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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#35 東京リレーウォーク(21) 〜等々力渓谷から二子玉川へ〜 (世田谷区)

 2010年11月6日、前年秋の「リレーウォーク」の到達点であった等々力渓谷を再訪し、フィールドワークを再開しました。世田谷区南部の多摩川沿いには、国分寺崖線と呼ばれる崖の連なりがあって、特徴的な斜面林や湧水が形成されています。この斜面は多摩川が武蔵野台地を浸食して形成した、いわゆる河岸段丘と呼ばれるものです。等々力渓谷も、この国分寺崖線を浸食して形づくられたものであることは既にお話ししています。晩秋の季節、大部分は青々とした森の中にあって、樹冠が徐々に色づき始めていた渓谷の森をそぞろ歩きながら、多摩川の土手に出ました。今も昔も大地を潤す雄大な流れは大空ものと一筋の輝きをなして、彼方に見える武蔵小杉のビル群の下をてたゆたっていました。

等々力渓谷

等々力渓谷
(世田谷区等々力二丁目付近、2010.11.6撮影)
日本庭園

等々力渓谷・日本庭園からの眺め
(世田谷区野毛一丁目、2010.11.6撮影)
多摩川と武蔵小杉

谷沢川・多摩川合流点から武蔵小杉を望む
(世田谷区野毛一丁目、2010.11.6撮影)
善養寺とカヤ

善養寺とカヤ
(世田谷区野毛二丁目、2010.11.6撮影)
環八通り・第三京浜

環八通りをアンダーパスする第三京浜道路
(世田谷区野毛二丁目、2010.11.6撮影)


上野毛通りから二子玉川駅東のマンション群を望む
(世田谷区上野毛二丁目、2010.11.6撮影)

 国分寺崖線に沿って、「おもいはせの路」と「きしべの路」という散策コースが世田谷区によって設定され、崖線に拠って成長する斜面林や湧水によって育まれた地域の歴史と、近代以降自然に囲まれた住宅都市として急成長した地域の今とを歩いて親しむことができるようになっています。両ルートは東急田園都市線二子玉川駅を境に連接していて、前者が東側の崖線に沿った部分、後者が崖線やそれに沿って流れる野川を辿る道筋となっていることが特徴です。都指定天然記念物の大カヤがある善養寺や穏やかな森に抱かれた六所神社、住宅地域として閑静な佇まいを見せる地域を進みます。環八通り沿線では交通量の多い市街地へと一気に変貌する一方で、一歩幹線道路から外れると、崖線が形成する緑のさわやかさも相まって、本当に驚くほど静かな環境です。多摩川に向かって高台に位置する地域は古来より人々の生活の舞台となっていたようで、付近の玉川野毛町公園内の野毛大塚古墳なども存在しています。

 第三京浜の上を通り、環八通りをそのまま歩いて上野毛駅入口から下る上野毛通りを進み、国分寺崖線の坂を感じます。通りに面してある上野毛自然公園は崖線の自然を実感できる空間として貴重な場所です。落葉樹がみずみずしい樹冠をつくる公園内には崖線に沿って遊歩道が設けられ、崖線の植物相を観察できるよう配慮されているようでした。崖下を流下する丸子川に沿って閑静な住宅地を進みますと、東急大井町線の線路の下をくぐり、東京郊外における商業中心地のひとつとして成長を続ける二子玉川駅前へと到達しました。西口にあり、1969(昭和44)年、郊外型の大型ショッピングセンターの先駆として開店した玉川高島屋ショッピングセンターを核とし、古くからの商店街も形成されています。東口方面では近年過去の遊園地跡地を中心とした再開発も進行中で、2015年現在、二子玉川ライズ・ショッピングセンターやタワーマンションが完成しています。

上野毛自然公園

上野毛自然公園
(世田谷区上野毛二丁目、2010.11.6撮影)
上野毛三丁目

国分寺崖線に沿って流れる丸子川
(世田谷区上野毛三丁目、2010.11.6撮影)
緑の残る住宅街

緑の残る住宅街
(世田谷区上野毛三丁目、2010.11.6撮影)
崖線を上る道路

国分寺崖線を上る道路
(世田谷区瀬田一丁目、2010.11.6撮影)
二子玉川駅前

二子玉川駅前・玉川高島屋SC
(世田谷区玉川三丁目、2010.11.6撮影)
砧線跡

旧多摩川線砧支線の廃線跡の遊歩道
(世田谷区玉川三丁目、2010.11.6撮影)

 活気のある駅前を抜け、国道246号の下をくぐりますと、地域は穏やかな住宅街へと表情を変えます。多摩川を目の前にして豊かな自然にも触れあえる二子玉川周辺は、住みたい街としても上位に位置づけられることが多いようです。国道246号が二子橋(二子玉川駅前)方面と新二子橋方面とに分岐するあたりから西へ直線的の延びる2本の道路のうち北側の道路は、かつて二子玉川駅を出て現在の鎌田二丁目、駒澤大学前にあった砧本村駅までを結んでいた「玉川線(現在の東急田園都市線)砧支線」の廃線跡に沿っています。関東大震災後の復興のために砂利を運搬するために建設されました(1969年廃止)。多摩川河川敷の砂利を運びながら、田園地帯を進んでいた鉄路も、周辺の宅地化とともにその役割を終えています。

 駅の南で多摩川に合流する野川に沿って、「きしべの路」として設定されるルートを中心に歩を進めました。


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