)

 目黒川を歩いた後は、郊外へ足を伸ばして大田区の池上本門寺を詣でました。池上駅から門前の商店街を歩き、呑川を超えて行き着いた寺院のある丘陵は、穏やかな桜色に包まれていました。加藤清正が寄進したと伝えられ、法華経宝塔品の偈文(げぶん)96字にちなみ96段あるという石段(「此経難持坂(しきょうなんじざか)」と呼びます)を歩みながら、爛漫たる桜木の下、すみわたる空気を感じました。池上本門寺は、日蓮聖人が1282(弘安5)年10月13日の早朝に61歳で入滅した場所です。毎年この日蓮上人の忌日である10月13日を中心に、お会(え)式法要が盛大に行われています。石段から振り返りますと、前方には穏やかな桜並木の向こう、大都市圏の只中となった今日の池上の街並みが眺められます。江戸の町すら存在していなかった当時、ここからの眺望はどのようなものであったのでしょうか。

 石段上の境内は広い空の下伽藍が展開しており、戦災をまぬかれた五重塔が古刹の格式を今に伝えています。関東地方に4基残る幕末以前の塔のうち最古のもので、桜に包まれた姿は実に壮麗です。大堂や仁王門にも桜の枝が軽やかに重なって、春の一日をのどかで安寧なものに導いてくれているかのようでした。境内では釈迦の生誕を祝う花まつり(4月8日、灌仏会)に合せた春まつりもおこなわれていたようです。

哲学堂公園

哲学堂公園の桜
(中野区松が丘一丁目、2009.4.4撮影)
哲学堂公園

哲学堂公園・妙正寺川沿い
(中野区松が丘一丁目、2009.4.4撮影)
小金井公園

小金井公園・新緑のカエデと桜
(小金井市関野町二丁目、2009.4.4撮影)
小金井堤の桜

玉川上水沿いの桜並木(小金井堤の桜)
(小金井市関野町二丁目付近、2009.4.4撮影)

 この日はさらに桜をめぐる道程を続けて、都市公園にある桜の姿を確認しました。中野区の哲学堂公園は、東洋大学の創始者として知られる井上円了が、その哲学的思想をもとに全財産を投じてつくった釈迦・孔子・ソクラテス・カントを祀った四聖堂の建設後、精神修養公園として整備を行ったもので、四聖堂を当初哲学堂と称していたものが、そのまま公園の名前にもなったものであるようです。武蔵野を潤す妙生寺川にそって穏やかな緑を配する公園は桜の名所ともなっていまして、川沿いの桜、園内の緑に映える桜もともに都市景観に四季の変化を与えるみずみずしいアクセントして貴重なものであるように感じました。

 西武新宿線沿線をさらに西へ進み、花小金井駅で下車して南に歩いて行き着く都立小金井公園も、さわやかに桜が花開く現代の憩いの場として多くの人々が訪れるところとなっていました。公園の原型は紀元2,600年記念事業として計画された「小金井大緑地」で、1954(昭和29)年に「小金井公園」として開園しています。園内には多くの桜が植えられて日本さくら名所100選にも選ばれています。しかしながら、桜の名所としての端緒は別にあるようです。公園の南を流れる玉川上水は、1737(元文2)年に植樹された小金井堤の桜で知られ、数千本規模の桜は1924(大正13)年に国の名勝に指定されています。住所としては小平市となる「花小金井」の地名も、この小金井桜に因み選定された駅名に由来しています。並木周辺の都市化や木そのものの老朽化に伴い往時に比しての荒廃感は否めない状況にあるようです。とはいえ、全国的にも稀有であるというヤマサクラの並木は多くの人々の手によって復活の取り組みが進められるようともしているようです。春を彩るハイライトとしての桜も、鑑賞するだけでなく大切に守り育てて、今日まで受け継がれてきたものであることも念頭に置く必要があるようにも感じました。

 川沿いや史跡、公園など、都市を彩る多くの桜もまた、春のあたたかい風を受けて一際美しい、凛としたたたずまいを見せていました。その珠玉の桜色は、日本人が四季の移ろいに対して、また生活そのものに密接にかかわり大きな影響を与える自然に対して、畏敬と親しみをこめて投げかける眼差しの先にあってこそ輝きを放つものなのではないかと思いました。


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