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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#34 浅草から押上へ 〜スカイツリー建設現場へ向かう〜 (台東区・墨田区・中央区) 2010年10月2日、東京における古くからの繁華街である浅草から、当時建設が進んでいた東京スカイツリーの御膝元である押上方面へと散策するフィールドワークを行いました。この日は晴天のさわやかな陽気で、観光地として国内外の人々を集める浅草は終始活気に溢れていました。近年は都心へのアクセスが良い北千住の結節性にやや隠れた感もありますが、浅草駅は群馬県東部の東武線沿線住民にとって東京における最も身近なターミナルです。隅田川を渡ってすぐに急カーブを曲がって到達する浅草駅は、浅草寺・雷門や隅田川に至近です。浅草のシンボルである雷門は、風神と雷神を祀る浅草寺の総門です。「雷門」の文字のある大提灯は浅草の顔としてあまりに著名です。門の創建は942(天慶5)年。現在の門は、1865(慶応元)年の大火で炎上したものに替わり、1960(昭和35)年に再建されたものであるそうで、意外に新しいものなのでした。仲見世通りの商店街を過ぎて、宝蔵門と五重塔が見え、眼前に本堂が鎮座しています。境内の東方には着々と高さを増すスカイツリーが望めるようになっていました
浅草寺境内の東、三社祭で知られる浅草神社前を経て、二天門から門外を北へ進み、住居表示の浅草と東浅草とを分ける緑道へと至りました。「山谷堀橋」と刻まれた欄干が一隅に保存されており、ここがかつて堀であった場所を埋め立て公園にしたことが理解されました。かつては新吉原遊郭への水上路としても知られる江戸の名所でもあった堀は、時代を経て下町のビル街の一隅におけるありふれた緑地帯となっているようでした。かつての堀を辿る公園を隅田川のほうへ進みますと、待乳山(まつちやま)聖天で知られる本龍院があります。浅草寺の子院の一つであるこの寺院は、隅田川に向かって小高い丘の上に鎮座しており、江戸期には隅田川の眺望がすばらしい場所として知られていたようです。言問橋の西詰に立つと、スカイツリーは本当に真正面に屹立していました。 晴天の下、隅田川の川面はどこまでもなめらかで、ウォーターフロントの散歩は本当に快い時間でした。春になれば桜の名所となる隅田公園も穏やかな水面のようなすずやかさに包まれているようでしたね。吾妻橋で隅田川を渡り、スカイツリーのあるエリアへと向かいます。この地域を象徴するアサヒビールの本社とスーパードライホールと、隣の墨田区役所との間にスカイツリーが割り込んで、この地域の新たなランドマークとなっています。橋を渡りきり、川沿いを北へ区役所を回り込んで進みますと、北十間川に沿って東へ押上方面に進みます。下町的な情感と、スカイツリーが背景に見えるところから、スカイツリーの眺望スポットとして多くの人々が写真に収めていました。
源森橋交差点から大横川親水公園を通り、いよいよスカイツリーの真下へ到達しました。スカイツリー本体をはじめ、周辺の商業施設なども工事真っ盛りで、青空へ突き出すようなスカイツリーの姿がとても壮観でした。スカイツリー及び商業施設(スカイツリータウン)は、2012年5月に全面開業し、電波塔としての機能も東京タワーから移転、名実ともに東京の新名所として注目されるところとなっていることはご案内のとおりです。工事の状況を一瞥した後は浅草通りを西へ戻り、駒形橋で隅田川を二たび越えて進みました。西詰にある駒形堂は、浅草寺の飛地境内にある小堂で、浅草寺の本尊である聖観世音菩薩が約1400年前に隅田川より示現された場所に立つとされています。かつては船着き場もあり、船で浅草寺を参詣する者はまずここで船を降り、駒形堂を参拝してから向かったと言われているのだそうです。 江戸通りを南へ、蔵前の街並みを歩き、神田川に架かる浅草橋へ。奥州街道筋の交通の要衝にあたり浅草寺への参詣路でもあるこの場所には浅草御門と呼ばれる門がつくられ、浅草見附と呼ばれていました。初めて架橋されのは1636(寛永13)年で、浅草御門の前にあったので浅草御門橋と呼ばれていたものがいつしか浅草橋となったものであるのだそうです。江戸通りをさらに進んで、日本橋エリアを歩きながら、時折東方に建つスカイツリーを確認しました。室町三丁目交差点からは南へ、中央通りを進みました。日本銀行も間近なこのエリアは三井関連の高層ビルやコレド室町などの商業施設もあって一気に都市としての密度が上昇します。浅草から歩き始めてスカイツリーの周辺を回りながら日本橋方面へと進んだ今回の道筋は、江戸から東京へと変遷したこの大都市の年表を近世から現代までそのままなぞるような行程であったようにも思えます。 |
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