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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#57 小野路を行く 〜鎌倉道、大山道の宿駅として栄えた街並み〜 (町田市・多摩市)

 2013年7月7日、平塚から厚木へとめぐった私は、小田急線で町田市に鶴川駅まで進み、駅前からバスで町田市小野路町を目指しました。鶴川駅前は小規模ながら中小の商業施設が集まっていまして、周辺地域における中心商店街としての役割をになっているようでした。首都圏近郊のベッドタウンとして開発が進む地域を抜け到着した小野路町は、住宅地域の人工的な都市景観とは一線を画した、昔ながらの街並みがのびやかに残るエリアでした。

鶴川駅前

小田急鶴川駅前の景観
(町田市能ヶ谷一丁目、2013.7.7撮影)
小野神社前交差点

小野神社前交差点
(町田市小野路町、2013.7.7撮影)
小野神社

小野神社
(町田市小野路町、2013.7.7撮影)
小野路一里塚

小野路の一里塚
(町田市小野路町、2013.7.7撮影)

 小野路町を通過する都道156号沿線に、かつての宿場町を思わせる街並みは展開しています。その東側の入口に小野神社が鎮座しています。地名にある小野は、ここが小野妹子をはじめ多くの文人墨客を輩出した小野氏にゆかりを持ちます。同神社は歌人として知られる小野篁(おののたかむら)の七代の孫である小野孝泰が天禄年間(972年)頃に武蔵国司として赴任、この地に小野篁を祀ったことに由来します。近隣の城山(小山田町周辺に拠った小山田氏の居城小野路城跡)には小町井戸と伝わる遺趾も存在しています。中世以降は鎌倉と武蔵国府のあった府中とを結ぶルート上の要衝として宿駅が発達し、府中から上野方面へ抜けるいわゆる「鎌倉道」の経路として小野路は存立しました。江戸期に入りますとこの道筋は府中から大山詣での参詣道としても利用されて、小野路は宿場町としての命脈を保ちました。小野神社の南、都道から野津田公園へ向かう道と、都道の東に並行する旧大山道を辿る小路とが交差する付近には小野路の一里塚が現存しています。

 多摩丘陵の鮮やかな緑にその家並をうずめるような小野路は、生垣や板塀が狭い道路に沿って美しく整えられていまして、宿場町としての往時の佇まいを残しています。小野路を通る都道は、鶴川駅と多摩センター駅とを結ぶバス通りにもあたっていて、交通量も比較的多いように感じられます。そうした自動車交通から歩道を分離するために、歩道と車道の間に一定間隔で鉄の杭状の構築物が設置されていまして、歩行の安全が図られるように工夫されていました(一部はその工事中と思われる個所もありました)。集落の中ほどから北へ分岐する都道は、鎌倉道のルートをほぼ踏襲しています(一部は東側の山中に旧道とされる小道もあるようです)。やわらかな緑に癒されるような多摩丘陵を辿る都道を歩いて多摩市側に出ますと、一本杉公園の東側へと出ます。同公園内には多摩市内の旧家が一部移築されていまして、それらは多摩地域における近世の農家住宅の態様を今に伝えていました。

小野路の景観

小野路の景観
(町田市小野路町、2013.7.7撮影)
小野路の景観

小野路の景観
(町田市小野路町、2013.7.7撮影)
小野路俯瞰

都道156号より小野路を俯瞰する
(町田市小野路町、2013.7.7撮影)
旧加藤家住宅

旧加藤家住宅(一本杉公園内)
(多摩市南野二丁目、2013.7.7撮影)
恵泉女学園大東付近

「鎌倉道上道」と紹介されていた山道
(町田市小野路町、2013.7.7撮影)
多摩センター駅前

多摩センター駅前の景観
(多摩市落合一丁目、2013.7.7撮影)

 多摩丘陵の尾根筋を辿るように、「多摩 よこやまの道」と名付けられた散策路がつくられているようでした。上述した鎌倉道のほか(小野路を通過した鎌倉道は「上道」と呼ばれる本道で、このほかに複数のルートがありました)、古代の東海道や奥州へ向かう道筋など、武蔵国府の近傍で相模方面から続く途上にあたるこの一帯には、古代より多くの道路が建設されてきた歴史があります。「多摩 よこやまの道」を紹介する案内板には、そうした古道のその路盤に比定されるコースが、現代の地図上に重ねて描かれ紹介されていました。多摩丘陵の北面は、多摩ニュータウンとして大規模に開発され、多摩川に向かう穏やかな土地に農村的な土地利用が卓越した面影はほとんど失われました。そうした現代の街並みの足元には、古代から連綿と続いた、たくさんの足跡が眠っているということを思いますと、隔世の感があります。その後、南多摩尾根幹線道路を経て、近くのバス停より多摩センター駅行きのバスに乗車、多摩センター駅に到着し、平塚七夕訪問から始まったこの日の活動を終えました。多摩センター駅は、京王、小田急そして多摩都市モノレールの路線が終息するターミナルで、周辺地域には商業施設のほか、オフィスビルも集積し、首都圏郊外における商業・業務核の一つとなっているようでした。

 緑豊かな丘陵地の多くが宅地として開発して様相を一変させている多摩丘陵の只中にあって、小野路周辺は昔さながらの宿場町然とした風情を残す地域として輝きを放っていました。古来より多くの人々が往来し、現代でも交通量の多い道筋にあたる小野路は、今も昔も交通の要衝としての「宿命」を帯びているのではとも思い当たりました。

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