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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#62 中延・戸越エリアの風景 〜郊外化を受け止めた住宅地を歩く〜 (品川区)

 2015年11月28日、東急目黒線大岡山駅より散策を始めていた私は、洗足池から中原街道を辿って旗の台・荏原町の両駅付近を通って、中延地域へと進んでいました。この地域一帯に都市化の波が及ぶ前からまとまった集落が存在していた同地区では、旗岡八幡神社付近において古い土蔵のある住宅も認められまして、かすかに往時の記憶をとどめていました。

仲通り

仲通りの景観(西中延三丁目交差点)
(品川区中延四丁目、2015.11.28撮影)
中延商店街

中延商店街(中延スキップロード)
(品川区中延三丁目/東中延二丁目、2015.11.28撮影)
荏原中延駅

荏原中延駅
(品川区東中延一丁目、2015.11.28撮影)
浪花会通り

浪花会通り
(品川区東中延一丁目/同二丁目、2015.11.28撮影)
第二京浜

第二京浜
(品川区東中延二丁目、2015.11.28撮影)
宮前商店街

宮前商店街
(品川区戸越四丁目、2015.11.28撮影)
戸越八幡神社

戸越八幡神社の参道
(品川区戸越二丁目、2015.11.28撮影)
戸越八幡神社

戸越八幡神社
(品川区戸越二丁目、2015.11.28撮影)

 現在の品川区が発足した1947(昭和22)年以前は、品川区の西部が荏原区を構成していたこととは既にお話ししました。東海道筋であった品川周辺はさにあらず、この荏原地域においても東京の中心部に隣接していることから、主に関東大震災以降に急激に郊外化が進展し、のどかな田園地帯であった風景は大都市近郊の稠密な住宅地域へと変貌しました。地域を見渡しますと、旗の台駅で交差する東急池上線と大井町線をはじめ、目黒線が戦前から開業していまして、この地域の都市化を検診したことが理解されます。旗岡八幡神社の東を南北に貫通する通りは「仲通り」と通称されているようで、中原街道の平塚橋から南へ、池上本門寺への参詣道であるとともに、蔬菜の流通にも資するルートとして供されてきた経緯を持つもののようです。現在の通りの周辺は住宅地域の只中であり、道路沿いには店舗併用の2から3階建て程度の建物も連続する都市景観が卓越していました。

 西中延三丁目交差点を東へ折れて進みますと、道路は緩やかな下りとなって、その先で上りに転じている様子が見て取れまして、武蔵野台地上を小さな水流が浸食して生じた微少な谷地形の存在が現れていました。程なくして到達した大井町線の中延駅の周辺はアーケード商店街である中延商店街(中延スキップロード)となっていまして、池上線の荏原中延駅付近まで繁華な町並みが整えられていました。その後は浪花会通りを東へ進んで第二京浜(国道1号)に到達して北上し、戸越地区へと歩きました。戸越地区は、関東地方でも有数の規模を誇る戸越銀座で知られます。戸越銀座は戸越銀座商栄会商店街(商栄会)、戸越銀座商店街(中央街)、戸越銀座銀六商店街(銀六会)の3つの商店街からなっていまして、この3つの商店会を合わせると商店の数は400以上とも言われます。戸越銀座の南に隣接する宮前商店街を進み、商店街の由来となった戸越八幡神社へ。明治期の地勢図にもその名が見えるその古社はゆたかな社叢を伴った参道の奥に鎮座していまして、「この地が江戸越えの村であることが戸越の地名の起こり」と説明する碑文が境内に設置されていました。

戸越銀座

戸越銀座
(品川区戸越二丁目/同一丁目、2015.11.28撮影)
宮前坂

宮前坂
(品川区戸越二丁目、2015.11.28撮影)
旧三井文庫

旧三井文庫
(品川区豊町一丁目、2015.11.28撮影)
文庫の森

文庫の森
(品川区豊町一丁目、2015.11.28撮影)
戸越公園・薬医門

戸越公園・薬医門
(品川区豊町二丁目、2015.11.28撮影)
JR大井町駅前

JR大井町駅前の景観
(品川区大井一丁目、2015.11.28撮影)

 戸越八幡へ向かう道筋であったことに因む「八幡坂」を下り、買い物客が多く訪れている戸越銀座の町並みを概観しました。戸越銀座は関東大震災の被災以降、当時有数の工業集積地であった大崎の南にあるこの地に活路を見いだし、1927(昭和2)年に戸越銀座駅の開業を受けて、商業機能が集積し、今日の商店街の礎が整えられました。商店街は東西方向に台地を刻むわずかな谷地に沿って形成されていまして、商店街へ北あるいは南から進みますと下り坂になっています。そのため、前出の八幡坂をはじめ、宮前坂などといった、固有の坂の名称が商店街を歩いていて散見されました。

 戸越銀座の南には、文庫の森公園と戸越公園があって、地域の人々の憩いの場として解放されています。藩政期に現在の「戸越公園」「文庫の森」一帯は江戸時代前期の1662(寛文2)年に熊本藩分家の熊本新田藩の下屋敷として拝領しています。明治以後は三井財閥所有となり、一部は行政に委譲されて大名庭園の意匠を残した戸越公園として整備され、残部は三井文庫の所在地を経て戦後は国文学研究資料館として利用されました。同館は2008(平成20)年に移転し、跡地が文庫の森公園として供用され現在に至っているものです。戸越公園を一瞥した後は、都道420号の整備が進むエリアを通過しながらJR大井町駅へと進み、この日の活動を終えました。大都市に近接する地域としていち早く郊外化の影響を受けた地域をめぐりながら、このエリアがいかにドラスティックに変貌してきたかを感じました。


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