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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#36 東京リレーウォーク(22) 〜砧地域、地域の面影を歩く〜 (世田谷区) 2010年11月6日、等々力渓谷をスタートして、国分寺崖線を感じながら西へ、二子玉川駅前へ到達した私は、さらに西へ進み、国分寺崖線とそれに沿って流れる野川に沿ってフィールドワークを続けました。この付近の流れは直線的で人工的な改変があったことが分かります。現在の野川は高度経済成長期に新たに開削された流路を流れています。急速な宅地化に伴う防災面での変更と思われます。実は、野川はそれより以前、藩政期にも流路の変更を経験しています。1597(慶長2)年から15年の歳月をかけて完成した農業用水である六郷用水の一部として、河道を大きく東へ遷移させています。先にご紹介した丸子川もかつての六郷用水の一部です。現在の大田区方面まで農業用水を供給した六郷用水も、地域の都市化に伴い多くが埋められたり下水道として利用されたりして姿を消しています。こうした水路の変遷を見ても、この地域が農村的な佇まいから急激に都市化し、郊外住宅地域へと移り変わってきた歴史を感じさせます。
野川と仙川の合流点付近を北に入り、吉祥院や蒲田天神社を経て北の永安寺にかけての一帯には細い路地や蔵造りの建物などが散見されて、昔ながらの集落景観を偲ばせていました。永安寺南で大蔵六丁目と鎌田四丁目の町界をなす道路は東へ延長すると丸子川につながっていて、かつての六郷用水の跡に沿ったもののようです。近傍の氷川神社には用水で洗濯をする様子など、往時の農村風景を想起させる絵が生き生きと描かれた板絵が奉納されているそうです。鎮守の森や農村集落を思わせる建物の存在は、ここが大都市郊外の都市化に現れてもなお、ここが田園風景の広がるのびやかな場所であったことを静かに物語っているかのようです。 二子玉川駅から喜多見を経て成城学園前駅まで続く散策ルート「きしべの路」は、そうした地域の面影をなぞるように設定されています。岡本公園民家園や次大夫堀民家園では江戸後期の古民家(農家住宅)が復元・公開されていて、後者では六郷用水(次大夫堀とも呼ばれた)の流れも再現されていて、緑豊かな地域の原風景に浸れるようになっているようでした。園内には水田や畑もあって、一歩踏み入ると、世田谷区西南部一帯、砧地域における藩政期の典型的な農村風景に出会えます。
野川に寄り添うように進む「きしべの路」をさらに歩いていきます。郊外の住宅地域として開発が進む地域でも、宅地と宅地の間に畑が徐々に多く認められるようになり、国分寺崖線に沿った緑も依然として地域を縁取るように在って、武蔵野台地に展開する多摩地域でしばしば見かける景観へと緩やかに変化していることが実感できます。そんな地域を野川の流れはゆるかに下っていて、地域におけるうるおいある水辺環境を提供しているようでした。 世田谷通りをクロスして、小田急喜多見駅へ到達しました。特別区部西端の駅は、ホームの西側は狛江市にかかっています。郊外における小規模な駅に位置付けられる同駅周辺は、コンパクトながら地域における小商業中心として一定の中心性を持つ様子が見て取れました。「きしべの路」は、地域が歩んだ歴史を投影するさまざまな美しい風景に接することのできる、快い散策ルートであるように思いました。フィールドワークはここから一駅西の狛江駅周辺へと続いていきます。 |
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